中央志向の頼朝と、土着志向の周囲とが綱引きしてたのが
ちょうどいいバランスの時にたまたま頼朝が死んで
以後その体制が定着したというのが実状だと思う

頼朝が長生きしてたらもっと朝廷に近づいていって
平氏政権と似たような形になってたんじゃないの

しかしそういう頼朝がトップでなければ、
諸々の制度が朝廷お墨付きにならなかったかも

鎌倉幕府と呼ばれる体制は実のところ状況の産物で、
始祖=発明者ではなく、むしろ幕府体制の利を生かして
長期政権を築いた後の世の武士達の方が偉いと思う