平和主義をとなえる沖縄での反米軍基地活動を語る前に琉球の歴史を振り返ってみよう。
建前としての平和主義で礼賛される弱小武装国家であった琉球王国は、薩摩との戦争で負けいとも簡単に奄美を捨て石にした史実がある。
領土と住民を守る国として最低限の分を守ろうとした戦いもなく、奄美で琉球の名の下に戦った住民を見捨てるように薩摩の直轄植民地となることを認め、
250年に及ぶ奴隷の苦難を奄美に押し付けた。

この史実は沖縄の琉球歴史教育ではほとんど触れられず隠蔽され、自分たちだけが歴史を通じた被害者だと洗脳される。
武力反対、平和の島沖縄、命どぅ宝の正体は弱者切り捨て言うなれば離島切り捨てにある。
弱小武装国家の現実は琉球として戦った奄美の住民を捨て石にするという歴史的結果につながった。

かたや大東亜戦争時の大日本帝国は、沖縄を全力を挙げて守ろうとした。
それが第一義的に国民を守る戦いではなかった、領土のための戦いであったと批難されてもその努力は感じられる。
奄美を捨て石にした琉球には努力が欠片も感じられないのにだ。
だが沖縄はその歴史を沖縄は日本の捨て石にされたとご先祖様まで中傷し、イデオロギーのためにその悲劇を利用する。
琉球は奄美を切り捨てた史実があるのにも関わらずその歴史を隠蔽しながらだ。
武力を否定し、戦いを避けることは、最終的に自分たちだけが生き残り弱いところを切り捨てる結果につながるという歴史の反省もない。

武力放棄を掲げる沖縄平和主義の正体は、いざとなれば尖閣だけでなく、宮古八重山諸島も切り捨てればいいと言うことなのだろう。