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日本史における武士道の発展と役割について
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0001日本@名無史さん
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2011/12/20(火) 18:55:22.86
考えよう
0092日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 13:32:54.88
今のサラリーマンに甲冑着せても乗馬はできない。
また馬が借り物ではニワカに過ぎない。

足軽鉄砲隊が大勢いれば武田騎馬軍団にも勝てるかもしれないが、それはあくまで苦肉の策。
0093日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 13:35:30.70
江戸時代の軍役でもあくまで主力は乗馬した武士。
徒士や足軽はあくまで補助に過ぎない。
0094日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 19:41:39.87
裕福なごうのうがなぜ馬ごときがいないと思うのか?
ごうのうは馬はのってるはずがないという固定観念はまさに農民は弱いのが前提というはなしでじょ

普通に豪農屋敷には馬小屋あるんたがな?
戦闘で鍛練されてないというが、なら守護大名たる貴族は今の鍛練などしてない

豪農は馬を持ち、また馬に乗ることも可能
ただ、所詮は騎馬戦闘なんて幻想
騎馬武者も戦闘時は下馬して戦う

憶測や農家への弱者目線がそうさせるのだろう
そもそも軍事鍛練だけを生業にした武士なんて鎌倉以降は楠みたいな一部の武士か、
戦国以降は足軽盗賊か傭兵だろ
0095日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 19:50:33.59
>>91
大前提忘れてるが、
そもそも名門足かが幕府が紀伊討伐で伊賀や甲賀にぼろ負けしたのはなぜだ?
その伊賀や甲賀、戦国の雑賀は貧農だらけだぞ

秀吉軍団は精強な生粋の武家出自軍団なんて聞いたこともないが強い
型にはまった流鏑馬程度や剣術程度が戦で通用するなら、室町武家衆はこんなにごとごとく滅ぼされてないはず
0096日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 19:53:58.20
織田軍団の強さは兵農分離だろ
0097日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 20:09:38.68
まあ、お武家さんが、自分たちのイデオロギーに
禅と儒教を取り入れたことはかなり注目されても
良いとは思うのだが、
0098日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 20:10:19.33
織田クラスの雑多集団の専属武士化だから強い
なんせ雑多は武士以外食えるみちないからな
しかも一攫千金ありだし
逃げ道がない雑多はそら強いでしょ
0099日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 20:36:28.83
講武実用流 江戸幕臣(東京都)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都)
天真一刀流 江戸高崎藩士(東京都)
天真白井流 江戸岡山藩士(東京都)
一刀流高柳派 江戸幕臣(東京都)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
直心影流男谷派 江戸幕臣(東京都)
直心影流長沼派 江戸沼田藩士(東京都)
直心影流島田派 豊後中津藩士(大分県)
神道無念流・戸賀崎流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・岡田派 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・斎藤派 越中仏生寺の百姓(富山県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡心明智流 駿河沼津藩士(静岡県)
心形刀流 江戸幕臣(東京都)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県)
甲源一刀流・比留間派 武蔵梅原の富農(埼玉県)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
香取神刀流 常陸笠間藩士(茨城県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県)
薬丸示現流 薩摩藩士(鹿児島県)
0100日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 22:48:39.50
>>94
斬り合いは下馬してからが多いんだろうが、騎馬武者の本来の戦いは騎射戦闘だろ
弓折れ矢尽きてのち、斬り合うんじゃん。(もしくは敵を追い詰めてから)

>>96
むしろ、尾張兵の弱兵ぶりの原因じゃないの?
尾張の弱兵って有名だったらしいしな(ホントカヨ
0101日本@名無史さん
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2014/06/04(水) 00:34:51.44
矢がつきるとかなに時代の話よ?元寇時代の武士の話なら確かに当時は武士はいたが、
奴等は豪農でもあり、ざいち領主でもあり、商人でもあり、武士でもあり、
奴等こそマルチプレーヤーなんだけどな
0102日本@名無史さん
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2014/06/04(水) 08:59:12.19
>>101
日本全国を統一的に網羅する公平で均等な警察も、法律も
裁判所もない状態だからな、
完全自立救済主義、自分の権利は自分で守るしかないわけで、
それこそ自分で警察から裁判所まで網羅しないといけないから
0103日本@名無史さん
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2014/06/04(水) 12:34:52.43
>>102
だよね?
で彼らは武士という概念的部分にそんなこだわりあったとかんがえてますか?
領主としての意識はあるが、武士専属となんておもってないですよ
防人など一般警備専門は下層がやるものだし
0104日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 09:30:28.08
室町武家衆は晩年の今川義元みたいに眉毛抜いておしろい塗って蹴鞠するような公家化した武士だろ。

駿河の今川や大内、朝倉でも一瞬で公家化する。

織田軍団は確かに秀吉みたいなリアル農民足軽上がりも大勢いるが、幹部は斯波氏に仕えた武士、城主が中心だ。
徳川・松平もそうだ。
0105日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 12:42:03.39
何故名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」 

尾張の歴史

◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。

藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼

◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国幡豆郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。

◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。
0106日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 13:25:17.55
戦国時代の最終勝利者は秀吉ではなく、家康だが、
足軽農民武将の限界を証明したのが小牧長久手の戦い。

秀吉得意の水攻め、水軍攻撃も通用せず、
武田相手に鍛えられた騎馬、使い武者、馬廻りを駆使した複雑な機動戦の前に秀吉も屈した。
0107日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 14:13:23.60
長柄とか鉄砲は、乗馬に比べると習得しやすい。普段から馬飼う必要ない。
だから無理して平時から準備しなくていいともいえる。

しかし馬飼って、乗馬習って、早馬したり、馬廻りするのはすぐにはできない。
今でも金や時間がかかる。
0108日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 14:24:13.65
洋の東西を問わず、それこそローマ帝国や中国古代王朝の昔から、
騎馬は特権階級の証だからな。
モンゴルみたいな特殊環境は別だけど、穀倉地帯で馬を飼うのは
人口の一部しか無理だから、必然的にそうなる。
0109日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 16:35:36.34
>>106
信雄を助けようと出向く家康を尾張以東で押しとどめつつ、
本命の信雄を全力で叩きに行って勢力削りまくって、
信雄が耐えきれなくなって講和(という形式の屈服)するように仕向けた戦いだから、
戦術面では家康が勝ったとはいえ、戦略面では家康のほうが惨敗じゃん

そんなんで家康が秀吉に勝ったとか、寝言みたいなもん
0110日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 19:06:23.27
おめーらよ
貧農あがりの雑賀、根来にその徳川豊臣を包括する織田軍団は何回駆逐されてんだたこ
石山本願寺に信長はいっさいかててねえだろたこ

しかも斯波に使えた武士て普通に在地地侍が大半墮ぼけが

地侍とは富裕武装農家だぞたこ
しかも島原の欄では幕府軍団ソウダイショウ板倉は討ち死にされてんちゃうんけ

挙げ句は幕府の旗本は幕末、長州の奇平隊に一日でボコラレてんちゃーんけ?
0111日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:08:41.15
しかも武田の騎馬隊とか今時ファンタジーこいてるていのうはなんなの?
0112日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 19:19:09.01
107
その馬上技術なんぞ費用対効果が壊滅的だから幕末なんぞ騎兵隊なんていねんだばか
戦国時代でも農業国なのにどこに騎馬戦できる場所があんだよたこ

俺が戦国時代にいても、騎馬隊なんて真っ先に解体するわ
日本は軽装歩兵が最大限の効力はっきする
0113日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:30:21.14
はよせいや
ワーテルローの闘いや南北戦争ばりの騎兵合戦あんならでしてくれや

いっさい日本ではない
0114日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 19:37:31.30
因みにワーテルローでは最強誇ったフランス胸甲軽装騎兵隊がイギリス連合の軽装歩兵連隊に
壊滅させられてんだが?
0115日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 19:48:44.72
訂正 イギリスプロイセン連合の軽装砲兵連隊

ちなみにイギリス 竜騎兵隊というファイナルファンタジーの世界みたいな兵団いた
騎馬隊とかほざいてんならいぎ)フランスばりの騎兵隊が存在してからほざけやぼけが
0116日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 21:32:30.35
汚い言葉使ってごめりんこ てへぺろ(*´ω`*)
0117日本@名無史さん
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2014/06/05(木) 23:58:18.60
東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。(中略)三方ヶ原御合戦に、討死の三河武者下々迄、勝負を仕らざるは一人もなく候。
たけき武篇の家、和朝に上杉謙信・徳川家康なり。
(『甲陽軍鑑』)

今度上様(織田信長)東国御出馬付、当国(大和国)衆自昨日上洛
(中略)
甲斐、越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也
(『蓮成院記録』)
0118日本@名無史さん
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2014/06/06(金) 08:11:13.00
>>117
畿内人は文化と経済を担い、東国人は人殺し技術を磨いていたわけだな。
0119日本@名無史さん
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2014/06/06(金) 09:35:12.97
小牧長久手は、複雑な機動野戦で家康に完敗した秀吉が交渉で家康を妥協させたに過ぎない。

関が原の戦いも石田三成のような商人番頭武将の限界を証明した野戦といえる。
石田三成は手紙書きまくって武将を煽ることはできるが、自分で野戦の指揮をすることはできない。

家康のように酒井・本多・榊原・井伊のような「リアル武士」がいるのは絶対的な強みだ。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 09:39:01.64
そもそも朝鮮出兵から商人武将の限界が見えていた。

三成のようなただの商人武将では福島正則や加藤清正のような武将を統制できない。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 13:21:10.35
仮に石田三成が関が原で家康に勝利していたら、
近江商人や、堺商人、博多商人が日本の社会道徳の中心になっていただろう。

商人でも金次第で大名にまでなれる商工農士の身分制度になっていたかもしれない。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 13:26:57.10
江戸幕府の当初には、京都の角倉や堺の今井などが代官として旗本になってるけどね。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 14:05:21.04
大名の子弟は幼いころから読み書き算盤を学び、井原西鶴を読んで道徳を学ぶ。

藩で一番偉いのは勘定奉行。仇討ちは軽蔑される。
城の中には住吉神社があって、歴代藩主の夢は金を貯めて銀二貫を奉納すること。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 15:11:23.97
>>123
なんでそんな中途半端にネタを織り込んでいるんだ
0125日本@名無史さん
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2014/06/06(金) 17:58:49.46
>>119
家康中心史観って江戸時代限定の特殊視点だろ

もともと織田家の継承問題がこじれての内訌であって家康は門外漢だったのが、
当事者たる信雄からの支援要請があったから家康が関与することになった

信雄を支援できなかったことで戦略目標を達成できなかった家康は、戦場では勝ったが戦略では負けてるぞ


戦術的勝利では戦略上の劣勢を覆せないって形かな?


>>121
それはない
三成とかは官僚的武将であって商人的武将じゃ無いぞ
0126日本@名無史さん
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2014/06/06(金) 19:34:29.20
秀吉が信雄との交渉で切り崩しを図ったのは、別に最初からそれを意図していたわけではない。

最初は簡単に勝てると思っていたが野戦ではどうやっても勝てなかった。
つまり秀吉の最初の戦略目標は、家康を完全に潰すことだった。しかし秀吉は家康を潰せなかった。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 21:16:27.40
あの時点で秀吉にとっての最優先課題は信雄を屈服させることで、

あわよくば、家康を倒せたらそれに越したことはない、って程度。


後に家康が強くなったという史実を知ってる人間が見たら家康を倒すべきだったと言えるけど、
あの段階では、秀吉が家康を倒すべきだったと考えるのは不可能だ。

家康を潰すことこそホントの目標だったとか言っちゃうのは、結果論敵視点にすぎん。
0128日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 00:07:43.84
120
なにいってんだこの馬鹿
福島や加藤は桶屋と貧農だが?
0129日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 01:08:13.56
江戸時代の斬捨御免だけはダメ
腕試しに農民を辻斬りとか普通にやってたみたいだし
0131日本@名無史さん
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2014/06/07(土) 13:52:14.46
>>81
クソの役にも立たなかったのは御家人や守護大名も同じだがな。
蒙古襲来では主に戦ったのは寺社の勢力圏である荘園の下司をはじめとする
西日本の非御家人であったため戦後恩賞問題が紛糾し霜月騒動という内ゲバに発展する。
 
応仁の乱では足軽悪少年たちが中間と呼ばれる下働きの人間たちが京を灰燼させた。

そいて極めつけは石山本願寺や法華宗が財力を持った門徒たちによる宗教戦争である
天文法乱に管領もなすすべがなかった。

信長後も五山が外交顧問として活躍したように寺社勢力の日本史における存在感は無視できんよ。
0132日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:07:33.23
武士道のない日本社会とは応仁の乱前後を見ればいい。

一度日本では武士道という倫理は失われ、将軍夫人が金融業をする無秩序な世界になったのだ。

しかしそこからまた秩序を回復するには、朝倉の家訓や家法や備えのような新しい規律が必要だった。
朝倉は一度それでノシて、また公家化して滅びた。
豊臣も農民行商人から武士、武将になって、また公家化して滅びた。
武士道とはむしろ、公家化防止のための手段ともいえる。
0133日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:12:57.63
自宅を警備するだけなら武装した農民でもいい。
近所に放火するだけなら足利不良少年でもいい。
海戦だけなら武装したそのへんの漁民でもいい。

しかし領地から離れての複雑巧妙な野戦となると、長柄・鉄砲・荷駄・早馬・騎馬武者を駆使する必要がある。
0134日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:20:34.05
だからよ、島原の乱で幕府軍団総大将は討死されてんだろっていってんだよ
0135日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:34:37.66
さらに九代将軍足利義尚が約一万の軍勢で伊賀責めして大敗してんだが?
しかも当時の伊賀甲賀は生粋の百姓だが?
0136日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:36:35.86
なんだ足利不良少年てさwww
0137日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 14:59:33.28
武士が野戦のプロとか中2病かよ馬鹿が(# ゜Д゜)
0138日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 18:18:58.16
>>129
斬捨御免って、明治維新信奉派の人からは悪習の代表呼ばわりされてるけど、
「状況によっては一般武士も裁判権・処断権を行使する権限がある」ってだけで、
どういう事情、状況・理由で行ったのか書面で報告する義務があったわけでな。
不当なことだと判定されたら武士の方が処罰されることもある。

腕試しに辻斬りするような武士は取り締まられてるよ


>>137
いや、平安時代の武士なら野戦のプロと言ってもよかっただろ。
そのころには、武士の常識が少なからず人道に抵触していたけどな。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 18:36:44.22
だからさ、武士は野戦のぷろってなに照明だよ?
元寇をリアル討伐さした当時の越に、平安武士が勝てたと思う理由はなに?
当時西洋はなん十万の三百年に及ぶ西洋国家連合の騎士団を撃退さしたイスラム兵団より野戦が強いとかほざける島猿根性理論はなに?
0140日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 18:39:04.40
西洋から三百年にも及び、ヒッキリナシに騎士団送り込まれ、三百年闘い抜いたイスラムに、平安武士なら勝てたと、その馬鹿面でいってみろ?
0141日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 19:02:32.34
プロって言葉の基準はそこまでハードルが高いもんじゃないだろ

戦争を職能としていて、その職能を期待して雇い入れる人が存在したんだから、
戦争のプロには違いないわけだが、他地域のプロたちを相手取っても勝てるような「プロ中のプロ」ではない。

プロ中のプロじゃないとは言っても、プロの端くれではあった。それじゃいかんのかね?

それに、日本の武士は集団戦のプロと呼べる状態じゃなかったからなあ。
0142日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 19:22:12.58
141
苦しいのか馬鹿面
0143日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 20:10:43.57
凄く大雑把に言えば、武士道は「職業軍人のモラル」だと解釈してるな

江戸時代の武士は領地から切り離されて実質給料を貰っているのと同じようなものだったから
それ以前の地主としてのモラル、一所懸命とは違ってきて当たり前
0144日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 21:23:26.70
そもそも江戸時代の武士層は元地主階級とはまるで違うんだが
0145日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 21:27:04.77
イスラム兵団なんかカナヅチ振り回すシャルルに負ける奴らだろ。

しかもトルコ系の奴隷に頼って逆に支配されるような奴らだ。
アラブ人イスラム兵団など形骸に過ぎん。
あえていおう。カスであると。
0146日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 21:28:05.18
オスマントルコの最強軍団は白人奴隷軍団。情けない。
0147日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 22:02:51.71
テイノウ猿はサラディンも知らないのか?
0148日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 22:06:25.29
つうかいつから猿の惑星の土人がフランク王国以上の格付け的な目線で話してるわけ?
気が触れたのか?
0149日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 22:53:30.81
サラディンが奴隷兵士に頼ったのも、すでにファティマ朝が黒人奴隷兵士と、黒人宦官に支配されていたからだ。

アラブ人貴族はとっくの昔に今川義元みたいに公家化してたわけだ。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 23:19:22.05
>>129
普通の武士はそんな野蛮で下劣な行動は取らない。
切捨てなんかしたらあとあと面倒なんだよ。
狂人認定され、周囲からの信用を無くし、武士としての価値はゼロになる。
辻斬りといえば幕末の薩摩藩士が深夜にコソーリとやってた。
昼間の示現流じゃ江戸の新流流派(神道無念流、直心影流等)には太刀打ち出来ないので、町人相手に深夜にズバッとお見舞いしてた。
0151日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 00:20:09.10
んむ

幕末の勤王テロリスト(勤皇という名目で辻斬りと押し込み強盗と要人暗殺を繰り返したテロリストたち)を除けば、
辻斬りなんてそう頻繁に現れたわけじゃないよな。
0152日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 06:56:33.50
武士の淵源は、俘囚軍、とは喜田貞吉ほかの説だけど、
奈良時代の東国防人なんかも淵源の一つと思う。
0153日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 10:02:32.69
>>103
オソレスだけど
徳川時代以前の武士は、綜合警備保障の社員みたいな感覚だった
ではないかな?
幹部クラスは、デモ及び集会の管理マニュアルとか、誘導マニュアルとか
研究して、警備員の配置とか色々と気を使うことができるし、
暴動を起こさせないような研究も色々とやっているだろうけど、
下っ端の警備員クラスはアルバイトでまかなえと言った感じで
ただ、平安時代から徳川時代までの日本は警察と言うのが実質的に
なくなっていたから、綜合警備保障が治安を維持していただけで、
0154日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 10:18:55.61
↓のような事情から考えても、『葉隠』なんかが書かれた江戸時代よりずっと前から
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかり也。」
的な考えは有ったのではないかと。


12 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 07:57:22.48
>>5みたいな「自殺=悪」って考え、
西洋のキリスト教の考えに毒された結果ではないのか。

昔の日本では自害できなかった平宗盛は悪く描かれ、
一方平維盛は生前は平宗盛同様(というかそれ以上に)失態続きだったが
最期の自害(公より私を重んじて離脱した上での自害なのに)で
一躍悲劇の貴公子に格上げされた感がある。

13 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 08:20:24.13
日本は負将が敵の手にかかるのは恥ずかしいという文化があったからね
万が一負将が敵に捕まった場合の処刑方法が残酷だったせいというのもある(市中引き回しなど)
また負けた夫や一族と運命を共にし自害した女性も美化される傾向が強い
0155日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 10:46:23.73
149
違うが?
奴隷に頼ったんではなく、奴隷傭兵が一つのカテゴリに含まれてるだけで、
単に奴隷運用のひとつとしてただけ

イスラム人自体が全体として将校化してただけ
バカはそれを奴隷に頼ってたと解釈するんだな?
さはディンの時代は決して奴隷に屈服してない
コントロールできてるから十字軍団を撃退できた
奴隷がちからもつのはその後
0156日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 10:52:29.46
やっぱり、どこの国でも人を殺す穢れると言うか、祟りがあると
言った感覚はあるのかネェ
権力を握って3代も経つと、自分の手で人を殺すのはためらうように
なって人殺しは他人にやらせるようになるのだからな
平安貴族も人殺しは他人にやらせるようになったから、
武家に天下を取られるようになったのだし、
0157日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 12:24:56.92
サラディン由来のアイユーブ朝なんかすぐ滅んで、
シャジャル・アッ=ドゥッルみたいなハーレムの雌奴隷に逆服従する奴隷集団に逆支配されてるだろ。

スルタンのハーレムの雌奴隷に臣従するオス奴隷軍団ってどんだけマゾな軍団だよ。
0158日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 16:34:16.34
>>152
弓騎兵戦術や刀は確かに俘囚由来だけど
基本的に武士は独立自衛農民で税金踏み倒してた連中だよw
摂関家や皇族に使えることでその特権を維持してた。

不人気だった大河ドラマ平清盛で武士を犬呼ばわりしてたけど
実際はそんなことはなく白河法皇の男の愛人には武士が多い。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 18:37:41.19
いやむしろ男の愛人だからイヌなんだろ。
0160日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 20:26:27.22
>>157
マムルークに限らず、アッバース朝も傭兵のトルコ人に主客転倒されているけどな。
0161日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 21:22:27.76
武士道を考えるには貨幣経済について考えるのも重要だな。

平安時代から江戸時代まで日本では貨幣経済は一般的でなかった。貨幣は中国から輸入したものしかなかった。
博多や堺はいざ知らず、地方では金で雇おうにも超デフレ社会で、コインそのものが珍しかった。
田畑や山林、牧場をもらえばコインがなくても生活できた。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 21:22:47.29
平安以降、東日本人が近畿周辺に移配され、屠畜や皮細工に関わったと言う
説があるじゃない。

同様に「関東侍」と言うか、殺生を専門職とする職能はついに
畿内では発生せず、狩猟民末裔たる東国自衛民から発生したと言う説は
説得力あると思う。
0163日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 21:31:19.54
警備員のバイト代が米袋とか田んぼみたいな世界だ。ビットコインの真逆の世界だ。

しかも今のブラジルみたいに警察官がストライキしてる間に商店街が略奪されてる感じ。
いやでも柔道家のプーチンみたいなのに頼るしかない。
0164日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 21:39:02.93
西日本の武士は公家に臣従した瀬戸内海・北九州の武装漁民がメインだろ。

藤原純友、清盛もそうだし、毛利とか大内とかもそうだ。
武装漁民、海賊、水軍は別に殺生を禁忌としない。
0165日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 21:49:24.87
村上や九鬼、五島とか武装漁民あがりの海賊上がり武士が西日本はうじゃうじゃいるよな近世でも
0166日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/08(日) 22:29:10.40
>>161
平家が台頭した時宋で宋銭が無くなっただろ

いつの時代の歴史書読んでるんだ図書館行って新しい本も読めやw
0167日本@名無史さん
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2014/06/08(日) 22:32:29.48
>>165
西遷悪党で武士もどんどん鎌倉から西日本に送られてるが
元寇以降もな。

承久の乱以後は西日本に大量の地頭が送り込まれてるよw
天皇領はあってなきがごとし。
0168日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 02:39:36.21
>>161
>平安時代から江戸時代まで日本では貨幣経済は一般的でなかった。貨幣は中国から輸入したものしかなかった

自力で貨幣を発行しうるほど、朝廷の経済力が大きくなかっただけ。

貨幣の普及度そのものは高く、荘園から領主への年貢納入が基本的に貨幣って状況になるまでは、まあ早かった。
平安末〜鎌倉時代ぐらいになると、京都近郊を除く多くの荘園は、現物ではなく貨幣で年貢を納めていた。
その貨幣の輸送も手間だからと、手形・割符を用いて納入したりもした。(額面、銭10貫文とかが、銭と引き替える証文が多かった)

だいたい室町時代後半から戦国時代にかけて、銭の需要は伸び続けてるのに供給が途絶え、貨幣不足によるデフレが続いたことから、
貨幣流通に深刻な混乱が生じたので、しかたなく年貢の米納が行われるようになったのが戦国末
0169日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 06:03:32.19
京都に花背別所と言う、山奥の地区がある。
むかしは御所警護の「武士」をたくさん出したと言い伝えられていて、
姓は「佐伯」が多いとか。

このあたり、近畿武士の由来を物語っていると思う。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 09:16:41.24
現在のヤクザでも、しのぎの手段は色々あるだろう?
覚せい剤密売が主流の薬局系とか
売春が主流
飲み屋の用心棒
手形取引・不動産取引に絡むトラブル処理
芸能に手を出す興行系
博打・パチンコの博徒系
大企業や政治家に絡んでの用心棒系、
土建に絡む土建系等
徳川時代以前の武士も色々とあったのに、
なぜか天皇家・摂関家に絡んできた、寄進系の農業経営者が
武士の主流みたいな歴史観が作られてきたのだな
これは徳川時代の武士の方も、ご先祖様を美化して語りたいの
需要でそういう歴史観が作られたのかな?
0171日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 09:20:49.88
天皇家とか公家は絹が通貨だったってマジ?
平清盛が宋銭主体にもっていって勢力のばしたんだってね
0172日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 09:30:58.56
支配者が野戦で全国制覇した徳川だから、武士道のメインが騎馬武者地主が主力の野戦になるのは仕方がない。

関が原で毛利が全国制覇していたら武士道のメインが漁村や水軍になっていたかもしれないがな。

瀬戸内海が中央の毛利幕府だと、軍役の基準もだいぶ変るだろ。
上級武士は安宅船一隻とか。
0173日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 09:31:24.20
だから絹を中心とした価値観が崩壊して銅銭に対し絹の値段が下がっていったのが
打倒平氏に繋がった歴史があるとかなんとか、、、
0174日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 11:55:09.79
>>168
日本では永楽銭が使われていて明では馬蹄銀だったから

ほぼ日本向け輸出品だった。

お前いつの時代の歴史書読んでるんだよ。

商品経済の発展がないと織田軍団の強さが理解できないだろw
0175日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 13:24:00.66
肥大した武士道なき織田軍団は家臣の裏切りによってあっさり崩壊した。
徳川軍団が武士道を重視したのは、織田軍団の二の舞にならないため。
0176日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 15:03:57.31
>>175
外様大名の牙抜くために朱子学を導入したんだよ
0177日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 17:14:40.97
永楽銭ってのは、永楽帝の時代に発行されてた古銭で、15世紀初頭のものだろうが。
永楽帝の在位期間は1403年 - 1424年だぞ。

それと、中国(明)から日本への銭の流入は、遣明船による公貿易より密貿易のほうが量的に多いだろ。



公貿易自体も15世紀のうちに滞ってしまうが、密貿易の方も、中国で買い入れて日本に持ち込む貿易品のうち、
利益率の高い主要商品のリストから、銭貨が脱落して儲からなくなったんで、16世紀初頭ぐらいから日本への銭貨の流入は止まったわけ

中国での銭貨の価値が上がったってのもあるんだろうが、中国の生糸の値段が下がって、これを輸入するのが美味しくなったかららしい

銭貨の輸入が途絶えてデフレで貨幣経済が混乱したことが元で、15世紀後半から撰銭令が出されはじめるわけだが、
混乱が早くに始まった西日本が早く、少し遅れて京都で撰銭令が出され、東国では16世紀に入ってから撰銭令が出たわけだな
関東なんかは16世紀も半ば近くなってから混乱が本格化しただろ、だから後北条氏の年貢が銭から米に切り替わったのは遅い

貨幣経済の発展が織田軍団の強さの秘訣とか、半世紀ちかく前の古い説かよ?
0179日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/10(火) 13:36:19.47
まあ貨幣経済では桶狭間の勝利は説明できないよな。
貿易で成功した大内が毛利に負けた理由も説明できん。

大友が島津に負けた理由も説明できない。
0180日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/10(火) 18:02:26.11
>>172
網野さんがそういった視点で、百姓=農民じゃない
といった本を書いていたけど、
武士=農業経営者=領主だけではない
商売系や漁民系、僧兵や神主上がりの経済利権系の武士だって
たくさんいると言った本は誰か書いていないのかな?
結局最終勝者が百姓上がりの徳川家だったから、武士の起源が
武装農民団ということになってしまったけど、
これが毛利とは言わない、平家とか信長の家だと、経済利権の
資料がもっとたくさん残って、ひょっとしたら武士の起源は
武装商人団ということになっていたかもしれない。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/10(火) 19:13:11.51
平家もどっちかっつーと瀬戸内海の武装漁民&輸入代理店系だったが、
義仲や義経相手の地上の野戦で完敗したからな。

海上戦の経験ばっかりで馬術がヘタクソだと、鹿が通るなら馬も通るみたい障害馬術がわからないで奇襲される。
馬イカダみたいな高等集団馬術もよく知らないからあっさり渡河許す。
弓矢で漕ぎ手を狙うのは卑怯!とか身内ルール言ってるうちに次々航行不能になる。
0182日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/14(土) 20:39:58.13
なぜ日本は明治維新から短期間で世界の一流国に上り詰めたのか?
その背景には武士道があるのではないか?
と妄想してみる。

武士に二言はない。

この言葉の実践は、強烈な自尊心を育て上げる。
武士道から受け継がれた文化である「約束を守ることの美徳」が日本人の精神性と行動力に大きな影響を与えたのではないだろうか。
0183日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/14(土) 21:20:20.47
だからよ、武士道なんて大正時代に広まった創作だろが

明治維新は各藩は借金踏み倒しだらけだわ下士の娘なんて身売りたらけだわ
幕府方諸藩の殆どが簡単に薩摩長州に願えるわ、暗殺略奪が横行するわ
どこに武士道があった?
0184日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/14(土) 22:47:32.76
>>183
しいて言うと新撰組だな
負け組み連中だな
まあ、どの時代も勝ち組というのは卑怯者だよ。
源平合戦の義経なんか、あの当時の戦争ルールを無視して、
舟のこぎ手を狙い撃ちして勝ったのだろう?
0185日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/14(土) 23:15:21.66
もともと幕末までに、それなりに経済力が高まっていた
商品先物相場(市場、取引)とか信用貨幣のような現代的なシステムが、欧米より先駆けて江戸時代にすでに存在するしな。

また、幕府による開国時の対処方法が、国富の海外流出を最小限に抑えるための、おおむね適切な応対だったことも幸いした
(ただし、小判両替による金地金の海外流出だけは対処できなかったっぽい)

そこに、武士道の介在する余地はない
0186日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/15(日) 21:16:01.97
船の漕ぎ手を狙うのが卑怯というのはあくまで瀬戸内海限定のローカルルールだ。

そもそも奥州の内陸育ちの義経は海戦とかそれ以前には、やったことない。
別に水軍の大将でもない。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/15(日) 22:26:09.55
義経が漕ぎ手を狙ったって話そのものが、平家物語による創作譚じゃないの?
0188日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/16(月) 13:15:55.38
むしろ何も知らなければ狙うのが普通で、
漕ぎ手は狙わないってのが海戦の素人にはわからない暗黙のルールって気がする。
0189日本@名無史さん
垢版 |
2014/07/14(月) 11:26:23.96
>>185
信用、手形は鎌倉時代からあるがな。金融全盛は日本は中世からで
金貸しがゴロゴロいる時代で闘茶のような高額賞金を絡ませるゲームを
大名が好んでする武士道とは無縁の世界なのは同意だが
0190日本@名無史さん
垢版 |
2014/11/02(日) 21:54:39.64
武士道=お家道
祭祀礼節教養(心技体)なり
お家を繁栄させる技なり
お家の名誉を守る意識から発生する様々な礼節なり

家系の繁栄
名家の誕生は
西側諸国が他国に対し一番嫌う風景なり
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