>>114
平氏の場合は清盛が保元の乱で最初から不平分子(池禅尼、頼盛、忠正、
家弘)を除く気でいた。清盛が後白河方についたのも、不仲な池禅尼が重仁
親王の乳母で、頼盛が上皇方につかざるを得ない点まで計算してのこと。
ところが池禅尼が上皇方の敗北を予想し、その意向で頼盛が後白河方に
つくというあり得ないサプライズをやらかし、頼盛を除く機会をフイにした。

義朝は敵味方こそ分かれたが、清盛のように、明確に池禅尼、頼盛、忠正、
家弘の系譜を根絶やしにしようとした意思はなかった。