今後の課題
・本発表の提案する系統樹に基づくと、琉球語とともに九州諸方言が、奈良時代より前に中央語から分岐したことになる。

・中央語からの分岐後、琉球祖語話者は九州にとどまったが、10C〜12Cに琉球列島に移住し、九州に残った琉球祖語話者は、
 中央日本語に言語を置き換え、九州の琉球語は痕跡を残さず消滅したとする説(Pellard 2015)は再考すべきだろう。

・奈良時代より前に中央語から分岐したのは、九州・琉球祖語であり、この言語は九州で話されていた可能性がある。
 10C〜12Cに琉球列島に移住したのは、九州・琉球語派の一方言の話者であり、この話者の方言が琉球祖語である
 (すなわち琉球祖語の他からの分岐は琉球列島で生じた)という可能性を検討すべきであろう。
 したがって、現在の九州方言は、琉球祖語と姉妹関係にある言語(九州語)の末裔であり、九州における言語の取り換えは
 起こらなかった可能性もある。(当然、九州では中央語との激しい言語接触があったに違いないが)

・日本語と音対応のある琉球語における漢語の存在も、(九州で話されていた)九州・琉球祖語の段階で、中央日本語から借用された可能性がある。