>>161
>平安時代から江戸時代まで日本では貨幣経済は一般的でなかった。貨幣は中国から輸入したものしかなかった

自力で貨幣を発行しうるほど、朝廷の経済力が大きくなかっただけ。

貨幣の普及度そのものは高く、荘園から領主への年貢納入が基本的に貨幣って状況になるまでは、まあ早かった。
平安末〜鎌倉時代ぐらいになると、京都近郊を除く多くの荘園は、現物ではなく貨幣で年貢を納めていた。
その貨幣の輸送も手間だからと、手形・割符を用いて納入したりもした。(額面、銭10貫文とかが、銭と引き替える証文が多かった)

だいたい室町時代後半から戦国時代にかけて、銭の需要は伸び続けてるのに供給が途絶え、貨幣不足によるデフレが続いたことから、
貨幣流通に深刻な混乱が生じたので、しかたなく年貢の米納が行われるようになったのが戦国末