征夷大将軍っていつから源氏だけになったの?
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いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないってなったの?
鎌倉時代にも摂家から将軍を迎えてるし、
信長を将軍につけようとしたりしてるし。
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないっていう
不文律ができたのか誰か教えて。 >>188
将軍が京にいなかったときやら空位だったときやらといろいろ
あるが、摂関が武家のトップに立ったことなどないね。
摂関が「武命に違う」等々の理由で追放、解官されたりといった
事例はあるけど。 >>189
「室町殿」は極官が太政大臣
摂関になったことはなく公家のトップに立ったことはないよ >>191
豊臣秀吉は摂関でありながら武家のトップだったじゃん >>192
「室町殿」の権威そのものが摂関を超越していたということだろ?
摂関が無条件にトップでという前提を立てているけど、そもそも
そういう官位を超越した形での摂関の権威そのものが、実力と
伝統以外に裏付けをもたないもの。
将軍家・武家の力と財力に圧倒され、摂関自身が実質的に家
礼として伺候する状態であり、将軍家の意に反するものは公武
問わず解官・追放される状態だった以上、摂関も含めた公家の
上に立っていたと評せざるを得ないだろうね。 >>194
「権威」で話をするなら江戸時代の将軍は摂関はおろか
天皇すら超越してたんだがw
太政大臣が摂関を超越した地位とされたことはないよ
武力を背景に摂関や天皇に疑似させることはできたけど
義満の子は皇太子と同待遇だったしね >>194
それをいうなら鎌倉幕府の執権は摂関を超越していた
鎌倉時代のただの執権を自称する(朝廷に執権などという官位はないので)
朝廷から見たらただの東武士が摂関を自在に罷免し
天皇を廃帝とし上皇3人を島流しにしてたんだよ?
鎌倉時代以降、幕府が朝廷権力を超越していたことなど教科書レベルの話じゃん
なにも将軍じゃなくてもよかったわけ
執権でも摂関の任命権や天皇の罷免権を持てたわけだし 得宗権力が確立した後の時期には、得宗が五位、北条他家が四位なんていう
状況が普通になったというな。
それはともかくとして、さすがに執権なり得宗のところに摂関が伺候したり、裾を
取ったりということは起きていないね。
室町将軍のところには年始の挨拶に伺候したり、裾を取らされたり、外出時に
付き従ったり、偏諱を拝領したりというようなことをしているけど。 >>199
任命権・罷免権があっても「権威」とはいえない、
「権威」とは「年始の挨拶に伺候したり、裾を取らされたり、外出時に付き従ったり、偏諱を拝領したり」?
そりゃ、京都にいた室町将軍の特権だわ。
東国にいた江戸幕府将軍に対して摂関は一切そんなことしてないからな。
室町幕府将軍だけが摂関に超越し、江戸幕府将軍は摂関を超越してなかったわけか。
こじつけすぎたな。 北条氏や足利義満はちょっと例外だと思うけどね
源氏も平氏も元は皇室から出た家系で、先祖をさかのぼれば必ず天皇に辿り着く
だから自分達も天皇の血を引く子孫だというマインドを強く持っていたし
それ故に、天皇に対しても公然を牙を剥く事が出来た
誰か昔の王孫ならぬ(=祖先が天皇家につながらない者がいるだろうか)
これ有名な言葉じゃん
承久の乱の時、帝に背けば天罰が下ると言われ、そう言い返したって有名な逸話だけど
義満にしたって、自分を単に武家の棟梁で源氏長者と考えていたわけでなく
自らも天皇の血を引く子孫で、天皇になる権利を有していると考えていた
まあ実際には源氏の血を引かない徳川家には、そんな権利はなかったけどね スレタイから脱線する事はどのスレでもよくある事だ
少々の事でガタガタ言うなボケ!!!! >>201
諸外国では皇帝や王を滅ぼして全く血縁関係のない奴が皇帝や王になっているのだし
別に源平でなくても天皇になどなれただろ
逆に源平は天皇の血を遠い先祖で引いていることを誇りにしていたので
本家本元を滅ぼせなかったんだと思うが
まあ、日本人の3分の2程度が天皇の血をどこかで引いているらしい
そう考えると徳川にしろ信長・秀吉にしろ絶対に天皇の子孫でなかった
保証はどこにもない >>204
何が言いたいのか全くわからない
>諸外国では皇帝や王を滅ぼして全く血縁関係のない奴が皇帝や王になっているのだし
>別に源平でなくても天皇になどなれただろ
>逆に源平は天皇の血を遠い先祖で引いていることを誇りにしていたので
>本家本元を滅ぼせなかったんだと思うが
前段と後段で内容が矛盾している事すらわからないのか?
日本は天皇家が倒れた歴史を持たない国であり
王家が攻め滅ぼされて王朝交代があった諸外国とは土壌がまるで異なる
承久の乱の時の言葉を見れば、源氏や平氏が自らも皇位継承権があると考えていた事が読み取れるだろう
鎌倉幕府の執権や、将軍足利義満が天皇の権威を超越し、し放題出来たのも、その血ゆえだ
>まあ、日本人の3分の2程度が天皇の血をどこかで引いているらしい
>そう考えると徳川にしろ信長・秀吉にしろ絶対に天皇の子孫でなかった
>保証はどこにもない
源平のようにきちんとした系譜を引き、子孫である事がはっきりしている家柄と
偽系図で源平を称した連中を同列に扱うとは傑作だね
馬鹿なのかあんたは? 【政治】 石原都知事 「東京と大阪をリニアで結び、画期的なマンモス都市に。東京の過度集中を分散」…世界都市サミットでスピーチ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1341206973/
115 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:16:15.63 ID:uqVrOteyO [1/3]
下品で下劣で臭い大阪人は、東京に来て欲しくない
というのが日本人の正直な気持ちです
133 返信:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:25:24.93 ID:uqVrOteyO [2/3]
>>121 違うよバカだなあw
大阪人は生まれつきなのさw
彼は生まれつき臭くて、下品で下劣なんだ
そして大阪弁はそれらに拍車をかけている。
大阪支店から出向してきた大阪人を、みんなでノイローゼ→鬱に追い込んで
退職させたのは今でも笑い話さ
141 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:32:00.10 ID:uqVrOteyO [3/3]
>>136 違うよバカだなあwww
大阪人というゴキブリ・ダニを殺すのにバルサンを焚いたとしても
誰も非難はしないだろ
おーい大阪人の鬼畜ども 関東には絶対に来んなよwww
>日本は天皇家が倒れた歴史を持たない国であり
王家が攻め滅ぼされて王朝交代があった諸外国とは土壌がまるで異なる
でも古代は謎のアマタラシヒコとか近江天皇の林太郎天皇暗殺とか
天武天皇の近江王朝強奪とか 王朝交代の可能性大だけど?
>>163
じゃ、何でw
安倍晴明を祀る神社が、大阪府と京都府にそれぞれ存在しているの?
教えてケロ
共に御神体があり、初代安倍晴明公神社は墓地でもある
掘れば人骨が出てきた筈だ
調べてミソwww
>>209
アメタラシヒコは、小野妹子が天皇の名前を問われた時に、
間違って自分の先祖の名前を言ったものだよ。
単純な間違いに過ぎないのだが妙な解釈をする馬鹿が増殖して困ったもんだ。 松平信光の室
幸手一色氏
一色時家の娘
一色公深→範氏→直氏→氏兼→長兼→時家
【神奈川】源頼朝を支えた「三浦一族ゆかりの地」を情報発信
…神奈川県がモニターツアー開催へ、地域の歴史文化資産を掘り起こし観光振興
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1352197553/
ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121106/kng12110619020007-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121106/kng12110619020007-n2.htm
写真=三浦一族の武将が弔われた満昌寺
http://sankei.jp.msn.com/images/news/121106/kng12110619020007-p1.jpg
地図=三浦一族の主なゆかりの地
http://sankei.jp.msn.com/images/news/121106/kng12110619020007-p2.jpg
4 :やまとななしこ:2012/11/06(火) 21:44:02.59 ID:tZbJV+Ao
三浦一族は、『鎌倉源氏五代』のうち、源義朝、義平、頼朝、頼家ら四代は、確かに支えた。
しかし北条系の源実朝は、事実上三浦氏の指令で公暁(頼家子息)が暗殺しているぞ。
河内源氏の中の義朝流は、房総半島や相模が、勢力圏なので三浦氏が支えているが、
義朝流末代5代目の実朝は、執権北条家により擁立されている為に三浦氏とは縁が遠い。
というか敵対関係。
実朝と三浦氏は、キューバ危機のJFKとCIAみたいな関係。 公暁が実朝暗殺犯だったかについてはとても疑問がある。
実朝暗殺は暗がりの中、しかも同時に源信ら京都からの公家が殺害されている。
公暁は事件直後、外に出歩いた形跡すらないまま、屋敷を北条の兵に囲まれ自害させられている。
事態はこの後、京都の上皇と鎌倉の北条との決戦(承久の乱)という形に発展する。 (~)
γ´⌒`ヽ
{i:i:i:i:i:i:i:i:}
( ´・ω・`) 北条義時は、国家のためには、不忠の名をあまんじて受けた。
/ >‐ 、-ヽ すなわち自分の身を犠牲にして、国家のために尽くしたのだ。
/丶ノ、_。.ノ ._。) その苦心は、とても軽々たる小丈夫にはわからない。
. 〈 、〈Y ,ーiー〈ト 頼山陽などは、まだ眼孔が小さいわい。おれも幕府瓦解のときには、
\_ξ ~~~~~~Y せめて義時に笑われないようにと、幾度も心を引き締めたことがあったっけ。
|__/__|
|、,ノ | 、_ノ やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです
の北条義時はヘタレだったな 初心者スマソ。征夷大将軍って蝦夷討伐の官職なんですよね?
坂上田村麻呂は平安時代の人なんだが鎌倉幕府を開く時
にはその役目はあるのかなぞについて。 つまりすでに奥州
は平定されていたのか、頼朝の時に
まだ 蝦夷なぞにも、反攻勢力はあったのか? >>221
「大将軍」という地位に「朝廷の軍事最高司令官」という意味合いがあったので
頼朝はこの称号を欲したと言われている。
尚、頼朝に何の大将軍称号を与えるかは議論されたようで、当初、
頼朝が鎌倉に本拠地を置くことから「征東大将軍」が検討されたが
就任後すぐに滅ぼされた木曽義仲が朝廷から受けた称号であることから
縁起が悪いとして征夷大将軍になったらしい 違うよ
頼朝の場合は先祖の義家が征夷大将軍を望んだにも関わらず
実現できなかったから
先祖の悲願を果たす意味合いもあったからなんだよ >>224
義家は蝦夷征討(安倍氏は蝦夷)やった人だけど、
頼朝は就任時に蝦夷地を攻めたことはなかったよ
だいたい、征夷大将軍につくことが武家源氏の悲願ならば
同じ義家の子孫である木曽義仲が就任しないのがおかしい 秀吉が征夷大将軍を望み、それには源氏になる必要があって、
足利義昭に養子縁組を願ったが拒否されて、仕方なく関白に…
とか、まったくの捏造。家康・家光と御用学者林羅山、極悪だな。 家康が源氏を名乗ったのは、先祖が源氏を名乗っていたこともあるけど、
それよりも、源氏長者を獲得することによって
諸国の源氏を名乗る大名の任官で主導権を握るためだと思う。
藤原氏だと、五摂家ともかぶるから、
藤原氏長者を維持するのは難しいだろうし、
豊臣氏も藤原氏を名乗っていた経緯から、それを避けるためだと思うね。
家康は豊臣氏から独立した存在に徐々に移行しようとしていたから。 征夷大将軍は令外の官。
真の武門の最高の官職は、左近衛大将、または、右近衛大将。
でも、これらは、朝廷で務めないといけない官位。
一方、征夷大将軍は、朝廷から離れた場所で、幕府を設置できる。 そういえばサザエさんの磯野家も本姓は源氏だったな。
おはぎをたくさん食べて殿様に褒められた磯野藻屑源素太皆。 >>230
頼朝も実朝も左近衛大将または右近衛大将になってたと思うけど? >>228
別に極悪とは思わんけどw、
そういうイメージが流布してるのは徳川氏の思惑なんだろうね。
実際に秀吉は喜連川の姫君を犯して側室にしてるし、
もし、そこに婿入りして足利氏継ぎたい!って言ったら
ホイホイ喜んで継がせてくれただろうけどねえw >>230
家康も任官してるけど朝廷で務めてないじゃないか そういえば実朝って、朝廷で大将の職を務めるどころか
鎌倉で生れて、一度も上京してないよね?
鎌倉近辺、せいぜいが伊豆までしか行かない生涯だったんだろか?
それで宋まで行こうとしたんだから無謀すぎるw >>82
それはそうだすね。御一家衆の養子なら征夷大将軍に正当になれるわけだし。 本題に戻すと、上でも言われているように徳川が幕府を開いてからの近代の後づけじゃない?
そう考えると、鎌倉幕府で摂関・皇族将軍がいたこととも矛盾しない。
室町幕府以降と考えると、織田・豊臣がなりかけたことに説明がつかない。
だから、徳川幕府ができてから。それと、家綱の死後、摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後。
要は、徳川綱吉以降と考えるのが妥当。それで、じゃあ、なぜ摂家将軍じゃあダメなのかという話になって、「征夷大将軍は源氏に限る!」っていう理屈ができたんではあるまいか? いや>>88読んで尤もだと思った。
本当にそうだったのかどうかは誰も知る由もないが、
確かにどこかの養子に入るのは簡単だったはずで、
それを家康が考えなかったはずもない。
でも入らなかったからには、>>88かどうかは別として、何か理由はあったんだろね。 源、足利、徳川しか長期政権を作ってないから
源氏だけってにもサンプルが少なすぎるよね 徳川が源氏ってのもちょっと怪しいからなぁ
徳川が「得川」の末裔を称したのっていつ頃だっけ? >>243-244
このスレ10回ほど読んで出直してこい >>241
>摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後
っていう部分だが、軽々に首肯はできない。
藤氏が征夷大将軍として幕府を統治したことがある、というのは
前例としては認識されていたはずで、それが綱吉以降変化したとも思われない。
例えば現在の日本で、女性天皇が皇室の伝統に即してどうなのか?って議論と同じで、
基本的には「天皇は男性がなる」もの。
でも、女性天皇の前例があることも、誰もが知っている。
なので、どうしても女性天皇を作り出したい勢力は、それを前例として主張する。
それと同じだろ。
なので、やはり江戸前期には、「征夷大将軍は基本的に源氏がなるもの」という
認識があったとしても、おかしくはない。 「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。それが現在、女性天皇の論議になるのは後継者がいない、もしくは少ないから。
でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。鎌倉幕府や天皇家とは事情が異なる。
そして、摂関家や皇族から将軍を迎えた後に源氏の家に跡目を返した前例はない。足利氏は実力で将軍の地位を得たのである。
だから、酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる。
したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
綱吉以降に、源氏に限定するようになったのは、皇族や摂関家ではなくて徳川家こそ将軍を輩出する家であるということを明確にする必要があったから。
そして、朱子学の大義名分論が興隆するに及んで、なぜ天皇家ではなくて幕府が政を行うかという点を、
朝廷の許可なく裁量を認められた将軍→足利以降、将軍は源氏であるのが慣例→将軍は源氏である徳川家でなければならない、という理論を構築したのではあるまいか。 >「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。
今は「明確に決まる」話をしてるんじゃないはず。
征夷大将軍は源氏がなるものと、「明確に」、(皇室典範のような)「明文化された規則として」
決まったことは一度もない。
あくまでも慣例として、「基本的には」源氏がなるもの、という暗黙の了解の話をしてるわけで。
そういう意味でいうと、天皇は「基本的に」男性がなるもの、という慣習は、
古代から現代まで一貫して存在してるわけで、皇室典範云々は関係ない。
> でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。
そうだけど、だから?
>酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる
これは同意するけど、それがどうして
>したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
てことになるのかがわからん。
中継ぎ云々と、源氏に限定されるとは別の話でしょ?
江戸時代前期に、既に「基本的には」源氏が征夷大将軍になるべきもの、という
意識が人々の中にあった。
しかし酒井忠清は、何らかの理由によって、藤氏将軍の前例にこじつけて、
徳川家以外から将軍を取ろうと思った。ちょうど、今の日本で、女性天皇の前例にならって
女を天皇にしたがる人々がいるのと同様に。
・・・ということでも、おかしくはない。
俺が言っているのは、確実に↑こうだった、といっているのではなく、
そうかもしれない以上、
「将軍位を継ぐのは源氏、という慣例ができたのは綱吉後」と断定するのは早計だ、
って言ってるわけね。 ようは、>>247さんは、
「女性天皇を推す人は、後継難という理由があるわけだが、
酒井忠清当時の将軍家の場合は、他に後継者がいたのだから、
あえて藤氏将軍を推す理由がわからない」
って言いたいのかな??
でもそれだったら、「将軍職は源氏が」云々の慣例があろうがなかろうが、
同じだよ。
仮にそのような慣例が当時の人々に認識されていなかったとしても、
だからって唐突に、有栖川などから将軍を呼んでこようとした、ってのは
やっぱり、どう考えても普通ではないわけで。
そこはそれなりの理由があったに違いない。
例えばそれは、御三家やの面々や館林宰相を見渡して、こいつに幕府を預けたいと思える人がなかった、
というだけのことかもしれない。
そして、そういう理由があるのであれば、慣例を破ってでもそうしたい、と思ったとしても不思議ではない。 源頼朝が開いた鎌倉幕府(幕府と言う呼称は無かったかも)は僅か三代、実質は二代で源氏の血統は絶えて、
後は平氏の北条家が執政としてズーッと実行支配(北条政権(王朝))。
体裁上、形式的に傀儡、お飾りとして皇族から宮将軍を迎えて慇懃無礼に飼い殺し
(実質的な人質、南京錠耐)。
この(お飾りのお内裏様の)宮将軍が
政権(実質、平氏北条家政権(王朝)。)の権力構造や本質と己の危く脆い立場を弁えずに
権力的、政治的な妙な色気を出すと、、w 平清盛が藤原氏らの公家から実権掌握して平氏政権が出来して以降、
武家政権が六百有余年に渡り続きますが、
面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。 >面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
>平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。
これが言えるのは平家→源家→北条→足利
までで、それ以降はどう見ても、こじつけだがね。 >>253
真面目に質問してみたいのだが、
単なる偶然でなかったら、何であり得るかも知れないと
あなたは考えているの? 偶然成立したことを後でこじつけた。源平交代思想も同じ。当然江戸時代以降。 >>1
いつからって質問には足利尊氏以降との答えが妥当かな いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 コ川氏は実は賀茂氏。
久我氏も男系で見たら藤原氏の近衛家の系統に変わっている。
細川氏こそが源氏氏長者じゃね?
公家の村上源氏の男系はそこそこの名家では残ってないだろう?
清和源氏のほうは、源氏家系の細川家に残っている。 まず、源氏長者になるために本当に源氏の男系子孫である必要がないのは
徳川将軍家で証明済み。
その上でマジレスすると、「源氏長者」を何と捉えるのかによる。
「明治維新前まで日本に存在した制度」を「回顧的・懐古的」に、「実態を伴わず」「名目上のみ」
復活させる、というのなら、
(本当は、源氏長者っていう制度は維新前は当然、社会的に意味のあるものとして
制定されていたわけだから、それを実質上の意味なく懐古的に復活させるのは誤りなのだが)
その場合は、久我家当主だろう。
徳川家は維新で敗北したから、源氏長者ってのは変だし、本人がそれを主張しないと思う。
細川氏っていうのも明らかに変。歴史的に細川氏が源氏長者となった例がないのは誰でも知っているし。
もし本当に現代に有効なものとして「源氏長者」って制度を作る、というのなら、
(この場合も、「源氏長者」なる制度が維新後の日本において実質的に有効なものでは有り得ない、
ということ自体はその後の歴史から明らかなわけで、想定に無理があるのだが・・)
その場合、その時代で源氏と称している人の中で、最も大きな権力を
持っている人が源氏長者となる。
細川の殿は既に隠居の身だから、現在の源氏長者は
自民党の甘利大臣あたりだろう。 >>253さんみたいに、源平交代思想みたいなものを
「単なる偶然ではない」とか言いたがる人って、昔から今まで沢山いるわけだが
(だからこそ、まさに源平交代思想というような語が今に残っている)、
そういう人たちが正直なところ、何を主張したいのかが、俺には一度も理解できたことがない。
源平交代に限らず、この種の主張をする人に、「偶然じゃなかったら何なの?」って聞いても
答えが返ってきた試しがないのが不思議。
実際のところ、それは「天命」だと言いたいのだろうか?そしたら、その人は「天」というものが
明確な「意図」を持っていることを本気で信じているのだろうか?その場合、その「天」という概念は一体どういうものなのか?
そもそも何で、その「天」とやらは、源氏と平氏の間で奇妙な遊びをしなくてはならないのか?
そういったことを何も考えずに、ただ単に「偶然とは思えない」とのみ言って、
それで何か歴史について深い洞察を得たかのように考えているのだろう。この人々は。
つまり、実際には、「歴史」がどういうものかについて深く考えた経験が一度もなく、
かつ、それにもかかわらず、自分が深い洞察を得ていると信じたい人のみが
こういう主張をしたがるのだろう、というのが、現在の自分の見解。 「征夷大将軍は源氏」ってロシアのつるふさの法則と同程度だと思うよ
自然科学を持ち上げたいわけではないけど、法則に関していえば社会科学はその性質上かなりアバウトだし
身も蓋もないこと言うと、人がやることだから状況さえ整えば明日からでも覆るわけで
ちょっとスレチだねすまん こんな論争が起こるから信長もしくは秀吉はとっとと将軍になってれば良かったんだよ・・。 秀吉はともかく信長は天皇になろうとしてたんだが…… 大河ドラマ源平交代(自称源平、伝説含む)
八重の桜 源氏(会津松平)
平清盛 平氏
江 平氏(織田氏)
龍馬伝 源氏(坂本龍馬、明智氏)
天地人 平氏(長尾氏、上杉謙信)
篤姫 源氏(島津氏)
風林火山 源氏(武田氏)
巧妙が辻 藤原氏(山内氏)
義経 源氏 源氏も平氏も天皇の子孫なんだから
どうして天皇の子孫と言う事にしないのか? >>272
その考えも源平交代論と同じ類のものだぞ つうか、今の時代に源氏長者なんか実利ないだろ?よほどの歴ヲタしか氏の長者なんか知らないだろうし。 昔はどういう実利があったのかも、よくわからんけどな
江戸時代とか。 それだったら春日大社宮司の花山院弘匡さんでも良くないかい? >>280
名前から言うと、新藤義孝大臣か?
本人が藤氏を称しているかどうか微妙だがww >>279
江戸時代は徳川家の独占だったから、源氏長者としての力と統治者としての力を区別することは難しそうね
権威と権力が統合された時代とも考えられる >>280
五摂家筆頭の近衛忠W氏でもいいけど、
藤裔会会長、平安神宮宮司の九条道弘氏だろうな。 神主さんとかではなく、実際に政治的力を持った人がなるのが
氏長者。 神主さんいうてもいろいろや。
実際の話、同族の会である藤裔会や清和源氏同族会の会長が現在の長者ちゅーことになるわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています