1429年、琉球山南国を滅ぼした巴志はその年10月に
明国皇帝(宣徳帝)の万寿聖節の慶賀使「佳期巴那」、「郭伯茲毎」等の進貢使節団を送り
同時に琉球三国の統一を果たした事を明国・皇帝(宣徳帝)に上奏した。
「我が琉球国、分れて三と為る者百有余年、戦の止む時無く臣民塗炭す。
巨巴志悲嘆に堪へず此れが為に兵を発し、
北は攀安知を誅し、南は他魯毎を討ち、今太平に帰し、万民生に安んず」
皇帝はこれを特に嘉し、翌年1430年8月に宦官の使者「柴山」と副使「阮漸」を琉球へ派遣した。
三度目の来琉となった柴山だが、この時の琉球への航海は暴風に遭い、困難を強いられたようで
仏教に帰依していた柴山は、無事に琉球に到着できた事を仏に感謝し
琉球到着後に私費を投じて「大安禅寺」を建立した