慶長十三年7月7日、徳川家康は琉球を島津家久に与えてるんですね。
(慶長十三年七月七日付家久宛家康黒印状、「旧記雑録」後編四、594)

これに基づいて薩摩藩は琉球に侵攻したわけですが、この時、琉球国王は

明に対し援軍を求めたがまったく黙殺されたわけです。

つまり、明も琉球の問題は日本国内の問題であると認めたわけです。

当時の徳川幕府と明という二大政府が認めているのだから、琉球は

間違いなく日本国の一部なわけです。