征夷大将軍っていつから源氏だけになったの?
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いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないってなったの?
鎌倉時代にも摂家から将軍を迎えてるし、
信長を将軍につけようとしたりしてるし。
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないっていう
不文律ができたのか誰か教えて。 >>253
真面目に質問してみたいのだが、
単なる偶然でなかったら、何であり得るかも知れないと
あなたは考えているの? 偶然成立したことを後でこじつけた。源平交代思想も同じ。当然江戸時代以降。 >>1
いつからって質問には足利尊氏以降との答えが妥当かな いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。 コ川氏は実は賀茂氏。
久我氏も男系で見たら藤原氏の近衛家の系統に変わっている。
細川氏こそが源氏氏長者じゃね?
公家の村上源氏の男系はそこそこの名家では残ってないだろう?
清和源氏のほうは、源氏家系の細川家に残っている。 まず、源氏長者になるために本当に源氏の男系子孫である必要がないのは
徳川将軍家で証明済み。
その上でマジレスすると、「源氏長者」を何と捉えるのかによる。
「明治維新前まで日本に存在した制度」を「回顧的・懐古的」に、「実態を伴わず」「名目上のみ」
復活させる、というのなら、
(本当は、源氏長者っていう制度は維新前は当然、社会的に意味のあるものとして
制定されていたわけだから、それを実質上の意味なく懐古的に復活させるのは誤りなのだが)
その場合は、久我家当主だろう。
徳川家は維新で敗北したから、源氏長者ってのは変だし、本人がそれを主張しないと思う。
細川氏っていうのも明らかに変。歴史的に細川氏が源氏長者となった例がないのは誰でも知っているし。
もし本当に現代に有効なものとして「源氏長者」って制度を作る、というのなら、
(この場合も、「源氏長者」なる制度が維新後の日本において実質的に有効なものでは有り得ない、
ということ自体はその後の歴史から明らかなわけで、想定に無理があるのだが・・)
その場合、その時代で源氏と称している人の中で、最も大きな権力を
持っている人が源氏長者となる。
細川の殿は既に隠居の身だから、現在の源氏長者は
自民党の甘利大臣あたりだろう。 >>253さんみたいに、源平交代思想みたいなものを
「単なる偶然ではない」とか言いたがる人って、昔から今まで沢山いるわけだが
(だからこそ、まさに源平交代思想というような語が今に残っている)、
そういう人たちが正直なところ、何を主張したいのかが、俺には一度も理解できたことがない。
源平交代に限らず、この種の主張をする人に、「偶然じゃなかったら何なの?」って聞いても
答えが返ってきた試しがないのが不思議。
実際のところ、それは「天命」だと言いたいのだろうか?そしたら、その人は「天」というものが
明確な「意図」を持っていることを本気で信じているのだろうか?その場合、その「天」という概念は一体どういうものなのか?
そもそも何で、その「天」とやらは、源氏と平氏の間で奇妙な遊びをしなくてはならないのか?
そういったことを何も考えずに、ただ単に「偶然とは思えない」とのみ言って、
それで何か歴史について深い洞察を得たかのように考えているのだろう。この人々は。
つまり、実際には、「歴史」がどういうものかについて深く考えた経験が一度もなく、
かつ、それにもかかわらず、自分が深い洞察を得ていると信じたい人のみが
こういう主張をしたがるのだろう、というのが、現在の自分の見解。 「征夷大将軍は源氏」ってロシアのつるふさの法則と同程度だと思うよ
自然科学を持ち上げたいわけではないけど、法則に関していえば社会科学はその性質上かなりアバウトだし
身も蓋もないこと言うと、人がやることだから状況さえ整えば明日からでも覆るわけで
ちょっとスレチだねすまん こんな論争が起こるから信長もしくは秀吉はとっとと将軍になってれば良かったんだよ・・。 秀吉はともかく信長は天皇になろうとしてたんだが…… 大河ドラマ源平交代(自称源平、伝説含む)
八重の桜 源氏(会津松平)
平清盛 平氏
江 平氏(織田氏)
龍馬伝 源氏(坂本龍馬、明智氏)
天地人 平氏(長尾氏、上杉謙信)
篤姫 源氏(島津氏)
風林火山 源氏(武田氏)
巧妙が辻 藤原氏(山内氏)
義経 源氏 源氏も平氏も天皇の子孫なんだから
どうして天皇の子孫と言う事にしないのか? >>272
その考えも源平交代論と同じ類のものだぞ つうか、今の時代に源氏長者なんか実利ないだろ?よほどの歴ヲタしか氏の長者なんか知らないだろうし。 昔はどういう実利があったのかも、よくわからんけどな
江戸時代とか。 それだったら春日大社宮司の花山院弘匡さんでも良くないかい? >>280
名前から言うと、新藤義孝大臣か?
本人が藤氏を称しているかどうか微妙だがww >>279
江戸時代は徳川家の独占だったから、源氏長者としての力と統治者としての力を区別することは難しそうね
権威と権力が統合された時代とも考えられる >>280
五摂家筆頭の近衛忠W氏でもいいけど、
藤裔会会長、平安神宮宮司の九条道弘氏だろうな。 神主さんとかではなく、実際に政治的力を持った人がなるのが
氏長者。 神主さんいうてもいろいろや。
実際の話、同族の会である藤裔会や清和源氏同族会の会長が現在の長者ちゅーことになるわな。 > 清和源氏同族会
これは明確にダメだろ。
源氏って言っても村上源氏宇多源氏嵯峨源氏正親町源氏いろいろある。
> 同族の会の会長
これも違う気がする。
氏長者は宣旨をもって定められる権威をもつもので、私的な会合の代表者とは違う。
氏長者と同族の会の会長を比べるのは、あくまでも部分的な類推に過ぎない。 征夷大将軍は元々は臨時の役職で常時は鎮守府が担当していた
で頼朝が清盛みたいに軍事公卿になった失敗を見て征夷大将軍を家人の棟梁としての名目で拝領したのが始まりだな
坂上田村麻呂は当初は副将軍だったな >>1
別にそうと決まったわけではない。
たまたま足利将軍家が源氏の流れを汲んでいて、それが約200年15代と続いたこと、
鎌倉・室町と源氏の将軍が幕府を開いたこと、
これ等を慣例として徳川家康が江戸に幕府を開く権威付けに利用し、それが更なる慣例として積み重なっただけ。
明治以降「征夷大将軍」という官職が廃止されたため、尊氏以降源氏(自称も含め)のみが将軍職を歴任したという結果が残り、征夷大将軍=源氏というイメージが出来た。
ついでにいえば源氏と並び武家の棟梁の家門とされる平氏から征夷大将軍職を担った者がいないのも誤解の原因かな。 最初から鎮守府将軍が源氏ばっかりだったのも誤解される理由かもよ。 征夷大将軍なんていったら中国人の日本人討伐みたいな名称だもんなw
本当に昔これ使ってたの?日本書記なんかの捏造みたいに別の理由でも
ありそうだが あこがれたのは単に名前の響きだろ
あんまり難しい事まで考えるな >>292
源氏長者をググれば>>1が偶然だと分かるよね。 >>293
鎮守府将軍も源氏以外いるよ。
一時河内源氏の嫡流が歴任したけど、源氏以降清原氏や、奥州藤原氏、建武時代には公卿の北畠氏が着任しているよ。 >>294
元々は蝦夷(今の東北地方あたり)に攻め入る臨時職とかじゃなかったんだっけ
それこそ坂上田村麻呂とかのころには実態があったのでは >一時河内源氏の嫡流が歴任した
この時代でイメージが定着してしまったとか? >>299
良くも悪くも日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だからね。
藤原摂関家がいい例だよ。
江戸以降の五摂家も藤原の家系だし。
征夷大将軍や鎮守府将軍が源氏というイメージはこの摂関家の例に準えて後世の歴史家が作ったものなんだよね。 長い歴史のある国で、日本に比べて明らかに
「慣習とか慣例が重んじられない」国って、例えばどこだろう?
インドとかに比べれば、日本ははるかに、慣習が重んじられない国だと思うけど。 >>301
それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
豊臣秀吉も関白就任するために近衛家の猶子になってるしさ。
武家が形式的とは言え、皇室を截てたのも皇室の権威という慣例や慣習を蔑ろにしなかったからでしょ。
歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
つか、そもそもインドと比べる意味も必要もないでしょ。 >>303
何か、言ってることが通じなかったみたいだが・・・
>>300で「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」って言っているのは
日本が他の国と比べて、より「慣例とか慣習が重んじられる国」だ、って言ってるわけでしょ?
そうでなければ、わざわざ「日本は」なんて言わないわけだから。
で、じゃあ日本が具体的にどこの国と比べて、より「慣習が重んじられる」と考えているのですか?
って聞いているだけなんだけど。
日本よりも明らかにずっと慣習が重んじられる国を挙げろ、って言われたら、未だにカースト制度を色濃く残すインドや、
その他にも色々思いつくけど、って言ってるのであって。
「インドと比べる意味も必要もないでしょ」とか、すまんが何を言いたいのかわからない。必要とかそんなこと話してないし。
・・・って、こういうことを言う理由はね、
よく何かにつけて「日本は・・・」とか言って、あたかも日本が特殊であるかのように言いたがる
(けど、実際には本当に日本がどうなのかなんて知らないし、興味もない)人が多いから、なんよ。
別に「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」だなんて、本当か嘘かわからない(つーかきっと嘘だが)ようなことを
書く必要は全然なくて、あなただって実は、別に「日本」について論じたいわけじゃないんでしょ?
そしたら単に、「昔は今よりも慣例とか慣習が重んじられていたからね」と書けばすむ話じゃない。 あと
>歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
これも嘘だなあ。
織田信長はむしろ、困窮して危機的な状態にあった皇室に資金的援助を行い、
滅亡から救った、っていうようなもの。
信長の出現があと50年遅れたら、本当に朝廷は滅んでいたかも知れないわけだからねえ。
あと足利義満は、もし仮に本当に行為簒奪の意図を持っていたとしても、
それは清和源氏として「皇胤である自分が正当に皇位を継承する」という意識であったはずで、
そうである以上、皇室の存在をなくすわけでも、その権威を無視するものでもなく、
逆に皇室の権威を最大限自分のものとしようとする底のものであったはず。
日本史上、皇室の存在を危うくしたのは
蘇我入鹿と、弓削道鏡と、あと太平洋戦争開戦に踏み切った当時の軍部の連中でしょ。 読み返してみて、また>>303さんに理解されないんじゃないか、と心配になったのでw
一応書いておくと、
> それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
これは別に反対してないし、むしろ賛成してるわけね。
でもそれは、「日本は」とかそういう問題じゃないだろ、って言ってるわけ。
伝統のある国ならどこだって、慣習も慣例も重んじられますよ、当然だが。 >>306
横レスすまん。
>>303のってさ、日本は普通に慣習とかが重んじられてるってだけで、特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
それと、おいらもインドが日本より慣習を重んじるってことに意味がないと思うな。
インドほど重んじてないとしてそれが何?
他国と比べる意味がわかんない。
ま、いいや関係ないしね。
ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。 >>308
> 特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
厳しくとかそういう問題じゃなく、「日本は」って言ってること自体について
言ってるのだが、わからないかな?
> 他国と比べる意味がわかんない。
これだけ説明しても、わからないとは・・・orz まあ、仕方がない。
> ま、いいや関係ないしね。
> ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。
関係ないのなら、初めからそんな書き込みやめたらどう?意味ないでしょ。
あなたとは違って、「論理的思考」ってものが大事な人種もいるんだ、ってことは
理解していただいた方がいい。
ムキになって返答したり、煽ったりしないで、スルーしてくれていいからね。 2chって、複数の人の書き込みのふりをすれば
説得力が増すかのように思ってる奴らがよくいるが、あの思考回路は不思議だ >>303と>>308は言ってることも同じだし、
文体も同じなので90%同一人物扱いされても仕方がない。
そこはもう少し気をつけた方がいい >行為簒奪の意図
足利義満の孫が後小松天皇ジャン。 しかし鎌倉期の藤原将軍や宮将軍は養子となって源姓にはなってないんだな?
江戸期にも宮将軍案があったけど実現してたら徳川を名乗らないってことなんかね? >>315
そこは微妙。鷹司の例もあるから、養子で源姓になってたんじゃまいか
って気もする。
しかし宮様にエセ源氏名乗らせるってどんな極悪人だって気もするがw >>315
それは、大丈夫でしょ。
鎌倉時代の宮将軍は親王の身分だし、
江戸期に同様のことがあったとして、
もし臣籍降下しても、一世王は源氏だ。 流れ整理しておくと、結論は
1 室町時代頃
2 江戸時代前期頃
3 徳川綱吉頃
の3つでOK? >>315
頼経は春日大社で占ったら
源氏に変えたらダメと出たとかだった >>313
そんな決まりはないで終了。
源氏の流れを汲む足利将軍家と源氏を自称した徳川将軍家がそれぞれ15代に亘り世襲したから、それを源氏の独占と勘違いした後世の歴史家が決めつけただけなんよ。 征夷大将軍の資格は
× 特定の源氏のみ。
○ 姓は問わない。無姓の皇族・臣下でも就任可能。 >>304
日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だと、慣例で言われてるのさ
どこと比べてとかじゃなく、慣例。 源氏だけとか言い出したのは足利尊氏だよ
幕府継承問題の時にだれでも継げるならとっく北条が継いでる
なんで継げてないの?平氏だからでしょ!って論法でやり込めたっていうね・・・
まぁ実際源氏宗家が絶えた後は親王が着いたりしてるから関係ないんだけど
ここらへんが尊氏の上手いところっていうか >>327
最近の本で岡野友彦氏が書いた北畠親房の本があって、その中に書かれてたんだよね
尊氏自身が言った、と思うんだけどニュアンス的には>>326の通り >>326>>328
足利尊氏はそんなこと言ってない。
なんかおかしいと思ったら…
岡野氏はその著書「北畠親房」の中で、
・当時は80年間親王将軍が続いていた。80年と言えばほぼ生きている人間が入れ替わる。
当時の人は親王将軍しか知らない人ばかりで、征夷大将軍は親王が任じられるのが当たり前、という認識だった。
・北畠親房はその著書「神皇正統記」で足利尊氏の出自を「家人の列」(鎌倉幕府の家来である御家人)
と何度か書いている。当時、都の人に尊氏が身分の高い人だという意識は全くなかった。
ことをあげて、当時征夷大将軍と言えば親王がなるものであり、
足利程度がなれるものだとは思われていなかった。
幕府御家人にすぎない足利尊氏がなれるくらいなら北条氏がとっくの昔になっていた(これは岡野氏の意見)と言っている。 これは参考にならないんだろうか。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/geni.htm
あと、頼経が将軍になる時に源氏になるべきかどうか
春日大社に聞きに行った話もあったな。 >>331
「源威集」の作者とされる結城直光は、足利尊氏・義詮・義満に仕えた家臣。
主君である足利一門を讃えるために東国から兵を起こして幕府を起こした足利尊氏を
同様に東国で兵を起こし幕府を開いた源頼朝に例えたのは不思議ではない。
重要なのは、「源威集」が室町幕府成立後に書かれていること。
成立は14世紀後半とされ、室町幕府安定期に幕府権威高揚のために家臣に書かせたと考えられる。
また、藤原頼経は2代将軍源頼家の娘源鞠子(竹御所)の婿養子として将軍についた。
婿養子というからには頼経を先代源氏と養子縁組するべきかという議論があった。
しかし、幕府内では幕府権威高揚のために、武家源氏よりもはるかに身分の高い摂家藤原氏を
将軍に担ぐべきだという意見となり、頼経は藤原姓のまま征夷大将軍に就任することになった。
藤原氏出身の征夷大将軍はそれまでいなかったため(それまでの征夷大将軍は大伴氏・坂上氏・文屋氏・源氏)
幕府が藤原氏の氏神春日大社に使者を派遣し認可を受けてはいる。
尚、源頼朝が征夷大将軍になる際に氏神の許可を取った話は見えない。 >>330
少なくない東国の人間が
「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」と考えていたとか。
天皇家の代わりに、天皇家より歴史のある孔氏を持って来られても、
日本人にとっては自分たちの王とは思えないように。 >>333
東国では源氏が自分たちの王なら源氏ではない
北条氏が鎌倉幕府の実権を握れないでしょ?
鎌倉時代の足利氏は北条氏から代々正室を迎え入れて北条に従っている
一御家人(将軍や執権、得宗らに仕える家臣の一人)に過ぎなかったんだから。 >>334
正統性がなくても権力を握ってる例なんて幾らでもあるだろ
結局力のある方に皆靡く >>335
北条に力があったから正統性がなくても権力を握っていたとして
当時の東国の人が源氏が俺たちの王だと言っている史料がない
鎌倉時代に足利が鎌倉幕府の王だと周囲の御家人たちから讃えられていた事実もない
根拠がないよ 自分たちの利権を守ってくれるならば誰でもいいんだろ
だから北条を受け入れたし、北条を討つのに協力したんだろ >>337
それなら結局「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」なんて誰も思ってないじゃん。
北条が利権を守ってくれるなら北条が俺たちの王だし、
足利が利権を守ってくれるなら足利が俺たちの王だ。
親王将軍がいても利権を守ってくれる北条を担いでたってことでしょ。
氏族など関係ない。 なぜ朝廷から独立を目指したのに、
朝廷から王を迎えるんだ 1はいいことに気が付いたが徳川の頃だね。
例外を認めさせるのは大変だが、
過去に実績があれば強引にでも話を勧められる。
その理由で源氏を持って来た。
足利の頃は北条執権全盛期に対して過去の将軍職を持って来た。
強いて言うならその時から。 将軍が武家の棟梁なんて決まりは後付け。
足利がいなけりゃ歴史の1ページにも残らなかったかもしれない。
その足利も中央集権としては非常に弱い。
織豊が京復興を行わなければ事実すら風化していたかもしれない。 すぐ摂家、親王将軍を得意げに出す人って…
なんだかなあ、 まあ足利からだろうな
その後の徳川で規定化した感じだが
それより鎮守府将軍だの中国史にでてくる安東大将軍、征東大将軍だのの
記述の方が面白いw
過去の日本への侵略を示しているのかもしれんな
もっと研究するのでてきた方がいいかもしれんな 朝日だのマスコミの自意識のなさをみればやつらの意識がどこにあるかってのが分かる感じよな >>316
親王が臣籍降下したら源氏になるわけだから、エセ源氏ではないだろう。
>>317
実際、鎌倉後期に惟康親王は臣下に下って、源惟康として将軍になってるから、
源氏将軍と言えなくもない。
ただし、幕府が惟康を都に送り返すために皇籍に戻して、親王宣下を受けさせている。
頼朝直系でなくても、源氏が将軍=鎌倉殿であることに北条氏は脅威を感じていたんだろうか? >>350
源惟康は源氏を名乗りはしたが後嵯峨源氏
鎌倉幕府開幕から3代続いた源氏将軍は清和源氏だから
こちらとは養子縁組してないってことじゃ? 征夷大将軍は、初めは臨時の官で
、軍隊の最高官と同時に臨時の行政官でもあった。
しかし人を害するというのを穢れとして嫌った公家によって軍隊は廃止、警察のような組織だけになってしまった
しかし地方では、争いがたえず武士が発生リーダーとして地方官として来た皇族を持ってきた。
平氏は貴族化したが、清和源氏は本分を守り武門の棟梁として将軍となりそれが慣例となった。
武士がついてこれる家柄それが清和源氏であった > 人を害するというのを穢れとして嫌った公家
私闘のレベルまで考えれば、奈良、平安期の貴族も
普通に殺し合いをやっているけど。
中下級貴族だけでなく、公卿レベルも含めてね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています