一番大きなのは、保元の乱の違い。源氏は殆ど義朝方につき、余り為義方につかなかった。
だから、源氏は為義の妻子は義朝を除き皆殺しになり(このとき命からがら逃げ伸びた
志田義広や源義仲、源行家がのちに頼朝を恨みに思い徹底抗戦した)本家は崩壊したが、
関係者は余り崩壊しなかった。

一方、平家はマジで部下レベルで分裂した、というより、多くが頼盛、忠正、家弘とともに
上皇方につき、頼盛、忠正、家弘とともに3族皆殺しとなった。(平家は部下レベルを入れる
と源氏以上に凄まじく粛清した。)これは、清盛政権の安定化はもたらしたが、いざ源氏が
兵を上げると頼りになる者がいなくなる原因ともなった。