南北朝時代を語れ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
戦国時代を、
斎藤妙椿→細川政元→木沢長政→三好長慶→明智光秀のコースで
語るのが本当の戦国通 と言える.
. >>198
中世武士選書、戎光祥出版だね。
南北朝時代では菊池武光、北畠顕家、新田三兄弟、高一族などがあって、どれもなかなか面白い。 >>200
あれ上杉定実とかあるからなw
貴重な出版社だよ、でも採算が心配 戦国しかも信長以降ばかりが売れてる中、鎌倉から戦国前期の武将を扱うのはすごいよな。
菊池武光はありがたかった。 てか鎌倉、室町が不人気の理由とかいうスレが立って範囲が拡大してるな
ぶっちゃけ俺は南北朝時代の話がしたいんだけどね 全国的にマイナーと言われる歴史上の人物の紀伝体って
複数出版されてても著者がほぼ同じってケースが多いのが難点
切り口とかスタンスが当然ながら同じになっちゃうんだよなあ >>199
戦国時代は地方史ごとの同時異空間をすべて網羅しないと真の戦国通とは言えんよ
甘い >>205
わかった。
尚円→蠣埼義広→種子島時堯→安東愛季→山田長政のコースで
語るのが、本当の戦国通と言える。 みなさんは南北朝・太平記関連の本を何冊持ってますか?
またお薦めの本があれば教えてください。 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>207
「鎌倉・南北朝・室町」を知る本
日外アソシエーツ編集・発行 後南朝研究はもっと進んで欲しいな
あまり面白くないだろうけども >>211
でも資料はこれ以上出てこないのでないの?
後南朝関係の資料が今後出てくるとしたら、どういったところからなの?
熊沢天皇の子孫の家かネェww 母体は鎌倉御家人なのになんで京都に幕府を建てたのかが不思議 鎌倉時代の平頼綱や長崎円喜・高資への怨みが鎌倉幕府打倒の原動力になったのに
結局足利も外戚(上杉)vs御内人(高)となるのがなんとも >>214
名目上は、京都を敵対勢力におさえられたら敗北破滅だから
まあ、南朝との戦いの間に近畿在来勢力を配下におさめすぎて京都を離れるわけにいかなくなったとかだろ >>607
こいつは自演爺でしょ
具体的なこと聞かれると耳が遠くなる ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 だいたいどんな通史本でも観応の擾乱がはしょられすぎてて
建武の新政がはじまり失敗しました。
南北朝に分かれて尊氏が室町幕府を建てました。
直義と師直が争いました。
以下色々ありました。
話は義満まで飛びます。 >>220
古いものほど取り扱わない、新しいものは多少はベージを割いてる
という印象 太平記と名のついた本はほとんどが義満登場まで待たないよw
日本の歴史シリーズでようやく尊氏死後の南北朝争乱もある程度書いてるかな。 後光厳系が皇位をかっさらって長講堂領を接収した
よっぽど南朝や崇光系に大してコンプレックスがあったと見え
4代に渡って情緒不安定のキチガイが多いように感じるのだが >>213
後南朝は戦国時代にも活動しているんだから、その時代の文献があるだろ。 BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 >>215
今それ買って帰って来た。俺も読み始める。 なんか最近勢いがないから話題投下
後醍醐天皇って色々あれだけど非常に面白い天皇だよね
一人だけ生きてる時代が違うような 性格的には後鳥羽上皇も似てると思うんだが、後鳥羽上皇って負けたこと以外はほとんど知られてないのが難点だ 應永五年(一三九八)、崇光院の崩後、持明院統嫡流が傳領した長講堂領は
後小松院に沒收され、榮仁親王自身も足利義滿によって出家を強いられた。
皇位への望みを絶たれた親王は、一時、經濟的にも苦境に立たされたが
直仁親王[萩原殿]の遺領(室町院領)の一部を與えられ、また、舊領の
一部を還付され、主に伏見御所を居所とした。應永二十三年(一四一六)
には、室町院領・播磨國衙領を永代安堵すべしとの後小松院の院宣を賜わり
ここに、世襲宮家としての伏見宮の經濟的基盤が固められた。
いつしか御領の事どもさたありて、御百个日すぐれば、やがて
長講堂領・法金剛院領・熱田社領播磨国衙以下、ことごとく禁裏へ
めされぬ。あまりになさけなき次第、申せばさらなり。
しかれば忽に御牢篭のあひだ、親王やがて御出家あり。おほよそ長講堂
法金剛院領の事は、光厳院御置文に、親王践祚あらば直に御相続あるべし。
もし然ずば禁裏御管領あるべし。但末代両方御治天あらば、正統につきて
伏見殿の御子孫御管領あるべしよし申をかる。しかれども親王登極の
御せんどを遂られねば、力なき次第なり。
うーんこのクズ禁裏 >>227
後醍醐天皇って歴代天皇でも断トツの武闘派だね 自分で体鍛えて戦闘力付けたって点じゃ後鳥羽上皇も武闘派
安徳天皇が都落ちしたのと入れ替わりに即位した、もと幼少の天皇だっただけに、いろいろと思うところは多かったんだろうさ >>232
本人の戦闘力なら確実に後鳥羽だと思う
精神力なら後醍醐かな? 延喜の世を理想にとか言ってるけど実は中華王朝の統一者目指してるよね
諡号は後・醍醐より後・雄略がよかった >>236
まあ後宇多天皇の後に後醍醐天皇が来てたり、後村上天皇が続いてたりしてるのとか見るに、あそこら辺のは自分の正当性を主張する為にしてたんだろうな 天皇の諡号は通常は死後に追贈される。後宇多という名前を付けたのは後醍醐帝だろうさ
で、後醍醐という名前は後醍醐帝が生前から、自ら選んでいた諡号
そのあたり、後醍醐帝の思想というか意思が形になって残されてるんだろうな 宇多-醍醐-朱雀-村上と続くけど、後朱雀は既に存在していたから使えない
そう見ると後宇多-後醍醐-後村上と綺麗に繋がってる 庶家の白河結城は南朝方として大出世したけど
下総の本家結城はどうやって戦国時代まで生き抜いたんやろか >>241
下総の結城家は結城合戦で義教に滅ぼされたのでは? 義政の代になって鎌倉公方を再興したときごろか、
鎌倉公方が結城氏の遺児を取り立てて結城氏を再興した いやまあ戦国までと書いたのは悪かった謝るが
それより下総の本家は北朝側だったとか直義方だったとか終始鎌倉出張勢力に付いてたとかそういう動静を知りたかった というのも南北朝時代は混沌な印象はあれど
戦国時代とは違いまだ一族内で勢力を隔てるような動きはあんま見られない血縁観念が強かったように思えるが
結城は片方がゴリゴリの南朝方で片方なんか知らんけどは生き残った とはいえ、一族の中で惣領の座を巡って争うとかの分裂は広く見られるようになってきてるんだよな
相手が北朝側についてるからしかたなく南朝側につくとかいう形で(またはその逆)騒乱を深化させてた フルタテが新説に基づく忠臣蔵の実況て番組やってたけどなかなか面白かった
高師直と塩冶判官が一瞬だけ出てきたが南北朝の知名度が限りなくゼロに近いから話を広げられないんだろう 赤穂浪士たちが討入した季節って、12月半ばではあるけど立春の直前だよ
西暦換算で1月末だった 隠れキーマンの恒明親王について触れる向きが少ないのが惜しい 足利義詮が遺言で楠木正行の墓の傍らで眠らせ給えってかなり感動的な話なのに
ぜんぜん話題にならないね 集英社新書3月 神田千里『宣教師と『太平記』 シリーズ〈本と日本史〉4』
「戦国時代、訪日宣教師はみな『太平記』を読んでいた。
それは、この書物が当時の日本人の百科事典であり、絶大な人気を誇っていたためだった。
『太平記』受容を通して時代を分析した、革新的一冊。」
南北朝時代を描く本ではなく、南北朝時代を『太平記』を通じて知った戦国時代人の「歴史認識」から戦国時代を描き出す本。 ネトウヨのリアル知人の元英語教員が南北朝時代の意味すら知らないことにびっくりした
便乗ネトウヨはこんなのばっかりなのかな そもそもネトウヨは日本人じゃないからw
んでそいつらに南北朝の知識がある奴が稀にいると、
歴史の話よりも今の硬質に話題を持っていくという特徴もある。 >>257
>そもそもネトウヨは日本人じゃないからw
老婆も言っていたような なぜ老婆は詳しいんだろう
右翼だったか、ネット右翼のことだと思う
・朝鮮人みたいな奴だな
このような事を言っていたよ ネトウヨは北朝鮮系。祖国ではキムジョンイルに忠誠を誓うのが愛国だったから、
日本に来てもそのつもりで安倍晋三(つーか誰でもいいが総理大臣)に忠誠を誓うのが愛国だと思ってる。
老婆が見てきたのは戦時中の自称愛国者で戦争強硬派だけど自分は何もしなかったジジイたちを指していると思われ。 「右翼 朝鮮人」
検索してみると、そのようになっているでしょ?
老婆は、なんで知っているんだろう なんでもいいわ
スレ違いだから右翼の話は該当するスレでやれ 蘇我が物部を滅ぼし
天智天皇に蘇我が滅ぼされ
天武天皇が兄天智天皇を滅ぼし
藤原一族に天武天皇が滅ぼされ
院政が藤原を滅ぼし
平氏に天皇が滅ぼされ
源氏が平氏を滅ぼし
北条に源氏が滅ぼされ
足利が北条を滅ぼし
後醍醐に足利が滅ぼされ
南北朝 52年か53年しかなかった時代だよね
南朝が勝ってたら 日本の歴史はもっと良くなっていたかも
少なくとも雅子ゃ愛子はいなかったw 建武国家を標榜する連中が勝って良くなるわけないじゃん
戦前国家懐古のネトウヨかよ
愛子はいなかったかもしれんが雅子はいたかもしらん
あんたはいなかったかも >>264
スレチながらレスすると、蘇我氏は物部氏自体を滅ぼしたわけではない。
物部守屋とその関係者を倒して物部氏を蘇我氏の陣営に組み込んだだけだ
乙巳の変でも(天智天皇じゃなく孝徳天皇が主体だが)蘇我氏は滅んでない。
蝦夷・入鹿親子らは滅ぼされたが、蘇我氏そのものは存続していて、壬申の乱の頃にも大臣を出している。
蘇我氏にしろ物部氏にしろ、壬申の乱が起きるまでは相応の勢力を維持し続け、生き延びてるんだよ。
同様に。
院政が始まっても藤原氏はずっと生き続けてるし、平氏が天皇家を滅ぼしたなんてデタラメの極み。
まあ、全部デタラメってことだ
西園寺寧子をはじめて知った
大河ドラマに 出番がおばあちゃんでは無理か あー、ドラマティックだし半期もの大河とかで取り上げてくれると楽しいかもしれない
ほら、前に一回あったじゃん。半年ものと9ヶ月もの2期で2年3作のとき。
宮内庁が天皇を大河ドラマに使ってほしくないのかもなあ
南北朝時代をはじめ皇族の地位低下とかの時代を知らせ広めたら
崇敬が薄まるとか考えてるのかも 質問なんですが、足利尊氏の逆賊評価って著しく不当だと思うんですが、戦前や右翼はなぜ足利尊氏
についてそういう評価をしなければならなかったのでしょうか 尊氏は南北ともに手のひら反ししたけど、どの面さげてってどちらの朝廷も言わなかったの? >>272
後醍醐天皇を裏切ったのは尊氏としては仕方なかったことだと思う
でも後醍醐天皇に対抗するために「錦の御旗」として自分が擁立した光厳上皇や光明上皇たち(北朝)を
正平6年(1351年)に南朝に降伏したときに南朝に引き渡したのは逆賊扱いされても文句言えないんじゃないかな
光厳上皇・光明上皇・崇光上皇と直仁親王は南朝のもとで何年も軟禁されていたんだし
一般的には後醍醐天皇に対する逆賊として見ているんだろうけどね そんな昔の話を今の皇族が問題にするとも思えないけど、
いずれにしても南朝正統論で騒ぐ奴のせいで南北朝時代が語りにくいのは事実。 だよな
騒ぐのは皇族じゃなく一部の南朝正統論者だけだ
現皇族の祖先を皇位から遠ざけようと(詳しく言えば廃位しようと)頑張っていた、祖先たち(北朝の天皇たち)から見て逆賊である人々を尊崇するという、
むしろ敵対的な人々なんだよな。
なぜか宮内庁にも、その手の逆賊信奉者が紛れ込んでるらしいのが気になるが。 昭和十二年文部省の国体の本義も、いわゆる皇国史観の平泉澄も、
戦後国体護持の為に神社本庁作った葦津珍彦も南朝正当の立場だが もちろんそうだよ
皇統を絶やしたいんだ、とかアホなことを言う奴が居るからね 水戸学や国学の系統の宗教家たち以外で南朝正統論者っているのかね? うん、江戸時代以後のことはすべてスレチだよな
とうぜん、近世・近現代に展開された正閏論もスレチとなり 正平一統が破れ第二次八幡合戦が終わった後の流れを詳しく読める本があるといいな。
建武の新政から新田義貞戦死までが詳しく紹介されてるのに、
いくらワンサイドとはいえ九州以外の南朝の戦いもあるだろうに。 南朝全史でもそれなりには扱ってるけど、詳しくというほど詳しくはないな
現状、他にもっと詳しい本とかは、あるかどうかすら不明? 正平のあとに三度の京都侵攻があったから、それを掘り下げた書籍読みたいな。 >>271
関係ないけどWikipedia日本語版の日本三大悪妖怪は流石にアレだと思ったわ
酒呑童子と玉藻前のページに「日本三大悪妖怪である(出典元なし)」と書かれる→いつの間にか崇徳上皇を加えて日本三大悪妖怪のページが出来る
→Wikipediaをコピペして本に載る→それを読んで一般に広まる→ゲームや漫画を通じて海外にまで拡散
史実を元にドラマにするのはそこまで問題ないとは思うけど
こうやって悪妖怪とか捏造されて拡散されるのは嫌がりそう >>291
「北畠親房は顕家の父」と言ってるのと同じくらい説得力がありすぎ 何か、南北朝関連の読本が何冊か出され始めたな
応仁の乱の次は南北朝を推していくつもりか?
いずれも後南朝は見事にスルーされてたけど 俺が足利尊氏なら、後醍醐天皇が崩御したら、
天龍寺なんぞ建立せずに、大軍で吉野を攻め落とし、
後村上天皇を何が何でも捕える
あの時点なら南朝の畿内における確かな軍事力なんて北畠親房ぐらいだ
絶好の機会だった 北畠親房も宗良親王も吉野から東国を平然と往復してたりして、
沿道の幕府軍は何をしてたんだといつも思うわ 中国の南北朝は領土の地図があって
わかりやすいが
日本の南北朝で領土の地図を見たことがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています