アメリカ(古代ローマ)(側頭葉)は駄目、
ヨーロッパ(古代ギリシャ)(前頭葉)は駄目、
インド(仏教)(頭頂葉)は駄目、
支那(文字)(後頭葉)は駄目。
日本(無形)(視覚中枢)のみが人類本来の姿。

意識や言葉は第一の心の世界のものです。
それでも第十識までは何とか意識を向けられる。
そして第十五識までは何とか言葉を与えられる。

第十六識のみが存在で、それより低い識は映像です。

ここ、市民大学と云ってるかもしれませんが、都市大学と改めます。
市民大学と云うと、固定的になる。
都市大学なら好きなところに持っていける。移動大学です。

経済の向上よりも民生の向上が必要なんです。

再建よりも再生と云った方が当たる。

共産じゃない、共心なんです。

敦盛は下天でも化天でもなく外天です。

男の子は乗り物の玩具や棒切れが好きで、お山の大将なんかして遊ぶのが好きです。
女の子は人形が好きで、座って飯事遊びをするのが好きです。

歳を取ると、尿をしたくなるだけで出ないことがある。大変不便を感じる。
治療をして尿が出るようになった人が、尿が出た時、まるで天下を取った様に嬉しかった。
これが人と云うもの。ほんの少ししか分らんのです。

戦後の東京、大阪は千篇一律です。
まるで便所か墓場の様です。

聖徳太子は国つ神しか見えなかった。

蓬来宮は熊野と関係があります。

雄略天皇は乱暴なことには乱暴ですが、妻求ぎ(つままぎ)など情深かった様です。
日本書紀を信じたらいけません。

しかし、天の月読の尊ではなく豊受大神を外宮に祀ったのは雄略天皇。
存分に叱られてるだろう。叱られるだけじゃない。
あまりひどいことをすると、着物ひどく汚して、それ洗ってやるのに、人類時代をやり直すことになる。つまり最低でも六十万年。

豊受神を一格昇格させて豊受大神として祀ってやるってんだからひどい。朝鮮辺りの信仰は稲作を尊ぶからあんなことやった。
だってあれ肥料にする人糞と云う下肥を神格化した稲の神さんでしょ。

私と私の配偶者とが造化の最初の子供なんです。

江戸時代の男尊女卑って云うのは、一代限りに留めようとする道徳観があった。それならまだ良いんです。
ところが物質主義と云うのは当時から既に習性となっていた。

スキンシップと性本能は表裏一体です。

ほとんどの場合女性と云うのは男性より無明が多いんです。
だから離婚の条件も女性は男性より多少厳しい。
一夫多妻が認められてた時代が存在した理由はそう云うことです。
女性が十二識から十三識に上がるのは難しいのも同じこと。

悲願を出させるんですね。それを目標として生きていく様にね。
(1977年12月16日聴雨録最終段落)