今帰仁城はその昔から山北勢力争いに勝利した山北を治める世の主の王城であった
1322年に攀安知の高祖父、曾祖父の怕尼芝が先の今帰仁城世の主一族を滅ぼし
新たに今帰仁城で怕尼芝王統を築いた
1383年に初めて山北国王として明国に冊封を受け
1385年には明国皇帝から山北王之印である「駱駝鍍金銀印」を贈られた
山北王怕尼芝によって滅ぼされた一族は中山国の伊波按司、読谷山按司として落ち延び
いつしか先祖の敵討ちをするべくと山北国の国頭按司、羽地按司、名護按司もその家系だったのだ