>>288
えーとですね。色々ややこしくて俺もちゃんと理解してる訳ではないんですが、おおよそ五行説が他の
要素をあれもこれも取り込んで最終的に陰陽説と合体して陰陽五行説になりました。

四方を守る四神は元々は五行説とは関係ありません。五行説だったら五神にしているところです。
キトラ古墳の石室の壁画の青龍とか白虎とか、あれが四神です。四神はそれぞれ決まった色があります。
玄(黒)、白、青、朱(赤)です。方角も決まっています。
五行説は全てを五つの要素で説明しようとする思想です。四方では一つ足りないから中央を足す。
色は黄です。五行では土なので季節では土用となりました。

陰陽説は全てを陰と陽のバランスで説明しようとする思想です。五行説と合体した結果、十干が五行の
陰と陽で説明されるようになりました。例えば甲は「きのえ」(木の兄)、乙は「きのと」(木の弟)であり、兄は陽であり
弟は陰です。十干自体は殷の時代からあって、元々は五行とも陰陽とも関係ないものです。

風水は陰陽五行説に基づいてると思います。風水の用語として都市を建設するのにふさわしい場所を
四神相応の土地とか四神相応に適っているとか、言う訳です。用語としては比較的あとになるものと思います。
特に日本のそれはwikipediaによると江戸時代以降のものらしいです。(何ですと!?)