琉球王国以前の時代
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琉球(王)国に征服される以前の沖縄(本)島や他の島々の歴史を語り合いましょう。
>>11
2ちゃんでは首里王府が離島に一方的に攻め入ったみたいな論調あるけど
奄美や八重山は地元の豪族が首里の力借りて敵対勢力を潰してるんだぞ実際は
与那国は別だがな 奄美と言っても有人島は八つもあるし、それぞれ事情が違うだろ
北から喜界島は一方的に十回以上攻められた挙句に王自ら乗り込んで占領された
奄美大島も王が直接攻め込んでいるし、2度の反乱もそれぞれ王が乗り込んで潰してる
加計呂麻島と与路島と請島は奄美大島とセット
徳之島と沖永良部島と与論島は従えと脅迫されて降伏
それとあんまり話題に上らない久米島も一方的に攻め込まれてる
八重山侵攻は宮古が主体だって言われているけど、占領からたった2年で支配権は王府に移っているよね
怪しくね? どうでも良いこと。其々シマ事情も在るだろうし、島津も薩摩で権力基盤固める迄色々あるだろ。 ロックな琉球三國志なるコンサートを見たよ
宮永英一さんのやつね
>>15
阿麻和利 過去の定説
忠臣 護佐丸
逆賊 阿麻和利
ところがどっこい歴史の研究が進むに連れ
全ては首里の陰謀でしたに様変わり
当時、首里を脅かす力を持っていたのが二人の按司
首里の画策で二人を争わせ、勝った側を首里が叩く
こんなドラマ見たい奴いるか? 琉球王国って、王統が
前期と後期と二系統あるんだよな。
その辺、沖縄人はどう思っているのか?
前期のほうが本来の正統な王統って思っているのか?
それとも、歴史の長さから後期のほうが正統だと思っているのか?
まあ、前期だって、もともと三山時代の一国の家臣からの下剋上だしな。
天孫氏の末裔は西威で途切れてっから
そういった意味では前期も後期も正統ではない まあ、天孫氏と第一、第二の王家が無縁だったかというと
その二人の出身地、伊平屋、伊是名からして無縁だとも言い切れない。
第二尚家を起した尚円王金丸の童名は思徳金といい
琉球において名に(君)(思)(真)が入るのは高位の者にしか使われない字であり
琉球神道の神の名にも使われている字である。 沖縄民はいつも被害者顔するが、自分たちより弱い者がいれば攻め込むし
本土から来た者をヤマトンチューと言って差別するが
栄光の琉球史を作ったのは源氏の為朝。 金丸の「禅譲」話って、かなりうさんくさいよなw
その前の王様は、暴君扱いされたあげく謎の死をとげているし >>22
>琉球史を作ったのは源氏の為朝。は・・創り話の可能性大だよ。
死んだ地が伊豆諸島だか、伊豆半島で、どうやって、生き残って、沖縄に辿り着くんだっつー話W
陸路だと、絶対バレバレ出し、船だと黒潮海流とは逆だし、表層海流は、東電の件で、東寄りに流れてるので、帆を立てて夏の北風に乗っても星が読めて、太平洋は、南からの夏の台風の暴風雨でイカダだと確実に難破するのに、矛盾だらけ・・。
如何よっ! 「モノくれる人こそ我らが主!」って
すごいストレートな表現だよなw
やはり県民性かw >>22
それは島津のでっち上げwこの時島津も源氏系騙ってるがな。 どっちにしろ、中国が羊と貝のパンドラ開ければ、東シナ海の底は一揆に抜ける。 >>22
>琉球史を作ったのは源氏の為朝。
の件は・・
当の沖縄から本土に渡来して来たシナ面不ッ細工やドス黒デブカッペに良く学校や職場で出くわすがぁ
一度も、>>22
>琉球史を作ったのは源氏の為朝。の話は聞かなかったな・・
テレビで出てくる、為朝の自称の末裔だけだろう・・言ってんのん・・?W >>28と>>29
あんたらスレ違いだよ
>>24
阿麻和利と護佐丸の件も怪しいけど、その前の志魯・布里の乱も怪しいよね
共倒れパターンw
時代は後になるけどオヤケアカハチの件も、奄美の与湾大親の件も、
地元同士が争ってたから片一方に肩入れして王府軍が征討みたいな
与湾大親の死に方も護佐丸に似てるし
なんだろうねこれ 学校や職場で出くわす沖縄から本土に渡来して来たシナ面不ッ細工やドス黒デブカッペの話は
卑屈で陰湿隠顕か空元気んな性悪な態度と話ばかりで、本土の人間への妬み言か本土の女が鉱物としか聞かない。 まぁ・・俺の名前が島津を連想する名前だから、余計に恨み節や妬みに成るのだろうがね・・。 今の沖縄県人の若い奴らの話は、もっぱら、PCやIT関連の知ったかアドバイスばっかしW >時代は後になるけどオヤケアカハチの件も、奄美の与湾大親の件も、
>地元同士が争ってたから片一方に肩入れして王府軍が征討みたいな
>与湾大親の死に方も護佐丸に似てるし なんだろうねこれ
琉球ではよくあること 沖縄人って、河野太郎の親と仲よさげだけど、もしかして、河野水軍の手下の末代多いのかねぇ・・? 松浦党の日高さんは、嵯峨源氏渡辺松浦党だから源氏方だけどね。 瀬戸内のどっかにハヤト系海岸地理呼称かなん付いてる処在るだろ。 奄美で思い出したけど千竈氏の本姓知ってる人いる?
本拠地は千竈荘で、今の名古屋市南区から熱田区あたりの国道一号線沿いまではわかったんだが。 海部、アマベこれも名古屋辺り関係してるのか?海部俊樹も渡来系の面構えじゃ無いが。 奄美の1文字姓 琉球の3文字姓って薩摩統治の時代から? 復帰前の沖縄で比較的簡単な弁護士免許とって
日本の司法試験うけず日本の弁護士に
なったひとを「琉弁」といったそうな >>44
そうだよ
>>45
沖弁じゃなくて?両方スレち ライブハウスで唐船ドーイを
ききながら、豆腐ようをつまみに
久米仙をひっかけると沖縄いや琉球に
来た至高の悦びを感じる >>18
琉球国王には天皇陛下みたいな権威も歴史もないから
県民には何の思い入れもないし、
正当性なんて心の底からどうでもいい。
まさに「物呉ゆしどぅ我が主」ですよ >>18
>時代は後になるけどオヤケアカハチの件も、奄美の与湾大親の件も、
>地元同士が争ってたから片一方に肩入れして王府軍が征討
アカハチの乱については完全な間違い。
そもそも正史「球陽」には「アカハチが貢物を絶ったので征伐しました」
とはっきり書かれてある。これはアカハチと琉球の戦いなんだよ。
確かにアカハチは、琉球と戦う前に
名田大翁主という地元の豪族を討伐しているが、
そもそもその原因が、アカハチに従って琉球に対抗するかどうか、という事だ。
「那礼塘・嘉佐成等、恒に忠義を存し、赤蜂に従ふを肯んぜず。
遂に他の為に殺害せらる。名田大翁主、洞窟の中に隠居す。」 >>13
>八重山侵攻は宮古が主体だって言われているけど、
どこの馬鹿がそんな事を言っているのか知らんが、
46艘の中山軍をおしのけて主体になれるような兵力も資金も
宮古にはありません。
>宮古山の仲宗根豊見親、大将軍に随ひて八重山を征伐し、以て平治を致す。
このとおり、仲宗根豊見親は中山のオマケです。 >>13
>占領からたった2年で支配権は王府に移っているよね
>怪しくね?
あなたが怪しいと思うのは勝手だが、「球陽」には
「地元から苦情が出たのでクビにしました」と書かれており、
疑う根拠は何もない。
「亦、真列金豊見親(仲宗根豊見親の次男)を
陞せて始めて八重山頭職と為す。
真列金、衿驕自恣にして人民を暴虐す。
彼の島の人民、みな疏文を具し、豊見親を中山に告訴す。
即ち頭役を革め去り故郷に摘回す。」 >>24
どこに金丸が禅譲を受けたって書いてあるの?
参考までに教えてくれる?
ちなみに「球陽」には、尚徳王の死後開かれた会議で
推薦を受けて即位したって書いてあるね。
ちなみに尚徳王の奥さんと幼い子供は殺したともはっきり書いてある
「王妃・乳母、世子を擁着して真玉城に隠る。兵、追ひて之れを殺す。」 >>24
ぐぐってみたが、金丸が禅譲を受けたなんていう話は
あなたのカキコしか見つからなかった。
英祖と混同してない?
>>32
>阿麻和利と護佐丸の件も怪しいけど、その前の志魯・布里の乱も怪しいよね
>共倒れパターンw
王位継承を巡る骨肉の争いっていう、
ありがちな話のどこが怪しいのか分からないが、
仮に陰謀なら、首里城を全焼させるようなヘマはしないと思います。 >>6
>英祖時代の元軍との戦いをドラマ化しろ
英祖が元軍と戦ったなんて話は「中山世鑑」「中山世譜」「球陽」
其の他あらゆる史料に存在しません。
元軍がマジで来てたら英祖ごときが勝てるわけねーじゃん。
常識で考えろよ。 日本は島といっても決戦の場が九州くらいの大きさだったから補給もでき、迎え撃つことが出来た。
壱岐、対馬、松浦、五島列島は大きな被害を出しているんで、沖縄では無理でしょうな。
まとまった水軍を含めた兵が沖縄にいたとしても戦うだけなら戦えても勝つのは難しい。
それに日本を攻めた経路が違うので、元軍は沖縄を通過すらしていないだろう。
江南軍が沖縄を確保しようと思えば出来ただろうし、そうすれば薩摩を目指したはず。
当時の航海技術で大船団を組んで上手く沖縄経由で島を伝っていけたかどうかは知らないが。
>>45
おれの知り合いはそのころ取った弁護士で裁判をやって、知り合いが判例から何から全部、
自ら調べて戦略を練って、その弁護士を指示して裁判を勝ち取ったといってたよ。
でないと、どうなっていたかわからなかっただと。
依頼人が高学歴沖縄人だったから出来たものの、専攻も違う依頼人のニワカ知識より
劣る弁護士ってどうなのよって思った。 >>51-57
あくまで個人的感想だが、
琉球王国の正史とは、薩摩以前は勝者の歴史、以後は敗者の歴史だよね
その時代ごとの都合に合わせた理由付けが行われているから
完全無欠の正しい歴史だと言い切ってしまうのは間違いではないかな
具体的にはあげないが、正史に載っていない遺跡もあるからね >>62
場所選べよ。大和朝鮮同祖の枠をはみ出るな中国も基地外レベル上げてるぞ。 >>61
そうそう、島津にも言えるよね
そして沖縄被害者史観に沈泥してる奴らも
薩摩以前の事を知らん振りだよな >>64
民族分離した以上両者共身動きとれんのよ。詰んだ側面も在る。 >>60
薩摩の属国となりはしたが、国が滅んだわけではあるまいし、
中国で王朝が滅亡した時のような大きな改訂はなかっただろう。
薩摩の侵攻以前のものが存在したのなら残ってるはずだよ。 〉60
あなたの個人的感想とでは、史料的価値では比較にならないけどね。正史は。
つーか前王の女房子供ぶち殺して即位しました、
なんて身も蓋も無い話のどこに改ざんした形跡があるの?
あと正史は遺跡カタログじゃないので
どうでもいい遺跡が載ってないのは当たり前です
あなたの先祖が載ってないのと同じです 君南風の戦いを参考にして
スターリンはドニエプル川渡渉作戦を立案したといわれている >>68
琉球弧の遺跡は馬鹿に出来ないぜ。
日本の考古学観点からも。
貝塚時代は土人が貝齧って暮らしてたなんて言われていたが
日本や中国との交易の跡も出てきてる。
※翡翠の製品、古代中国の貨幣、穀物など
古代墓の遺跡もあるが、鹿児島の横穴墓に似た形態してるのも
意外に知られていないよな。
グスク自体が謎に包まれてる遺跡そのものでもある。 土人が金玉出して貝齧ってたでも何でも良いんだがよ、静かに暮らせれば。
そうも行かなく成った。 民俗学的見地からも琉球・沖縄は面白い。
北部のとある祭りで神女が歌う歌に
勾玉を買いに大和に上る歌がある。
日本で勾玉を使った祭祀が行われていたのは古墳時代まで
奈良時代には勾玉は消えている。
上記の歌の成立時期はそこまで遡ることが出来るということでもある。
また、上記の近くの地域の祭りでは
紀元前の中国の文献に記されている神祭りの系譜も存在する。
>>70
あなたが遺跡好きなのは分かりましたが
それと正史の信頼性とでは何の関係もありませんよね。
あなたにとって特別な遺跡でも
琉球王国の大多数にとってはどうでも良かった。
それだけの話です。 >>73
ん?ここは琉球王国以前を語るスレだろ?
つまり先史時代を語る上で遺跡は重要だが? >完全無欠の正しい歴史だと言い切ってしまうのは間違いではないかな
>具体的にはあげないが、正史に載っていない遺跡もあるからね
↓
どうでもいい遺跡が載ってないのは当たり前です
↓
ファビョーン!!ウリの大好きな遺跡は重要ニダ!
それを無視する正史は不完全ニダ!
(失笑) >>73
あと>琉球王国の大多数にとってはどうでも良かった。
遺跡は聖地やらあるから各村々で大事に管理されてる。
どうでもよかったという事は有り得ない。
>>76
あなたの御先祖様の位牌はあなたが大事に管理してるでしょうが、
沖縄県民の大多数にとってはどうでもいい存在ですよね。
それと同じで部落レベルでは大事だろうが大多数にとってはどうでもいいことです。
正史にはスペースの都合上、どうでもいい事は載りません。
あなたが歴史上どうでもいい事に感心を持つのは結構ですが、
その事物が大多数にとってどうでもいいという事実を覆す事にはなりません。 >>77
あと【おもろさうし】って知ってるかい?
あれは各地の伝承などを纏めた琉球版叙事詩みたいなもんだが。
>>75
朝鮮人に関わり過ぎw
奄美、宮古、石垣でも中国と貿易していた痕跡ががあるしな
正史には書かれていないけど >>80
何が彼を朝鮮化させたのか知らんけど
正史以前の先史時代を調べる上で遺跡は重要なのになw
浦添ようどれとか琉球の正史には関係なくとも
古琉球を調べる上では第一級の遺跡だわw 石垣の積み方とか瓦どうの朝鮮の海賊がどうので妄想史観振りまけないからかな?w
まあ、どっちにしろ歴史妄想史観は程々にしないと危ない領域も在る。 >>79
文学史上は重要だよね「おもろさうし」
歴史学上は無価値だけど。
>>82
石垣の積み方は、アカハチの乱の真実には何の関係もないよね。
それと正史の信頼性とは全く別次元の問題。 とりあえず「ウリの大好きな遺跡を無視してる正史は不完全ニダ!」氏は、
あなたの大好きな遺跡とかおもろそうしを元に、
>>51-57に反論してもらえる?
できなければ史料的価値は
正史>>>>越えられない壁>>>>>>遺跡で確定ね。
ていうか個人的に琉球史で遺跡研究してる奴ほど
妄想炸裂してる気がするんだよね。 >>80
>奄美、宮古、石垣でも中国と貿易していた痕跡ががあるしな
それこそ、だから何?だよね。
奄美でも宮古でも石垣でも、本島との交易や百姓からの搾取の方が
収入の大半を占めているよ
離島も中国と貿易してたなんて、歴史トリビア並みの価値しかないよね。 >ていうか個人的に琉球史で遺跡研究してる奴ほど
>妄想炸裂してる気がするんだよね。
追加。
おもろさうしを根拠にして歴史を語るに至っては
正気とは思えないね。
御先祖様はわざわざ、ファンタジー小説と歴史書は
別々に編纂してくれてるのに、
それをご丁寧に混同するとはね。 >>84-85
朝鮮の真似して火病るのは個人の自由だが
スレタイ読めないのか?
琉球王国以前の時代とは正史以前の先史時代も含まれるんだぞ
このスレそのものがファンタジーだボケ
先史時代の意味が解らないならggrks >>87
鏡見て言ってるの?
火病ってるのはどうみてもあ・な・た
俺はより真実に近い歴史を語ってるだけ。
尚円王が禅譲を受けたとか、
アカハチの乱は宮古が主体だとか、
史料的根拠は皆無で、
遺跡大好きな研究者が妄想しただけの戯言は訂正しなくてはね。 >>84
紙の歴史にしがみつく様は民俗学無くした朝鮮そのもの。落ち着けよ 民俗学(笑)
歴史学とは無関係だと思うがね
とりあえず民俗学(笑)で51-57に新たな知見を加えてもらえる? >>89
いやいやwスレタイ読めってw
日本語が理解出来てないニカ?w
尚円王もアカハチも関係ねーw
>>92
工作員認定とか朝鮮人認定とかはいいからさ、
遺跡研究でも民俗学でもいいから、
>>51-57に反論してくれる?
結果出せなきゃ無価値。 >>91
民俗学や考古学以外で先史時代を語れる術はないw
お前と会話が成り立たないと思ったら
お前が琉球時代を語ってるからだwスレタイ100回よめw
スレタイの意味はスレッドタイトルだw
>>93
じゃあ琉球王国成立以前の英祖対元軍について考えてみようか。
正史はもとより民間伝承にも
元軍が来たなんて話すら無いんだけど、
どういうわけか民俗学とか遺跡研究を熱心にやっておられる
センセイ方は「英祖が元軍を追い払った!」なんて言っておられるんだよねwww
さて、民俗学や遺跡研究はどんな論拠を与えてるの?
まさか根拠ゼロなんて事はないよねwww >>95
>>96
あなた方の遺跡研究がマトモかどうかの試金石ですwww 最近有名になった喜界島の城久遺跡、
奄美大島の赤木名城跡・小湊遺跡・倉木崎海底遺跡、
徳之島のカムィヤキ古窯跡群などは琉球正史に書かれているのだろうか? >>96
沖縄や日本のセンセイとやらが元軍を追い払ったといってるのか?
俺が知る限りでは中国側の資料に載っている
元軍は琉球に侵略している
侵略できずに帰ってるがな
だがその琉球が台湾なのか沖縄なのかは別の話だ
草はやして盛り上がってるようだが、スレタイの意味理解してるか? そもそも、琉球史ですら中国は洗いざらい沖縄や日本の研究者に資料晒してんのかさえ胡散臭い。 スレタイを理解出来ない子に遺跡研究がどうたら言われても・・・w
相手するだけ駄目だなこりゃ >>100
>元軍は琉球に侵略している
>侵略できずに帰ってるがな
琉球史の問題点はね、そもそも史料が読めないってことだよwww
「之を降す」「之を伐す」これのどこが侵略できてないの?www
『元史』巻211・列傳第97・外夷3瑠求「世祖至元二十八年九月、海船副萬?楊祥請以六千軍往降之、不聽命則遂伐之、朝廷從其請。」
人間の言語すら解せない連中が、物言わぬ遺跡から、
正しいメッセージを読み取れるとは到底思えないなwwww >>99
琉球正史には書かれていないのね
中山は、それらを作った勢力を無かったことにしたでOK? >>104
どうでも良かったでOK
正史にはあなたの御先祖様の事は書かれてないが、
別にあなたの御先祖様を無かったことにしたいわけではない。
いようがいまいが関係ない。どうでもいいってだけ。 103にとって都合のいい部分だけじゃなくて108には前文のってるぜw
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