1429年、山南王「他魯毎」が王妃や子と共に自害し山南国は滅亡した
他魯毎の弟「南風原按司守忠」は一族を絶やすまいと、山南具志頭(ぐしちゃん)間切「安里大親」のもとで身を隠して落ち延び
後に守忠の子孫は、首里王府に仕官した「花城親方守知(尚真王の養父)」や
「華后(尚清王の母)」といった「第二尚氏王統」王族も輩出し再び琉球士族の家系となった。
「山巓毛」の高台は、現在は公園に整備されており
最後の山南王となった他魯毎が葬られた墓が山巓毛の南側下に残されている
その高台から見下ろす海人の港、糸満漁港で旧暦5月4日に開催される「糸満ハーレー」は伝統を重んじて
爬竜船のスタートの知らせる旗は現在も山巓毛の高台で振られている。
そして中山王の金屏風と交換された伝説が残る糸満市大里の「嘉手志川の泉」は、
水量豊富な湧水が今日まで枯れる事なく溢れ、今も市民の憩いの場として知られている