征夷大将軍っていつから源氏だけになったの?
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いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないってなったの?
鎌倉時代にも摂家から将軍を迎えてるし、
信長を将軍につけようとしたりしてるし。
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないっていう
不文律ができたのか誰か教えて。 >>82
それはそうだすね。御一家衆の養子なら征夷大将軍に正当になれるわけだし。 本題に戻すと、上でも言われているように徳川が幕府を開いてからの近代の後づけじゃない?
そう考えると、鎌倉幕府で摂関・皇族将軍がいたこととも矛盾しない。
室町幕府以降と考えると、織田・豊臣がなりかけたことに説明がつかない。
だから、徳川幕府ができてから。それと、家綱の死後、摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後。
要は、徳川綱吉以降と考えるのが妥当。それで、じゃあ、なぜ摂家将軍じゃあダメなのかという話になって、「征夷大将軍は源氏に限る!」っていう理屈ができたんではあるまいか? いや>>88読んで尤もだと思った。
本当にそうだったのかどうかは誰も知る由もないが、
確かにどこかの養子に入るのは簡単だったはずで、
それを家康が考えなかったはずもない。
でも入らなかったからには、>>88かどうかは別として、何か理由はあったんだろね。 源、足利、徳川しか長期政権を作ってないから
源氏だけってにもサンプルが少なすぎるよね 徳川が源氏ってのもちょっと怪しいからなぁ
徳川が「得川」の末裔を称したのっていつ頃だっけ? >>243-244
このスレ10回ほど読んで出直してこい >>241
>摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後
っていう部分だが、軽々に首肯はできない。
藤氏が征夷大将軍として幕府を統治したことがある、というのは
前例としては認識されていたはずで、それが綱吉以降変化したとも思われない。
例えば現在の日本で、女性天皇が皇室の伝統に即してどうなのか?って議論と同じで、
基本的には「天皇は男性がなる」もの。
でも、女性天皇の前例があることも、誰もが知っている。
なので、どうしても女性天皇を作り出したい勢力は、それを前例として主張する。
それと同じだろ。
なので、やはり江戸前期には、「征夷大将軍は基本的に源氏がなるもの」という
認識があったとしても、おかしくはない。 「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。それが現在、女性天皇の論議になるのは後継者がいない、もしくは少ないから。
でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。鎌倉幕府や天皇家とは事情が異なる。
そして、摂関家や皇族から将軍を迎えた後に源氏の家に跡目を返した前例はない。足利氏は実力で将軍の地位を得たのである。
だから、酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる。
したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
綱吉以降に、源氏に限定するようになったのは、皇族や摂関家ではなくて徳川家こそ将軍を輩出する家であるということを明確にする必要があったから。
そして、朱子学の大義名分論が興隆するに及んで、なぜ天皇家ではなくて幕府が政を行うかという点を、
朝廷の許可なく裁量を認められた将軍→足利以降、将軍は源氏であるのが慣例→将軍は源氏である徳川家でなければならない、という理論を構築したのではあるまいか。 >「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。
今は「明確に決まる」話をしてるんじゃないはず。
征夷大将軍は源氏がなるものと、「明確に」、(皇室典範のような)「明文化された規則として」
決まったことは一度もない。
あくまでも慣例として、「基本的には」源氏がなるもの、という暗黙の了解の話をしてるわけで。
そういう意味でいうと、天皇は「基本的に」男性がなるもの、という慣習は、
古代から現代まで一貫して存在してるわけで、皇室典範云々は関係ない。
> でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。
そうだけど、だから?
>酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる
これは同意するけど、それがどうして
>したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
てことになるのかがわからん。
中継ぎ云々と、源氏に限定されるとは別の話でしょ?
江戸時代前期に、既に「基本的には」源氏が征夷大将軍になるべきもの、という
意識が人々の中にあった。
しかし酒井忠清は、何らかの理由によって、藤氏将軍の前例にこじつけて、
徳川家以外から将軍を取ろうと思った。ちょうど、今の日本で、女性天皇の前例にならって
女を天皇にしたがる人々がいるのと同様に。
・・・ということでも、おかしくはない。
俺が言っているのは、確実に↑こうだった、といっているのではなく、
そうかもしれない以上、
「将軍位を継ぐのは源氏、という慣例ができたのは綱吉後」と断定するのは早計だ、
って言ってるわけね。 ようは、>>247さんは、
「女性天皇を推す人は、後継難という理由があるわけだが、
酒井忠清当時の将軍家の場合は、他に後継者がいたのだから、
あえて藤氏将軍を推す理由がわからない」
って言いたいのかな??
でもそれだったら、「将軍職は源氏が」云々の慣例があろうがなかろうが、
同じだよ。
仮にそのような慣例が当時の人々に認識されていなかったとしても、
だからって唐突に、有栖川などから将軍を呼んでこようとした、ってのは
やっぱり、どう考えても普通ではないわけで。
そこはそれなりの理由があったに違いない。
例えばそれは、御三家やの面々や館林宰相を見渡して、こいつに幕府を預けたいと思える人がなかった、
というだけのことかもしれない。
そして、そういう理由があるのであれば、慣例を破ってでもそうしたい、と思ったとしても不思議ではない。 源頼朝が開いた鎌倉幕府(幕府と言う呼称は無かったかも)は僅か三代、実質は二代で源氏の血統は絶えて、
後は平氏の北条家が執政としてズーッと実行支配(北条政権(王朝))。
体裁上、形式的に傀儡、お飾りとして皇族から宮将軍を迎えて慇懃無礼に飼い殺し
(実質的な人質、南京錠耐)。
この(お飾りのお内裏様の)宮将軍が
政権(実質、平氏北条家政権(王朝)。)の権力構造や本質と己の危く脆い立場を弁えずに
権力的、政治的な妙な色気を出すと、、w 平清盛が藤原氏らの公家から実権掌握して平氏政権が出来して以降、
武家政権が六百有余年に渡り続きますが、
面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。 >面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
>平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。
これが言えるのは平家→源家→北条→足利
までで、それ以降はどう見ても、こじつけだがね。 >>253
真面目に質問してみたいのだが、
単なる偶然でなかったら、何であり得るかも知れないと
あなたは考えているの? 偶然成立したことを後でこじつけた。源平交代思想も同じ。当然江戸時代以降。 >>1
いつからって質問には足利尊氏以降との答えが妥当かな いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
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実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 コ川氏は実は賀茂氏。
久我氏も男系で見たら藤原氏の近衛家の系統に変わっている。
細川氏こそが源氏氏長者じゃね?
公家の村上源氏の男系はそこそこの名家では残ってないだろう?
清和源氏のほうは、源氏家系の細川家に残っている。 まず、源氏長者になるために本当に源氏の男系子孫である必要がないのは
徳川将軍家で証明済み。
その上でマジレスすると、「源氏長者」を何と捉えるのかによる。
「明治維新前まで日本に存在した制度」を「回顧的・懐古的」に、「実態を伴わず」「名目上のみ」
復活させる、というのなら、
(本当は、源氏長者っていう制度は維新前は当然、社会的に意味のあるものとして
制定されていたわけだから、それを実質上の意味なく懐古的に復活させるのは誤りなのだが)
その場合は、久我家当主だろう。
徳川家は維新で敗北したから、源氏長者ってのは変だし、本人がそれを主張しないと思う。
細川氏っていうのも明らかに変。歴史的に細川氏が源氏長者となった例がないのは誰でも知っているし。
もし本当に現代に有効なものとして「源氏長者」って制度を作る、というのなら、
(この場合も、「源氏長者」なる制度が維新後の日本において実質的に有効なものでは有り得ない、
ということ自体はその後の歴史から明らかなわけで、想定に無理があるのだが・・)
その場合、その時代で源氏と称している人の中で、最も大きな権力を
持っている人が源氏長者となる。
細川の殿は既に隠居の身だから、現在の源氏長者は
自民党の甘利大臣あたりだろう。 >>253さんみたいに、源平交代思想みたいなものを
「単なる偶然ではない」とか言いたがる人って、昔から今まで沢山いるわけだが
(だからこそ、まさに源平交代思想というような語が今に残っている)、
そういう人たちが正直なところ、何を主張したいのかが、俺には一度も理解できたことがない。
源平交代に限らず、この種の主張をする人に、「偶然じゃなかったら何なの?」って聞いても
答えが返ってきた試しがないのが不思議。
実際のところ、それは「天命」だと言いたいのだろうか?そしたら、その人は「天」というものが
明確な「意図」を持っていることを本気で信じているのだろうか?その場合、その「天」という概念は一体どういうものなのか?
そもそも何で、その「天」とやらは、源氏と平氏の間で奇妙な遊びをしなくてはならないのか?
そういったことを何も考えずに、ただ単に「偶然とは思えない」とのみ言って、
それで何か歴史について深い洞察を得たかのように考えているのだろう。この人々は。
つまり、実際には、「歴史」がどういうものかについて深く考えた経験が一度もなく、
かつ、それにもかかわらず、自分が深い洞察を得ていると信じたい人のみが
こういう主張をしたがるのだろう、というのが、現在の自分の見解。 「征夷大将軍は源氏」ってロシアのつるふさの法則と同程度だと思うよ
自然科学を持ち上げたいわけではないけど、法則に関していえば社会科学はその性質上かなりアバウトだし
身も蓋もないこと言うと、人がやることだから状況さえ整えば明日からでも覆るわけで
ちょっとスレチだねすまん こんな論争が起こるから信長もしくは秀吉はとっとと将軍になってれば良かったんだよ・・。 秀吉はともかく信長は天皇になろうとしてたんだが…… 大河ドラマ源平交代(自称源平、伝説含む)
八重の桜 源氏(会津松平)
平清盛 平氏
江 平氏(織田氏)
龍馬伝 源氏(坂本龍馬、明智氏)
天地人 平氏(長尾氏、上杉謙信)
篤姫 源氏(島津氏)
風林火山 源氏(武田氏)
巧妙が辻 藤原氏(山内氏)
義経 源氏 源氏も平氏も天皇の子孫なんだから
どうして天皇の子孫と言う事にしないのか? >>272
その考えも源平交代論と同じ類のものだぞ つうか、今の時代に源氏長者なんか実利ないだろ?よほどの歴ヲタしか氏の長者なんか知らないだろうし。 昔はどういう実利があったのかも、よくわからんけどな
江戸時代とか。 それだったら春日大社宮司の花山院弘匡さんでも良くないかい? >>280
名前から言うと、新藤義孝大臣か?
本人が藤氏を称しているかどうか微妙だがww >>279
江戸時代は徳川家の独占だったから、源氏長者としての力と統治者としての力を区別することは難しそうね
権威と権力が統合された時代とも考えられる >>280
五摂家筆頭の近衛忠W氏でもいいけど、
藤裔会会長、平安神宮宮司の九条道弘氏だろうな。 神主さんとかではなく、実際に政治的力を持った人がなるのが
氏長者。 神主さんいうてもいろいろや。
実際の話、同族の会である藤裔会や清和源氏同族会の会長が現在の長者ちゅーことになるわな。 > 清和源氏同族会
これは明確にダメだろ。
源氏って言っても村上源氏宇多源氏嵯峨源氏正親町源氏いろいろある。
> 同族の会の会長
これも違う気がする。
氏長者は宣旨をもって定められる権威をもつもので、私的な会合の代表者とは違う。
氏長者と同族の会の会長を比べるのは、あくまでも部分的な類推に過ぎない。 征夷大将軍は元々は臨時の役職で常時は鎮守府が担当していた
で頼朝が清盛みたいに軍事公卿になった失敗を見て征夷大将軍を家人の棟梁としての名目で拝領したのが始まりだな
坂上田村麻呂は当初は副将軍だったな >>1
別にそうと決まったわけではない。
たまたま足利将軍家が源氏の流れを汲んでいて、それが約200年15代と続いたこと、
鎌倉・室町と源氏の将軍が幕府を開いたこと、
これ等を慣例として徳川家康が江戸に幕府を開く権威付けに利用し、それが更なる慣例として積み重なっただけ。
明治以降「征夷大将軍」という官職が廃止されたため、尊氏以降源氏(自称も含め)のみが将軍職を歴任したという結果が残り、征夷大将軍=源氏というイメージが出来た。
ついでにいえば源氏と並び武家の棟梁の家門とされる平氏から征夷大将軍職を担った者がいないのも誤解の原因かな。 最初から鎮守府将軍が源氏ばっかりだったのも誤解される理由かもよ。 征夷大将軍なんていったら中国人の日本人討伐みたいな名称だもんなw
本当に昔これ使ってたの?日本書記なんかの捏造みたいに別の理由でも
ありそうだが あこがれたのは単に名前の響きだろ
あんまり難しい事まで考えるな >>292
源氏長者をググれば>>1が偶然だと分かるよね。 >>293
鎮守府将軍も源氏以外いるよ。
一時河内源氏の嫡流が歴任したけど、源氏以降清原氏や、奥州藤原氏、建武時代には公卿の北畠氏が着任しているよ。 >>294
元々は蝦夷(今の東北地方あたり)に攻め入る臨時職とかじゃなかったんだっけ
それこそ坂上田村麻呂とかのころには実態があったのでは >一時河内源氏の嫡流が歴任した
この時代でイメージが定着してしまったとか? >>299
良くも悪くも日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だからね。
藤原摂関家がいい例だよ。
江戸以降の五摂家も藤原の家系だし。
征夷大将軍や鎮守府将軍が源氏というイメージはこの摂関家の例に準えて後世の歴史家が作ったものなんだよね。 長い歴史のある国で、日本に比べて明らかに
「慣習とか慣例が重んじられない」国って、例えばどこだろう?
インドとかに比べれば、日本ははるかに、慣習が重んじられない国だと思うけど。 >>301
それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
豊臣秀吉も関白就任するために近衛家の猶子になってるしさ。
武家が形式的とは言え、皇室を截てたのも皇室の権威という慣例や慣習を蔑ろにしなかったからでしょ。
歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
つか、そもそもインドと比べる意味も必要もないでしょ。 >>303
何か、言ってることが通じなかったみたいだが・・・
>>300で「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」って言っているのは
日本が他の国と比べて、より「慣例とか慣習が重んじられる国」だ、って言ってるわけでしょ?
そうでなければ、わざわざ「日本は」なんて言わないわけだから。
で、じゃあ日本が具体的にどこの国と比べて、より「慣習が重んじられる」と考えているのですか?
って聞いているだけなんだけど。
日本よりも明らかにずっと慣習が重んじられる国を挙げろ、って言われたら、未だにカースト制度を色濃く残すインドや、
その他にも色々思いつくけど、って言ってるのであって。
「インドと比べる意味も必要もないでしょ」とか、すまんが何を言いたいのかわからない。必要とかそんなこと話してないし。
・・・って、こういうことを言う理由はね、
よく何かにつけて「日本は・・・」とか言って、あたかも日本が特殊であるかのように言いたがる
(けど、実際には本当に日本がどうなのかなんて知らないし、興味もない)人が多いから、なんよ。
別に「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」だなんて、本当か嘘かわからない(つーかきっと嘘だが)ようなことを
書く必要は全然なくて、あなただって実は、別に「日本」について論じたいわけじゃないんでしょ?
そしたら単に、「昔は今よりも慣例とか慣習が重んじられていたからね」と書けばすむ話じゃない。 あと
>歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
これも嘘だなあ。
織田信長はむしろ、困窮して危機的な状態にあった皇室に資金的援助を行い、
滅亡から救った、っていうようなもの。
信長の出現があと50年遅れたら、本当に朝廷は滅んでいたかも知れないわけだからねえ。
あと足利義満は、もし仮に本当に行為簒奪の意図を持っていたとしても、
それは清和源氏として「皇胤である自分が正当に皇位を継承する」という意識であったはずで、
そうである以上、皇室の存在をなくすわけでも、その権威を無視するものでもなく、
逆に皇室の権威を最大限自分のものとしようとする底のものであったはず。
日本史上、皇室の存在を危うくしたのは
蘇我入鹿と、弓削道鏡と、あと太平洋戦争開戦に踏み切った当時の軍部の連中でしょ。 読み返してみて、また>>303さんに理解されないんじゃないか、と心配になったのでw
一応書いておくと、
> それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
これは別に反対してないし、むしろ賛成してるわけね。
でもそれは、「日本は」とかそういう問題じゃないだろ、って言ってるわけ。
伝統のある国ならどこだって、慣習も慣例も重んじられますよ、当然だが。 >>306
横レスすまん。
>>303のってさ、日本は普通に慣習とかが重んじられてるってだけで、特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
それと、おいらもインドが日本より慣習を重んじるってことに意味がないと思うな。
インドほど重んじてないとしてそれが何?
他国と比べる意味がわかんない。
ま、いいや関係ないしね。
ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。 >>308
> 特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
厳しくとかそういう問題じゃなく、「日本は」って言ってること自体について
言ってるのだが、わからないかな?
> 他国と比べる意味がわかんない。
これだけ説明しても、わからないとは・・・orz まあ、仕方がない。
> ま、いいや関係ないしね。
> ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。
関係ないのなら、初めからそんな書き込みやめたらどう?意味ないでしょ。
あなたとは違って、「論理的思考」ってものが大事な人種もいるんだ、ってことは
理解していただいた方がいい。
ムキになって返答したり、煽ったりしないで、スルーしてくれていいからね。 2chって、複数の人の書き込みのふりをすれば
説得力が増すかのように思ってる奴らがよくいるが、あの思考回路は不思議だ >>303と>>308は言ってることも同じだし、
文体も同じなので90%同一人物扱いされても仕方がない。
そこはもう少し気をつけた方がいい >行為簒奪の意図
足利義満の孫が後小松天皇ジャン。 しかし鎌倉期の藤原将軍や宮将軍は養子となって源姓にはなってないんだな?
江戸期にも宮将軍案があったけど実現してたら徳川を名乗らないってことなんかね? >>315
そこは微妙。鷹司の例もあるから、養子で源姓になってたんじゃまいか
って気もする。
しかし宮様にエセ源氏名乗らせるってどんな極悪人だって気もするがw >>315
それは、大丈夫でしょ。
鎌倉時代の宮将軍は親王の身分だし、
江戸期に同様のことがあったとして、
もし臣籍降下しても、一世王は源氏だ。 流れ整理しておくと、結論は
1 室町時代頃
2 江戸時代前期頃
3 徳川綱吉頃
の3つでOK? >>315
頼経は春日大社で占ったら
源氏に変えたらダメと出たとかだった >>313
そんな決まりはないで終了。
源氏の流れを汲む足利将軍家と源氏を自称した徳川将軍家がそれぞれ15代に亘り世襲したから、それを源氏の独占と勘違いした後世の歴史家が決めつけただけなんよ。 征夷大将軍の資格は
× 特定の源氏のみ。
○ 姓は問わない。無姓の皇族・臣下でも就任可能。 >>304
日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だと、慣例で言われてるのさ
どこと比べてとかじゃなく、慣例。 源氏だけとか言い出したのは足利尊氏だよ
幕府継承問題の時にだれでも継げるならとっく北条が継いでる
なんで継げてないの?平氏だからでしょ!って論法でやり込めたっていうね・・・
まぁ実際源氏宗家が絶えた後は親王が着いたりしてるから関係ないんだけど
ここらへんが尊氏の上手いところっていうか >>327
最近の本で岡野友彦氏が書いた北畠親房の本があって、その中に書かれてたんだよね
尊氏自身が言った、と思うんだけどニュアンス的には>>326の通り >>326>>328
足利尊氏はそんなこと言ってない。
なんかおかしいと思ったら…
岡野氏はその著書「北畠親房」の中で、
・当時は80年間親王将軍が続いていた。80年と言えばほぼ生きている人間が入れ替わる。
当時の人は親王将軍しか知らない人ばかりで、征夷大将軍は親王が任じられるのが当たり前、という認識だった。
・北畠親房はその著書「神皇正統記」で足利尊氏の出自を「家人の列」(鎌倉幕府の家来である御家人)
と何度か書いている。当時、都の人に尊氏が身分の高い人だという意識は全くなかった。
ことをあげて、当時征夷大将軍と言えば親王がなるものであり、
足利程度がなれるものだとは思われていなかった。
幕府御家人にすぎない足利尊氏がなれるくらいなら北条氏がとっくの昔になっていた(これは岡野氏の意見)と言っている。 これは参考にならないんだろうか。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/geni.htm
あと、頼経が将軍になる時に源氏になるべきかどうか
春日大社に聞きに行った話もあったな。 >>331
「源威集」の作者とされる結城直光は、足利尊氏・義詮・義満に仕えた家臣。
主君である足利一門を讃えるために東国から兵を起こして幕府を起こした足利尊氏を
同様に東国で兵を起こし幕府を開いた源頼朝に例えたのは不思議ではない。
重要なのは、「源威集」が室町幕府成立後に書かれていること。
成立は14世紀後半とされ、室町幕府安定期に幕府権威高揚のために家臣に書かせたと考えられる。
また、藤原頼経は2代将軍源頼家の娘源鞠子(竹御所)の婿養子として将軍についた。
婿養子というからには頼経を先代源氏と養子縁組するべきかという議論があった。
しかし、幕府内では幕府権威高揚のために、武家源氏よりもはるかに身分の高い摂家藤原氏を
将軍に担ぐべきだという意見となり、頼経は藤原姓のまま征夷大将軍に就任することになった。
藤原氏出身の征夷大将軍はそれまでいなかったため(それまでの征夷大将軍は大伴氏・坂上氏・文屋氏・源氏)
幕府が藤原氏の氏神春日大社に使者を派遣し認可を受けてはいる。
尚、源頼朝が征夷大将軍になる際に氏神の許可を取った話は見えない。 >>330
少なくない東国の人間が
「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」と考えていたとか。
天皇家の代わりに、天皇家より歴史のある孔氏を持って来られても、
日本人にとっては自分たちの王とは思えないように。 >>333
東国では源氏が自分たちの王なら源氏ではない
北条氏が鎌倉幕府の実権を握れないでしょ?
鎌倉時代の足利氏は北条氏から代々正室を迎え入れて北条に従っている
一御家人(将軍や執権、得宗らに仕える家臣の一人)に過ぎなかったんだから。 >>334
正統性がなくても権力を握ってる例なんて幾らでもあるだろ
結局力のある方に皆靡く >>335
北条に力があったから正統性がなくても権力を握っていたとして
当時の東国の人が源氏が俺たちの王だと言っている史料がない
鎌倉時代に足利が鎌倉幕府の王だと周囲の御家人たちから讃えられていた事実もない
根拠がないよ 自分たちの利権を守ってくれるならば誰でもいいんだろ
だから北条を受け入れたし、北条を討つのに協力したんだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています