神社仏閣を焼き払いながら教会を建てながら島津討伐に向かったのが運の尽きでしょうな。
宗麟の理想なりがあったのか知らんが、戦の前に不和を生んでどうする。
将兵の中には神仏に信心のある者も多かろうに。
耳川で名のある将がどんだけ死んだことやら。