後醍醐天皇が「重祚ではない」と強弁しただけで、実態としては重祚だよな。

後醍醐帝が隠岐に流されていた間は光厳帝が天皇として職務を行って、その状態で政治が動いていたってのが実態だ。


それでも、後醍醐帝が樹立した政権が勝ち残って光厳帝の系譜が敗北・消滅したならば、
後醍醐帝による強弁が公式化してもいいんだが、現実には後醍醐帝は敗北して光厳帝の系譜が生き残った。

となると、光厳系による公式の立場こそが正式採用されるべきであって、
勝ち残ったはずの光厳系による主張を廃棄するなんて正気の沙汰じゃない。
少なくとも「当時の建前」「当時の公式記録」として、光厳系の主張の方を優先的に採用しなければ、イデオロギー汚染された歴史認識に成り下がってしまうだろ。