改元が公家の専管事項だなんて都市伝説だよ。
室町期に足利義満が「洪徳」という年号を
ごり押ししてきて、「徳の字のついた年号が続き過ぎる」とか
「洪水になる」とか言って必死に公家衆が宥めたんだわ。

永徳-至徳 と来てその次に洪徳を希望した義満だった。

それで結局「嘉慶」になったのだが、義満は「洪徳」が
採用されなかったのを怒り、今度は改元をさせないという
サポタージュに出た。
南北朝合一後に定められた「応永」が35年の長きに渡るのはそのため。