>>21
後醍醐側の主張だっていうけどさ、光厳在位期間を除きその前後は
後醍醐が作った形式がリアルタイムでの現実じゃん。
最後の1行は単なる事実じゃなくて「解釈」(〜に従えば〜となる)。
重祚というからには践祚の儀を執行しなければならないのに
後醍醐は重祚じゃないという形式をとり年号も最初から継続させた。

念のためにいっておくけど、
これは「俺が」光厳の在位を認めないってことではないよ。
光厳の在位は、これはこれとして厳然たる事実、消せないと思ってるよ。
即位の手続きも正当だし、おそらく保持していた神器も本物だろうね。

ただ、だからって後醍醐を重祚扱いにするのは
事実に背いた北朝側の後付け(後醍醐が吉野遷幸した後で)の解釈だってこと。