院政について語ろう
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摂関政治を打破し、その後300年にわたり続いた院政について語るスレです。
白河院政から武家の台頭、鎌倉開幕を経て南北朝時代までをのんびり語りましょう。 国の象徴であり主権者たる国民の統合の象徴なので問題なし
象徴している国を譲ると解釈すればよい >>567
歴史的に退位の礼も譲国の儀も行われたことはない
即位する側は即位の礼があるが
退位する側は三種の神器を引き渡すだけだからな
そもそもやる必要があるのか 践祚の礼が「退位の礼」なるものを兼ねるものだと思うが >>574
践祚って三種の神器が次の天皇のところへ運ばれるだけ
そもそも前の天皇が亡くなっていることも多いため
前の天皇が践祚の礼なるものを行うことはない >>573
その2冊、今日買ってきた。
どっち先に読むのがいいかな? 倉山さんは嫌いじゃないが
歴史に口挟むのはやめてもらいたい
史料読めないくせにいちゃもんつける井沢二世やんけ
戦後政治の話だけしてたらいいよ >>581
逆のパターンもあるね。
名前忘れたけど、戦国時代の室町幕府の本で、ケネス・ウォルツとか国際関係論の話をちょいちょい挟む人。
しかもその国際関係論の理解が、20年前の議論だったりする。 >>573 >>577
その2冊、2回ずつ読み終えた。
一言でいうと、倉山本は上皇史、本郷本は上皇論。
なるほど!という記載が多いのは本郷本。 妄想も大概にせいよ。
体力の限界を理由に引退するんだから、あり得ない話をするな。 平成上皇になって今の男系3人が急死したら、女系をたてて院政を? 病院 も院の一つぐらいのぽじょションだから 院政 上皇 の時代に陰りがない事を望みます。 額田王や中大兄王の先師の時代から歴史は進んでいません。後退をとっています。 新院が治天の君として、どのような院政をされるか、今から楽しみだ
院近臣にどんな人を選ばれるかがカギになると思う 院庁に文官を置くのは当然だが、北面の武士を配備するのも大切だな
忠勇無双の烈士は郎党を率いて北面に馳せ参じてほしい 田母神さんか一色さんを検非違使に任命して、北面の武士を統括させるべきだな 独自の税を創設。
憲法外の制度なので国会の議決は不要。 荘園を持っておけばいいんじゃないの?
上皇の直轄領に住める住民はうれしいだろうし、ふるさと納税も集中するだろう
長講堂領を復活するところから始めてほしい 院政期以前の上皇となればマンガなどで最近注目の平成上皇
相当な気分屋だったらしく悪女とされる薬子もむしろ振り回せた方だったりして >>598
ふるさと納税は、上皇の所領にしたいな
返礼品として、上皇から下賜品が届くとうれしい 荘園あっての院政
白河院の時代はまだ本格的ではなかったようだが >>604
堀河天皇はいい人、鳥羽天皇は幼児
自然、白河院に権力が集中
院政の話で欠落しがちなのが荘園の件。
後三條天皇は藤原摂関家の外戚がいなかったから権力を取り戻したと言われるが
それならその後の天皇家は再び摂関家の外戚がいるのになぜ権力の中核にいられたのか。 >>3
足利義満が南北朝を合体させた後でも、まだ蒸し返されてたからな 平成上皇が、私兵集団を雇ったら要注意だ
院政が始まる恐れがある >>465
両統迭立ってのは、「後深草と亀山のどっちが天皇になるか」でモメたんじゃなくて、「どっちが院政をやるか」でモメたんだな? 後嵯峨上皇には、後深草天皇の他にも皇子がいました。
その皇子は、後深草の弟に当たります。
上皇は、兄の後深草よりも弟の皇子を可愛がっていました。
そして、上皇は、弟の皇子があまりにも可愛かったため、後深草を17歳で退位させ、11歳の弟の皇子を帝位につけます。
これが、亀山天皇です。
兄の後深草は、おとなしい性格だったため、父の強引なやり方に反対することができず、言われるがまま弟に譲位したのでした。
その後、後嵯峨は、次の天皇になる皇太子を後深草の皇子ではなく、亀山の皇子にすることを決めました。
さすがにおとなしい後深草もこれには怒ったそうです。 後深草上皇が一番怒ったのは、亀山上皇が八條院領を確保したからじゃないの?
これで院領荘園が統合されると思ったのが水の泡に・・・ 後には亀山も晩年の末っ子に執着して大覚寺統を混乱させる 荘園を2つに分けたから、君主が2人になったわけだな
一種の領邦国家だ 院政といっても病院もその一つだぐらいに束ねてほしいけど。平成天皇美智子。 いや、いや、 皇室と上皇の関係?
株式会社の倫理でもなきゃ 会長残したら社長って、弱いだろ?
日本の場合? 平成以降なら、東亜に利用されないなら、無関係ではないのかな? >>614
白河・鳥羽・八条院と、後白河上皇が別途かき集めたのと初めから2系統あったのだが 白河と後白河という、2人の強力な実力天皇が、荘園に2つの系統を作ってしまったんだな 実力天皇は、後三條天皇のあとは後醍醐天皇になってしまうんだな 白河上皇−鳥羽上皇−後白河上皇の三代、約100年にわたって上皇が政治の実権を握っていた時期を「院政期」と呼んでいます。
この院政期には、武家が力をたくわえて都では保元の乱・平治の乱が起こり、やがて平家一門が武家政治への扉を開いてゆきます。
そのいきさつは、大河ドラマ『平清盛』で描かれたとおりですね 狭義の「院政期」とされるのは、白河−鳥羽−後白河の三代のみ 荘園整理を大々的に行ったのが、後三条天皇(在位1068〜72)という人でした。
後三条天皇の荘園整理令は、かなりの成果をあげましたが、わずか4年で息子に位を譲りました。 こうして、1072年(延久4)に即位したのが白河天皇でした。
白河天皇は、国庫収入が減って天皇家の力が衰えるという問題に、父の後三条とは間逆の解決策で挑みました。
天皇家が私有財産をもつための、法の抜け穴を見つけたのです。
天皇を引退して上皇になってしまえば、政治的にはフリーです。
そのフリーの立場を利用して、利権をかき集めることにしました。
方法はいくつかありますが、一番手っとり早いのは、寺を建てることです。
引退して政治的にフリーとなった上皇が、個人の信心で寺を建てるのは自由。
その寺に荘園を持たせればよいわけです。
早い話、宗教法人を隠れ蓑にした蓄財のようなものですね。
さらに、上皇が出家して法皇となれば、寺を建てても誰にも文句は言われません。 なんで天皇をさっさと引退しなきゃならんのかというと、「天皇は荘園を持てないから」というのが最大の理由
上皇になって寺を持ち、その寺に荘園を持たせるというのが院政システム >>621 >>622
その院政期には後鳥羽上皇も含まれるんじゃないの? >>627
んにゃ、1086年の院政開始から、1185年の平家滅亡まで
後鳥羽は入ってない 後鳥羽上皇の時代は、「院政期」じゃなくて「鎌倉時代」なんじゃないかな?
後鳥羽はその3人をも凌ぐ強烈な個性だけど、それとこれとは別問題 院政3人衆の中でも、印象が薄いのが鳥羽上皇
第72代白河天皇(白河上皇・白河法皇)から始まったこの系統は、次に第74代鳥羽上皇へと引き継がれました。
その前の第73代堀河天皇はお体が弱く、29才で在位中に崩御しており、一代飛んで院政が継承されたのです。 白河上皇はひ孫である崇徳天皇の即位を異様に急がせました。
崇徳天皇が4歳のとき、鳥羽天皇から譲位させてしまったのです。
息子である鳥羽上皇は、絶大な権力を持っていた白河法皇に逆らいきれません。
問題は、白河法皇が崩御してから表面化します。
この時点で崇徳天皇はまだ10歳なので、実父である鳥羽上皇が院政を引き継ぎました。
やっと好きに政治へ取り組めるようになった鳥羽上皇は、白河法皇の方針を否定するような動きを見せ始めます。
そして近衛天皇に皇位を継がせるため、鳥羽上皇は崇徳天皇を強引に譲位させています。
このとき、近衛天皇は2歳。とんでもない年齢で即位しておりますね。 そして近衛天皇が現職のまま16歳の若さで崩御すると、今度はその異母兄にあたる雅仁親王(後白河天皇)を皇位につけさせます。
一方、近衛天皇の前の天皇だった崇徳上皇は、我が子である重仁親王の立太子を夢見ていました。
病によって保元元年(1156年)に鳥羽法皇が崩御すると、崇徳上皇の不満が噴出。
それが保元の乱の要因の一つとなり、歴史に大きな動きをもたらすのです。 院政期の百年は、日本史上でも屈指の激動の時代だった
白河−鳥羽−後白河の3大実力上皇のカゲに隠れた崇徳上皇の鬱憤がバクハツ
保元の乱こそ、武士の世の始まり この鳥羽−崇徳の争いこそ、そもそもの混乱原因と言えるだろう >>632
>崇徳上皇は、我が子である重仁親王の立太子を夢見ていました。
ちょっと違う。
重仁親王を天皇にして院政を敷き院領荘園主となることを夢見ていたのだ。 母系にあたる天皇の外祖父の地位を占めた藤原北家が天皇の職務・権利を代理・代行する摂関政治が隆盛していく。
だが、治暦4年(1068年)の後三条天皇の即位はその状況に大きな変化をもたらした。
平安時代を通じて皇位継承の安定が大きな政治課題とされており、皇統を一条天皇系へ統一するという流れの中で、後三条天皇が即位することとなった。
後三条天皇は、宇多天皇以来藤原北家(摂関家)を外戚に持たない170年ぶりの天皇であり、外戚の地位を権力の源泉としていた摂関政治がここに揺らぎ始めることとなる。 もしも後三条天皇が早死にしなかったら、院政は白河ではなく、後三条から始まっていただろう 平成を終えると院政が久しぶりに始まるから楽しみだね。 昔は戦争しながら上皇になって政治してたみたいだよ。現代も上皇側に
誰かがついて、天皇側と対峙、騒げや飲めやでどんちゃん騒ぎもいいなあ。
病院程度より平成院のほうがよろしいように思いますが。 そもそも、院政ってのは、武士の力をバックにして貴族を抑える政治だからなあ 武士ももちろんだが、下級の公家も文官として院庁に出仕した
今回、平成院政が始まれば、官庁で出世できなくて早期退官した元官僚や、落選した
元議員などが出仕すればいいと思う
警察、自衛隊OBや元警備員が出仕して北面の武士になればいい 「俺たちゃ北面の武士だ! 怪しい奴め! 上皇様になんの用だ!?」
って、いかにも少年マンガに出てきそうな状況だな >>642
院政ってのは、院領荘園の経営に付随する政治 天皇は荘園を持てない
それが、譲位して上皇になる最大の理由 平安初期の嵯峨上皇は、譲位してからも絶大な権力を振るったが、院政とは言われない >>644
んで何の仕事やるの?
誰が給料出すの?
原資は?
法的根拠は?
どういう法人格? >>652
文書の発給とか院庁の警護とか、文官も武士もやることは多くあるよ
上皇の所領から上がる税収が財源となる
院政は律令にも憲法にも規定がないから、法的根拠がなくてもできるところがポイントだ
院宣は実定法以上に権威を持つ 院宣は従わない人もいて、反逆者に返り討ちにあうこともある
だが、院宣の威力が勝れば、政府の法令を上回ることもある >652は>644のいう「平成院政」に対しての疑問なのだが 左翼や朝鮮人は、平成院が安倍首相と対立していると信じている
彼らは、「憲法を変えるな」というような院宣が発せられることを期待している
これは冗談ではなく、真顔でそう言い出す奴がよくいる 天皇が「憲法を変えるな」と発言したら憲法違反だが、上皇なら違反とは言えまい
政治の実権はなくても、精神的な権威がある
左翼は勢いづき、右翼は意気消沈するだろう 左翼には、「君側の奸・アベを討て」という気運が盛り上がってくる
最近はちょっと下火になったが、ひところは左翼と朝鮮人がそれを大合唱しはじめて、危ない雰囲気になりかけた 最近の左翼は、「移民を入れるな」、「ロシアから北方領土を取り返せ」、「アベの弱腰外交」と騒がしい
もう、左翼なのか右翼なのか、わからなくなってきた わりとまじで讃岐典侍日記の藤原長子が堀河天皇亡き後、鳥羽天皇にも仕えたのって、白河上皇が彼女のこと狙ってたんだと思う。
孫の奥さんに手だす人なら、息子の愛妾にも目つけるでしょ。後年藤原長子が狂乱して白河上皇が参内を取りやめさせたのも闇深い。 孫の奥さんに手出すってより愛人を孫の嫁にしたんだよな。
その後も関係続いてるから同じことだけど。 孫と孫の嫁(愛人)と自分で5回熊野旅行にも行ってる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています