日本史で最重要の女性は?
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権力持ったのは
持統、孝謙・称徳、政子
そのどれかになる。 >>22
稗田阿礼=柿木(綾部)人麿。
古事記にあまたある和歌のほとんどは和歌の天才と言われた柿木人麿 が作ったらしい。 >>129
彼(人麿)は 、なんと天武天皇のご落胤だったそうです。
母親の身分(采女)や出身氏族(漢部→綾部)の地位が低過ぎた為に生涯、父親である天武天皇からも他からも王(皇)族とは認められなかったと言います。
綾部家から柿本家に養子に入ったため
柿本人麿となりました。 太古、出雲王国「初代主王(オオナモチ)の菅の八耳王」の后と成られた「稲田姫」(天皇家は
このお二方のほぼ直系子孫(天皇家を再興した出雲王家とすると126代どころではない事になります
(元王家直系の現在のご当主は出雲に渡来した初代クナト王から数えて190代目)))
第6代オオナモチ。八束水臣津野(神門臣家)の御子のアタカタスが
九州の豊国の宇佐に下り宗像王家を創設なさって
(宇佐王家の姫との間に生んだ)三姉妹。
長女の多岐理媛は第7代オオナモチの天冬衣(富家/向家/神魂家)に嫁ぎ(正后)、
八重波津身(第8代副王(スクナヒコ)。いわゆる事代主神)を生み、
次女の多岐津/多吉媛は第8代オオナモチの八千矛(神門臣家。//いわゆる大国主神はこの八千矛)に嫁ぎ(正后)、
味耜高彦(第9代(副王(スクナヒコ)))を生みました。
三女のサヨリ媛/市杵島姫は、
二度目の渡来を果たして佐賀の吉野ヶ里を本拠地とした
徐福(徐市(フツ)/彦福。//ニギハヤヒを自称。(一度目は出雲王国に至り、ホアカリを自称。王国の簒奪を謀った徐福はクーデターを起こし八千矛王と八重波津身王を相次いで殺害する大事件を起こすも王には成れず、
出雲王国から追撃、抹殺命令が出されて母国に逃げ帰った))
徐福とサヨリ媛の間にはホホデミ(物部王家の祖)とホヤ媛(異母兄の五十猛/カゴヤマに嫁ぎヤマト王朝の初代大王となるムラクモ(系譜上の神武)を生む) 古代出雲王国初代王后。かつ媛巫女(国巫女)の稲田媛命
出雲国引き神話の八束水臣津野王、その御子で宗像の祖のアタカタス。
八束水臣津野王の御孫、所謂、大国主神の八千戈王。
また、事代主神/大物主神/スクナヒコ神の八重波津身王。
子孫で18代目のオオナモチになる予定が物部勢らによる侵攻、戦争により出雲王国が滅亡した当主の
所謂、野見宿祢(〜子孫に菅原道真、ほか)
、、、天皇家も稲田媛命の子孫末裔 媛鞴踏五十鈴日女命。
出雲神(カモ)族(=王族)。
大和の三輪山に出雲の神々を鎮祭なさり初代祭主/媛巫女として奉仕。
後に、丹波から南下してきた徐福(ホアカリ)の孫ムラクモを婿に迎えて結婚。
それによりムラクモは出雲神族となり大王として認められる。
、、、(偽)系図上の神武。神武を大和言葉で読むと「カモのタケル」
タケル/タケはムラクモの父の五十猛/カゴヤマ(更にはその祖父、徐猛(徐福の父))に由来する子孫が代々引き継いだ一種のファミリーネーム
ムラクモの父は五十猛/カゴヤマ(父はホアカリを自称した徐福。母は出雲王国の王女(内親王)高照姫命)。
母はホヤ姫
(ホヤ姫の父はニギハヤヒを自称した徐福。母は宗像の市杵島姫命。、、、異母兄妹の近親結婚) >>144
「日本書紀」はご丁寧に「隋書倭国伝」を引用し
卑弥呼とは神功皇后であると説明している そりゃあ、孝謙上皇だろ。
「天の日嗣は必ず皇緒」という日本史を決定づけた反面教師なんだから。 土井たか子だろ
拉致被害者の命の手紙を朝鮮に通報した悪女 ここで卑弥呼とか政子と言ったらいかんのだろう。
ということで庶民を含めて美女全員。 一位は神功皇后
二位は持統天皇
三位は称徳天皇
この三人が日本の危機を切り抜け、日本国の基礎を作った。 >>149
あれ以来「女が政治するな」になったもんな >>149
あれ以来「女が政治するな」になったもんな 高杉晋作の母
救国のヒーロー、日本史MVP男を生んでくれた。 美福門院
政争に武士を動員して
武家政権樹立のきっかけを作る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています