日本史における武士道の発展と役割について
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>>129
斬捨御免って、明治維新信奉派の人からは悪習の代表呼ばわりされてるけど、
「状況によっては一般武士も裁判権・処断権を行使する権限がある」ってだけで、
どういう事情、状況・理由で行ったのか書面で報告する義務があったわけでな。
不当なことだと判定されたら武士の方が処罰されることもある。
腕試しに辻斬りするような武士は取り締まられてるよ
>>137
いや、平安時代の武士なら野戦のプロと言ってもよかっただろ。
そのころには、武士の常識が少なからず人道に抵触していたけどな。 だからさ、武士は野戦のぷろってなに照明だよ?
元寇をリアル討伐さした当時の越に、平安武士が勝てたと思う理由はなに?
当時西洋はなん十万の三百年に及ぶ西洋国家連合の騎士団を撃退さしたイスラム兵団より野戦が強いとかほざける島猿根性理論はなに? 西洋から三百年にも及び、ヒッキリナシに騎士団送り込まれ、三百年闘い抜いたイスラムに、平安武士なら勝てたと、その馬鹿面でいってみろ? プロって言葉の基準はそこまでハードルが高いもんじゃないだろ
戦争を職能としていて、その職能を期待して雇い入れる人が存在したんだから、
戦争のプロには違いないわけだが、他地域のプロたちを相手取っても勝てるような「プロ中のプロ」ではない。
プロ中のプロじゃないとは言っても、プロの端くれではあった。それじゃいかんのかね?
それに、日本の武士は集団戦のプロと呼べる状態じゃなかったからなあ。 凄く大雑把に言えば、武士道は「職業軍人のモラル」だと解釈してるな
江戸時代の武士は領地から切り離されて実質給料を貰っているのと同じようなものだったから
それ以前の地主としてのモラル、一所懸命とは違ってきて当たり前 そもそも江戸時代の武士層は元地主階級とはまるで違うんだが イスラム兵団なんかカナヅチ振り回すシャルルに負ける奴らだろ。
しかもトルコ系の奴隷に頼って逆に支配されるような奴らだ。
アラブ人イスラム兵団など形骸に過ぎん。
あえていおう。カスであると。 オスマントルコの最強軍団は白人奴隷軍団。情けない。 つうかいつから猿の惑星の土人がフランク王国以上の格付け的な目線で話してるわけ?
気が触れたのか? サラディンが奴隷兵士に頼ったのも、すでにファティマ朝が黒人奴隷兵士と、黒人宦官に支配されていたからだ。
アラブ人貴族はとっくの昔に今川義元みたいに公家化してたわけだ。 >>129
普通の武士はそんな野蛮で下劣な行動は取らない。
切捨てなんかしたらあとあと面倒なんだよ。
狂人認定され、周囲からの信用を無くし、武士としての価値はゼロになる。
辻斬りといえば幕末の薩摩藩士が深夜にコソーリとやってた。
昼間の示現流じゃ江戸の新流流派(神道無念流、直心影流等)には太刀打ち出来ないので、町人相手に深夜にズバッとお見舞いしてた。 んむ
幕末の勤王テロリスト(勤皇という名目で辻斬りと押し込み強盗と要人暗殺を繰り返したテロリストたち)を除けば、
辻斬りなんてそう頻繁に現れたわけじゃないよな。 武士の淵源は、俘囚軍、とは喜田貞吉ほかの説だけど、
奈良時代の東国防人なんかも淵源の一つと思う。 >>103
オソレスだけど
徳川時代以前の武士は、綜合警備保障の社員みたいな感覚だった
ではないかな?
幹部クラスは、デモ及び集会の管理マニュアルとか、誘導マニュアルとか
研究して、警備員の配置とか色々と気を使うことができるし、
暴動を起こさせないような研究も色々とやっているだろうけど、
下っ端の警備員クラスはアルバイトでまかなえと言った感じで
ただ、平安時代から徳川時代までの日本は警察と言うのが実質的に
なくなっていたから、綜合警備保障が治安を維持していただけで、 ↓のような事情から考えても、『葉隠』なんかが書かれた江戸時代よりずっと前から
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかり也。」
的な考えは有ったのではないかと。
12 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 07:57:22.48
>>5みたいな「自殺=悪」って考え、
西洋のキリスト教の考えに毒された結果ではないのか。
昔の日本では自害できなかった平宗盛は悪く描かれ、
一方平維盛は生前は平宗盛同様(というかそれ以上に)失態続きだったが
最期の自害(公より私を重んじて離脱した上での自害なのに)で
一躍悲劇の貴公子に格上げされた感がある。
13 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 08:20:24.13
日本は負将が敵の手にかかるのは恥ずかしいという文化があったからね
万が一負将が敵に捕まった場合の処刑方法が残酷だったせいというのもある(市中引き回しなど)
また負けた夫や一族と運命を共にし自害した女性も美化される傾向が強い 149
違うが?
奴隷に頼ったんではなく、奴隷傭兵が一つのカテゴリに含まれてるだけで、
単に奴隷運用のひとつとしてただけ
イスラム人自体が全体として将校化してただけ
バカはそれを奴隷に頼ってたと解釈するんだな?
さはディンの時代は決して奴隷に屈服してない
コントロールできてるから十字軍団を撃退できた
奴隷がちからもつのはその後 やっぱり、どこの国でも人を殺す穢れると言うか、祟りがあると
言った感覚はあるのかネェ
権力を握って3代も経つと、自分の手で人を殺すのはためらうように
なって人殺しは他人にやらせるようになるのだからな
平安貴族も人殺しは他人にやらせるようになったから、
武家に天下を取られるようになったのだし、 サラディン由来のアイユーブ朝なんかすぐ滅んで、
シャジャル・アッ=ドゥッルみたいなハーレムの雌奴隷に逆服従する奴隷集団に逆支配されてるだろ。
スルタンのハーレムの雌奴隷に臣従するオス奴隷軍団ってどんだけマゾな軍団だよ。 >>152
弓騎兵戦術や刀は確かに俘囚由来だけど
基本的に武士は独立自衛農民で税金踏み倒してた連中だよw
摂関家や皇族に使えることでその特権を維持してた。
不人気だった大河ドラマ平清盛で武士を犬呼ばわりしてたけど
実際はそんなことはなく白河法皇の男の愛人には武士が多い。 >>157
マムルークに限らず、アッバース朝も傭兵のトルコ人に主客転倒されているけどな。 武士道を考えるには貨幣経済について考えるのも重要だな。
平安時代から江戸時代まで日本では貨幣経済は一般的でなかった。貨幣は中国から輸入したものしかなかった。
博多や堺はいざ知らず、地方では金で雇おうにも超デフレ社会で、コインそのものが珍しかった。
田畑や山林、牧場をもらえばコインがなくても生活できた。 平安以降、東日本人が近畿周辺に移配され、屠畜や皮細工に関わったと言う
説があるじゃない。
同様に「関東侍」と言うか、殺生を専門職とする職能はついに
畿内では発生せず、狩猟民末裔たる東国自衛民から発生したと言う説は
説得力あると思う。 警備員のバイト代が米袋とか田んぼみたいな世界だ。ビットコインの真逆の世界だ。
しかも今のブラジルみたいに警察官がストライキしてる間に商店街が略奪されてる感じ。
いやでも柔道家のプーチンみたいなのに頼るしかない。 西日本の武士は公家に臣従した瀬戸内海・北九州の武装漁民がメインだろ。
藤原純友、清盛もそうだし、毛利とか大内とかもそうだ。
武装漁民、海賊、水軍は別に殺生を禁忌としない。 村上や九鬼、五島とか武装漁民あがりの海賊上がり武士が西日本はうじゃうじゃいるよな近世でも >>161
平家が台頭した時宋で宋銭が無くなっただろ
いつの時代の歴史書読んでるんだ図書館行って新しい本も読めやw >>165
西遷悪党で武士もどんどん鎌倉から西日本に送られてるが
元寇以降もな。
承久の乱以後は西日本に大量の地頭が送り込まれてるよw
天皇領はあってなきがごとし。 >>161
>平安時代から江戸時代まで日本では貨幣経済は一般的でなかった。貨幣は中国から輸入したものしかなかった
自力で貨幣を発行しうるほど、朝廷の経済力が大きくなかっただけ。
貨幣の普及度そのものは高く、荘園から領主への年貢納入が基本的に貨幣って状況になるまでは、まあ早かった。
平安末〜鎌倉時代ぐらいになると、京都近郊を除く多くの荘園は、現物ではなく貨幣で年貢を納めていた。
その貨幣の輸送も手間だからと、手形・割符を用いて納入したりもした。(額面、銭10貫文とかが、銭と引き替える証文が多かった)
だいたい室町時代後半から戦国時代にかけて、銭の需要は伸び続けてるのに供給が途絶え、貨幣不足によるデフレが続いたことから、
貨幣流通に深刻な混乱が生じたので、しかたなく年貢の米納が行われるようになったのが戦国末 京都に花背別所と言う、山奥の地区がある。
むかしは御所警護の「武士」をたくさん出したと言い伝えられていて、
姓は「佐伯」が多いとか。
このあたり、近畿武士の由来を物語っていると思う。 現在のヤクザでも、しのぎの手段は色々あるだろう?
覚せい剤密売が主流の薬局系とか
売春が主流
飲み屋の用心棒
手形取引・不動産取引に絡むトラブル処理
芸能に手を出す興行系
博打・パチンコの博徒系
大企業や政治家に絡んでの用心棒系、
土建に絡む土建系等
徳川時代以前の武士も色々とあったのに、
なぜか天皇家・摂関家に絡んできた、寄進系の農業経営者が
武士の主流みたいな歴史観が作られてきたのだな
これは徳川時代の武士の方も、ご先祖様を美化して語りたいの
需要でそういう歴史観が作られたのかな? 天皇家とか公家は絹が通貨だったってマジ?
平清盛が宋銭主体にもっていって勢力のばしたんだってね 支配者が野戦で全国制覇した徳川だから、武士道のメインが騎馬武者地主が主力の野戦になるのは仕方がない。
関が原で毛利が全国制覇していたら武士道のメインが漁村や水軍になっていたかもしれないがな。
瀬戸内海が中央の毛利幕府だと、軍役の基準もだいぶ変るだろ。
上級武士は安宅船一隻とか。 だから絹を中心とした価値観が崩壊して銅銭に対し絹の値段が下がっていったのが
打倒平氏に繋がった歴史があるとかなんとか、、、 >>168
日本では永楽銭が使われていて明では馬蹄銀だったから
ほぼ日本向け輸出品だった。
お前いつの時代の歴史書読んでるんだよ。
商品経済の発展がないと織田軍団の強さが理解できないだろw 肥大した武士道なき織田軍団は家臣の裏切りによってあっさり崩壊した。
徳川軍団が武士道を重視したのは、織田軍団の二の舞にならないため。 >>175
外様大名の牙抜くために朱子学を導入したんだよ 永楽銭ってのは、永楽帝の時代に発行されてた古銭で、15世紀初頭のものだろうが。
永楽帝の在位期間は1403年 - 1424年だぞ。
それと、中国(明)から日本への銭の流入は、遣明船による公貿易より密貿易のほうが量的に多いだろ。
公貿易自体も15世紀のうちに滞ってしまうが、密貿易の方も、中国で買い入れて日本に持ち込む貿易品のうち、
利益率の高い主要商品のリストから、銭貨が脱落して儲からなくなったんで、16世紀初頭ぐらいから日本への銭貨の流入は止まったわけ
中国での銭貨の価値が上がったってのもあるんだろうが、中国の生糸の値段が下がって、これを輸入するのが美味しくなったかららしい
銭貨の輸入が途絶えてデフレで貨幣経済が混乱したことが元で、15世紀後半から撰銭令が出されはじめるわけだが、
混乱が早くに始まった西日本が早く、少し遅れて京都で撰銭令が出され、東国では16世紀に入ってから撰銭令が出たわけだな
関東なんかは16世紀も半ば近くなってから混乱が本格化しただろ、だから後北条氏の年貢が銭から米に切り替わったのは遅い
貨幣経済の発展が織田軍団の強さの秘訣とか、半世紀ちかく前の古い説かよ? まあ貨幣経済では桶狭間の勝利は説明できないよな。
貿易で成功した大内が毛利に負けた理由も説明できん。
大友が島津に負けた理由も説明できない。 >>172
網野さんがそういった視点で、百姓=農民じゃない
といった本を書いていたけど、
武士=農業経営者=領主だけではない
商売系や漁民系、僧兵や神主上がりの経済利権系の武士だって
たくさんいると言った本は誰か書いていないのかな?
結局最終勝者が百姓上がりの徳川家だったから、武士の起源が
武装農民団ということになってしまったけど、
これが毛利とは言わない、平家とか信長の家だと、経済利権の
資料がもっとたくさん残って、ひょっとしたら武士の起源は
武装商人団ということになっていたかもしれない。 平家もどっちかっつーと瀬戸内海の武装漁民&輸入代理店系だったが、
義仲や義経相手の地上の野戦で完敗したからな。
海上戦の経験ばっかりで馬術がヘタクソだと、鹿が通るなら馬も通るみたい障害馬術がわからないで奇襲される。
馬イカダみたいな高等集団馬術もよく知らないからあっさり渡河許す。
弓矢で漕ぎ手を狙うのは卑怯!とか身内ルール言ってるうちに次々航行不能になる。 なぜ日本は明治維新から短期間で世界の一流国に上り詰めたのか?
その背景には武士道があるのではないか?
と妄想してみる。
武士に二言はない。
この言葉の実践は、強烈な自尊心を育て上げる。
武士道から受け継がれた文化である「約束を守ることの美徳」が日本人の精神性と行動力に大きな影響を与えたのではないだろうか。 だからよ、武士道なんて大正時代に広まった創作だろが
明治維新は各藩は借金踏み倒しだらけだわ下士の娘なんて身売りたらけだわ
幕府方諸藩の殆どが簡単に薩摩長州に願えるわ、暗殺略奪が横行するわ
どこに武士道があった? >>183
しいて言うと新撰組だな
負け組み連中だな
まあ、どの時代も勝ち組というのは卑怯者だよ。
源平合戦の義経なんか、あの当時の戦争ルールを無視して、
舟のこぎ手を狙い撃ちして勝ったのだろう? もともと幕末までに、それなりに経済力が高まっていた
商品先物相場(市場、取引)とか信用貨幣のような現代的なシステムが、欧米より先駆けて江戸時代にすでに存在するしな。
また、幕府による開国時の対処方法が、国富の海外流出を最小限に抑えるための、おおむね適切な応対だったことも幸いした
(ただし、小判両替による金地金の海外流出だけは対処できなかったっぽい)
そこに、武士道の介在する余地はない 船の漕ぎ手を狙うのが卑怯というのはあくまで瀬戸内海限定のローカルルールだ。
そもそも奥州の内陸育ちの義経は海戦とかそれ以前には、やったことない。
別に水軍の大将でもない。 義経が漕ぎ手を狙ったって話そのものが、平家物語による創作譚じゃないの? むしろ何も知らなければ狙うのが普通で、
漕ぎ手は狙わないってのが海戦の素人にはわからない暗黙のルールって気がする。 >>185
信用、手形は鎌倉時代からあるがな。金融全盛は日本は中世からで
金貸しがゴロゴロいる時代で闘茶のような高額賞金を絡ませるゲームを
大名が好んでする武士道とは無縁の世界なのは同意だが 武士道=お家道
祭祀礼節教養(心技体)なり
お家を繁栄させる技なり
お家の名誉を守る意識から発生する様々な礼節なり
家系の繁栄
名家の誕生は
西側諸国が他国に対し一番嫌う風景なり 主君の為に死ぬと書いてサムライ
武士道とは自己犠牲 日本人は何でもかんでも道にしてしまうからな
欧米だと、カトリック修道院の掟が宗教改革を経て
近代市民社会の契約社会の法治国家に発展したのに対して、
日本は道元さんの禅の教えが、儒教の道徳と結びついて
ナンたら道になって、商人道、武士道
あげく剣道、柔らの道、野球の道になったのだからな 進行形にするのが道だろ?
武士ingみたいな感じ武士の道を進む
ボクシングとかフェンシングみたいなさ >>33
スメラ系が天皇陛下、貴族、常民。
アスカ系が聖徳太子、武士、山人。
のちに大化の改新以降、
アスカ系は征夷大将軍。 >>33
ちゃうちゃう
主君の為に死ぬってアイヌ語だよ 武士の間の常識がどのようなものだったかを調べたら、
「主君のために死ぬ」という概念が普及するのは江戸時代に入ってからだからなあ。
それまでの、黎明期から戦国時代までの長い期間の武士は、「主君のために死ぬ」と考えることが少なかった。 >>84
戦前は特別高等警察が抑え込んでいた。
現代に必要なのは内務省と特高と治安維持法。 >>85
馬鹿か。
GHQが後ろ盾になったのがヤクザや地下経済組織。 >>88-90
>そもそも武士とはなに?
富裕農家が地域の名望的意味合いで必然的武装化し始めた概念的武士と、
応仁以降地域基盤が完全崩壊して世の中で、偶発的に武装化し始めた戦国武士層(雑多出自)は、
中世では同じ武士に分類されるが、質や意味合いはまるで違う。
武装富裕農家は武士としての成分は質は高いが、時代の寵児にはならなかった
かた時代かたや世の乱れにより出現した偶発的武装化によった戦国武士層は現代のマフィアに近いだろうが
結果として時代の寵児になった
能無しは黙ってろ。
武士の起源はアスカ人。
アスカ系、征夷大将軍、武士、山人
スメラ系、天皇陛下、農民、常人 >>200
地下経済組織って旧陸軍の退役軍人系のもかなりの大人数だろ なんで明治生まれの武士道に、そんなに歴史を付けたがるのかねえ >>203
明治じゃなく大正だろ
明治には武士は撲滅すべき者とされてたじゃん >>204
いや、新渡戸稲造が「武士道」を創作したのは明治帝の御代だ いや武士道って言葉自体は江戸中期に既に葉隠であったぞ
メジャーなものだったかどうかは別として
武士「道」なんて概念は、武士はこうあるべきっていう体制側の都合で武士を勝手に定義づけしただけであって、時代によってその内容は変わってる
結局は当事者以外の連中が「武士はこう振舞え!」って言ってるだけ
当の武士達は日々の生活に手一杯でそんな御託並べてる暇なんてない 公然とお家え乗っ取りが成功した所の家臣が書いた訳さねw>葉隠 0005 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/26 22:49:50
武家の子孫である俺が爺さんから聞いたことを教えてやる。
揉めたら、取り敢えず、相手を斬り殺してから、善後策を考える。
それが武士や士族(武士の子孫)の発想。
それでは社会が持たないので、殺人による処理に制限をかけるための、武家専用思想。それが武士道。
でも外からみると自制してるみたいで格好いい。
まあ、エヴァにとっての拘束具・外装のようなもの。 0016 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03 12:35:28
俺も士族の末裔だけど、>>5 の言う通りだよ。
別に格好いい「道」ではない。
要は、「そんなに直ぐに誰彼構わず殺すな。よく考えてから殺せ。」というもの。
0102 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/10/11 13:59:41
エバァに例えて申し訳ないが暴走したらどうするの?
やっぱハラキリか?
0106 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/10/11 17:49:57
>>102
暴走したら、周りが力づくで止めるまで、斬り殺し続ける。
「危ないから、士族の子孫は煽るな。」
これは、警察学校やヤクザ社会でもそう教えられてるらしい 0107 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/10/11 23:43:46
まあ、武士の一族は、他人様ぶち殺して生き残って、国家権力まで手中に収めた集団だからな。
それを何世代もルーティーンでこなせる割り切りもあるわけで。
ヤクザのような脅しレベルじゃないわけだ。国家権力に虐げられてるヤクザとは戦闘力も戦闘経験も経済力も気概も桁違い。
まず、斬り殺してから、考えるとか、もうね。興奮せずに、目の前の石ころでものける感覚で切り捨てちゃうわけね。
そりゃあ、大いに自制してもらわないと社会持たんわw
そんなのの遺伝子もった士族の子孫が日本に数%いること自体に恐れを抱くよ。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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念のためにのせておきます
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GGF >>216
そう言う場合の「日本人」は縄文人ではない
縄文人は殺し合いをしない共生文化の持ち主だから武器は作らなかった
それで渡来人にあっさり制圧されてしまった
これは英国も同じ
英国王室はフランス人
大陸で常に殺し合いをしている連中には敵わない 俺の中途半端な知識では、当初の天皇は新羅の王の息子だから
新羅の国力を背景に日本でも絶大な権力を持ったと思われる
しかし、半島の新羅だの百済だのの小国の者にとって日本は広すぎた
いつしか手下だったサムライが各地で力を持つようになって立場が逆転していく
天皇は強い武家について戦の裏付けをするシャーマンになり果てる
結局、天皇というものが日本に持ち込んだものは、神社と身分制度と戦争だ
戦国時代も末期になると、天皇は極貧状態に追いやられ
葬式もされずに腐乱死体で放置される天皇もいた
そんな新羅派と百済派が私利私欲で戦うだけのしょうもない国をまとめたのが徳川
江戸時代はそれまでの半島人支配から華人支配になり、日本に大きな変化をもたらす
サムライは理由なく農民(縄文人)を切るなと御触れがでた
庶民にも教育が与えられ、農民が武士になることも可能になった
世界最先端の社会インフラが整備され、ラジオのない時代に各地の言葉が通じるように
仕組みが考えられた
民のため、国益のため、国の将来のための政治が行われた最初で最後の時代が江戸時代
しかし、英国が日本をISIS化するために、山口県の田布施村という朝鮮部落から
天皇一味を掘り起こし、再び下劣な戦争屋天皇の国にしてしまった >>217
>これは英国も同じ
>英国王室はフランス人
>大陸で常に殺し合いをしている連中には敵わない
ノルマン人に征服されたのも大陸から来たアングロサクソンだろう。
もともと住んでたブルトン人はアングロサクソンやデーン人に蹂躙された。
アングロサクソンが互いに血で血を洗う激しい抗争で弱ったところに乗り込んで征服したのがノルマン人。
フランス王の臣下とはいってももともとはバイキングだからフランス人というのは微妙。 初めまして。
武士道のスレッドを探しているのですが、5chではここだけでしょうか?
他板でご存知の方いらっしゃったら教えてください。
もしいらっしゃらなければここが唯一ということになりますか? ・武士の役割
日本土人を捕獲して首を切り落とすこと
・これが戦国時代には
日本土人(農民)を捕らえて奴隷売買、海外に売却
・しかし江戸時代になると
日本土人(農民)を理由なく切るなと御触れが出て
日本土人も武士になることが可能になった
江戸時代前後は半島系支配だったが、江戸時代のみ華人支配
華人視点では、朝鮮武士も日本土人も同じに見えたということか >>219
文系バカの典型だな
それを書き込む意味なし、読む価値なし
生きてる意味なし >>221
初めて聞く視点です。
ソースは主に何ですか? もっと武士道の話がしたいんですがスレッドも他になくて
どなたか興味のある方いらっしゃいませんか? ┏━━┓ ,, -──- 、._ ┏━┓┏━┓┏━┓
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┗━━┛ ┗━━┛ :ヽ :i |: ┗━━━━┛ ┗━┛┗━┛
:/ :⊂ノ|: Wikipediaの兵/軍事貴族の欄久しぶりにみたら、軍事貴族の定義がもう滅茶苦茶な記述になっるのな。
島津の祖の秦氏まで軍事貴族に分類されているのには恐れ行ったわ。
学界の第一線でだれが秦氏が軍事貴族だったなんて書いてる?
軍事貴族/兵が単純する契機になった
寛平延喜東国の乱や、承平天慶の乱の鎮圧勲功者に秦氏がいたなんて聞いたことないし、
学界の第一人者の研究でも寡聞にして聞いたことなどないぞw
いたらどの学者がそんな説を定義してるのか教示して欲しいわWiki。
胡散臭いわ、やっぱりWikiは。 生きることをスポーツの競技と捉え、そのスポーツの競技をスポーツマンシップにのっとって正々堂々闘い抜くこと。それが、武士道であろう。 >>221
無能で創造力のない朝鮮人は他者の成功を盗んでプライド守ってるザコw無能だから方法が盗むしかないw 愛のうた
引っこ抜かれて、あなただけについて行く
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる
ほったかされて、また会って、投げられて
でも私たちあなたに従い尽くします
そろそろ遊んじゃおうかな
そっと出かけてみようかなーんて
嗚呼 嗚呼 あの空に
恋とか、しながら
いろんな生命が生きているこの☆で
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる
引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて
でも私たち愛してくれとは言わないよ
そろそろ遊んじゃおうかな
もっと頑張ってみようかなーんて
嗚呼 嗚呼 あの空に
恋とか、しながら
力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします
立ち向かって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ
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