0580日本@名無史さん垢版 | 大砲2018/05/26(土) 13:19:25.89 慶長十三年7月7日、徳川家康は琉球を島津家久に与えてるんですね。 (慶長十三年七月七日付家久宛家康黒印状、「旧記雑録」後編四、594) これに基づいて薩摩藩は琉球に侵攻したわけですが、この時、琉球国王は 明に対し援軍を求めたがまったく黙殺されたわけです。 つまり、明も琉球の問題は日本国内の問題であると認めたわけです。 当時の徳川幕府と明という二大政府が認めているのだから、琉球は 間違いなく日本国の一部なわけです。