【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
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『被差別部落一千年史』(岩波文庫/高橋貞樹著/大分県出身)
P186
部落民の分布は、穢多の水上(えたのみなかみ)と称せられる近畿地方を中心として最も多い。
兵庫県のごときその最たるもので、和歌山、三重、奈良、大阪、京都等いずれも多数の部落がある。
これらの一県一郡の各部落の中心をなすものは、その地方での大部落である。
関西地方は部落数が多いだけでなく、また一部落の人口が大で、職業も部落の事業をそのまま踏襲している。
大阪西浜(旧渡辺村)は、全国の中心をなすほどの大部落である。
P193
近畿、山陰等は差別の程度が濃厚であって、山陽、四国、九州等はこれに次いだ差別程度である。
部落の分布の多いところほど差別が甚だしく、関東中部、北陸、東北地方に至るに従い差別の度も少ない。 >>144
東北でも部落あるで
戊辰戦争調べてみ
会津戦争とか 皇族の墓があった村だと、墓守(五色の賤、非人)部落の可能性が高いかな アテルイのころの蝦夷と呼ばれた人々はアイヌ人であって
今の東北人とは関係ない
蝦夷は東北人の先祖ではない
勘違いしている東北人も多いが 今の東北人の多くは、鎌倉武士とかの子孫だろうな。
千葉、葛西、三浦とかいう苗字の人が東北はやたら多い。 部落民=奴隷じゃないと困る人がいるみたいだな
宦官、奴隷、傭兵(一時期除く)が基本的にいないのが
日本史のいいところなんだよw この話か
都会での話
同じクラスに(a)山田さんと、(b)山田さんがいたとしよう
親戚ではないし、付き合いがないのと同じ
友達という程度
(a)の家族が病気になり、入院しても
(b)の家族が見舞いにくるわけでもない 被差別部落の一千年史とか読んだけどマルクスの影響受けすぎだよ
当時は進歩的でよかったんだろうがなw 朝廷が班田制と戸籍制度を基礎にした人民の人別支配を放棄し、名田経営を請け負う田堵負名を通じた間接支配への移行により律令制が解体していく過程で、この身分制も次第に有名無実化した。
良賤間の通婚も次第に黙認されるようになり、中には賤民と結婚して租税を免れようとする者も現れた。789年には良賤間の通婚でできた子は良民とされる事になり、907年には奴婢制度が廃止された
(これには、9世紀末の寛平年間に既に廃止されていたとする見解も存在する)。
よって、古代の賤民と中世以降の被差別民、さらに近代以降被差別部落と呼ばれるようになった江戸時代の被差別民共同体との歴史的連続性はなく、性質の異なる起源を有したと考えられる。
広島藩史(県所蔵)によると江戸期は、カワタ村とエタ村は別々の村であった。
水平社は、歴史の違う村々を被差別部落とひとくくりにした。だからその差別構造は各々歴史も違い複雑である。
家康賎民説もある。やはり勝てば官軍で時代により差別の対象は変化している。
維新時に差別の対象となった者が現在の差別につながっている。歌舞伎はもともと賎民であったが維新時は差別の対象でなかった。
また、
江戸期カワタは下級武士で藩から死牛馬の処理による鎧や馬具製造の独占権をあたえられ、村(農家)の警護と、百姓の足抜け取り締まり
の役を与えられていた。百姓の怒りは、封建制度化本来は大名等上級武士に向けられるべきだが、直接、百姓を管理していたカワタに向けられた。
武家社会の、悪行や矛盾をすべてカワタに背負わせ、武士は維新後もまんまと逃げ切り、政治にも携わっている。
勝てば官軍の歴史は、その時々で差別構造が変化している。 日本は職業差別
近世において穢多と呼ばれるのは死体処理だの
そういうのに関わってた人ら
肉食忌避の概念もここからだからな 官軍だの朝廷なんだのの話になればまた別かもしれんがな
農村主体の惣村社会ならそれが正解だ 維新以前は
百姓は搾取される側の一番手だし。人口も多かった。
そりゃ、カワタを嫌うのも無理がない。百姓とカワタは維新での下剋上? カタワだろ馬鹿w
まあ稲作になって徴収されるのは米だからな
肉食業者の持ってた包丁が刀の起源というのは
誇張でもなんでもない >>164
武家社会に肉職業は無かった。皮革による、武具製造(太鼓、馬具、鎧等)や日本画使うニカワとか?
死牛馬の処理の特権はあったのは事実だし、藩から役を貰っていたのも事実だし。
お国替えの時、大名はカワタを同道させてる史実もある。
長州藩では、藩の財政を皮革輸出で支えてたという記述もある。
死牛馬の処理であり、農耕に必要な生きた馬や牛を殺せば重罪で 律令体制化
実際の社会においては良民が賤より課役が重いために却って賤の方が生活が恵まれている場合もあり、
8世紀末期にはそれを回避するために意図的に賤との婚姻を図るものもいた。このため、延暦8年(789年)
には良民と賤の間の子は全て良民として課役を負担させることとし、貞観5年(863年)には賤にあたる者を
計帳に記載する場合には父母の氏名記載を義務付けて賤の発生を抑制して租税徴収を図る方針を採るようになった。
このため、賤の人口は減少し、更に10世紀には戸籍自体が行われなくなったために良民と賤の区別が不可能と
なったために良賤法の意味を成さなくなった。だが、一方で良民が貧窮によって隷属民になる事例も見られるように
なるなど、新たな賤民身分の形成も見られるようになった。なお、鎌倉時代の幕府法においても良賤の父母の間の子に
関する規定が設けられるなど、良賤法とは異なる新たな規定が制定される場合もあった
時代により、賎民は変遷している。 時代を極めた、平家の落ち武者も賎民視された。
勝てば官軍の歴史でしょう。 >>161
肉を食べることを「薬食い」って言ってたから、一概にマイナスイメージじゃないんじゃないかと思うんだよねぇ…
穢れの語源にしても毛(稲穂)枯れからだから、海山の民はそこまで差別しなかったんじゃない? 益獣を食べるのは罪で害獣を食べるのはオーケー
イノシシ、クマ、タヌキ、キツネ、こんなの普通に
食ってたわ イヌ、ネコ、ウマ、ウシを食べるのがなんで忌み嫌われたかというと益獣だから 話的にはおもしろいですが、
彼>>170は、無視ください。 ウサギなんて食わないけど?
第一、日本にウサギいるの?
大猿なら戦国時代に食ってた記事は見つかった >>173
ウサギ食べたいから、鳥扱いで一羽二羽って数えるってきいたことあるけど、俗説? 175
うーん、どうなんだろな
ノウサギ見ても耳がネズミみたいで羽とは数えんわな
あるいは創作かもな >>176
鳥なら食べてもいいから、ウサギも鳥だよ、てことで一羽二羽って数えるようになったんだよーって聞いたんだ。
ウサギってそんなに旨いんかぁと思った 俺が小学校のころ、学校行事でウサギ追いをし
取った兎は翌日の給食に出てきた。
長野の山間部の学校だが・・・・・ 武士の狩りには下級武士のカワタ(エタとは違う)がお付きした。
獲物は鹿、兎、鷹等々
すぐに解体しないと、腐るからである。 >>183
勉強不足。歴史板にはふさわしくないカキコミです。
人権板なら、貴君の知識でも通じますが・・・・ >>184
人権板は普通に地名かくよな
あれ不味いんじゃないの? 広島藩について誰かが書き込んでいますが、江戸期の地図にも、
エタ村とカワタ村の区分けされてる藩がいくつも存在します。
水平社なるものが、ごった煮にしてしまいました。明治政府には都合が良かったと思います。 続けます。
戸田藩史によると、カワタの村は三宮である某神社の守も兼ねています。
神社は前方後円墳で、維新後の第一次町村合併時までは大塚村と表記されてます。
また、処刑上はエタ村付近にありカワタの村と区分されてます。 >>183
これは完全間違いでもないと思うが。
カワタの史料上の初出は駿河今川家文書でしょ。
東海地方ではカワタ称が一般的だったようだが、近畿圏で
カワタ称が見られるのは太閤検地以降。それまでは出てこない。
広島藩でカワタとされてる村は、たしか福島正則転封の時に
同道してきたという村で、在地のエタ村とは区別されていたようだが
近畿圏のように、同じ村が時代によって呼称が変わった、或いは併存
したという地域もあり、エタカワタが集団の性格や成立の経緯によって
どこでも厳密に使い分けられていたわけではないからね。 http://istdjapan.org/data/kobayakawa_ronbun_01.pdf
>広島藩では、被差別身分は革田としての役を担った。そして他の被差別民の役に非人があった。
>福山藩では、穢多、茶筅、非人の役があり、それらすべてが、穢多役としての非人番を勤めた 近世国家―専制国家と賤民官僚制
近世の場合において、あるいは戦国期あたりからはじまるわけなんですけれども、
武士団組織というのは寄親寄子といいまして家父長的な原理によって組織するようになる。
契約ではないんですね。織豊政権ではそういうことが、もっと徹底するのでありますが、幕藩体制になりますと、
一応形式的には封建制であるようにみえながらも実質的にはむしろ専制的支配権力が完成する。
もはや封建制というものは形骸にとどまっておる。その証拠には、賤民官僚制として被差別者を編成する。
その頃の言葉ではエタ村と呼ばれていますが、これを役人村に位置づけている。
エタ村がなぜ役人村であるかという問題は、専制国家が賤民官僚制を編成するという必然性があるということを認識して解決できる。
広島の場合にも、革田弾左衝門は関東の浅草弾左衛門と深い関係があります。
そういう人々が中心になりまして役人村を編成するわけです。
役人村というのは役負担を担います。近世幕藩体制の警察・行刑というのはこの人々が担っていたのです。
これをみれば専制主義というものと賤民官僚制というものは深い結びつきがあることがわかる。
日本の近世幕藩体制におけるこの人々の人数は相当多くの人数といわれておりますが、
こういう幕府の最も基本的な治安維持の問題につきまして、この人々にこの役を負わせたという問題があります。
これは近世社会の国家というものが、専制主義の国家であるということを不可分に結びついておる。
中世賤民というものにこのような組織を認めることは決して出来ません。 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 09:41:54 ID:85NJv/PU0
広島から養子 ?を受けてるよね
団左衛門
22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 12:34:43 ID:wKTSe2OC0
11代集民 芸州佐伯郡廿日市村 長吏頭河野團左衛門の子
12代集司 信州筑摩郡出川村 長吏頭大友彦太夫の弟
13代集保 摂州莵原郡灘住吉村中ノ町 寺田利左衛門の子
12代は、はじめ信州小県郡諏訪部村の長吏頭小十郎の家に養子の話が来たんだけど、
信州の別の藩(佐久郡)の長吏頭の家に出しちゃってたから、かわりに筑摩郡のほうから養子にとったということらしい。 沖浦和光「島に生きる 瀬戸内海民と被差別部落の歴史」(広島県豊町、1998 407頁)
第二章 芸予諸島における「かわた」集落の形成
「かわた」から「穢多」へ
毛利氏による賎民統制
近世初頭の福島正則の時代
島嶼部と見地
革田頭・河野団左衛門 https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0247020/top2.html
沖浦 たとえば万歳・春駒・大黒舞,こういう新春の寿(ことほ)ぎの門付け芸がありますね.
これは東国と西国でちょっと違いますが,士・農・工・商に入らない被差別民がそれを担った.
たとえば広島藩では「革田(カワタ)」身分以外は万歳ができない.革田というのは穢多のことです.
彼らにだけ「新春の門開き万歳」が許可されている.日ごろは穢れていると差別されているんですが,
新春の寿ぎをやるハレの日には,神仏の代理人として門口に登場するんです. >>189
記憶違い自己訂正です。
広島の革田頭河野弾左衛門家は、実朝将軍の時に鎌倉から厳島神社神主として
宮島に下向する中原何某の供をして、相模から移ってきたのが始まり。
元々神社の隷属民です。
だからカワタは下級武士でエタとは違うというのも呼称だけにとらわれた
乱暴な見方で、カワタと称していても河野弾左衛門などは一般的なエタと
変わらんよね。
広島藩の文書でも、江戸後期になるとあまり歴史的経緯など把握しておらず
「カワタと言ってもエタと言っても、そもそもは同じものであり
ただ弾左衛門家に関しては清浄を尊ぶ宮島の警固という役目がら、
穢という字を使うのを憚ってカワタと呼んでるだけである」とか書いてある。 さすれば、歌舞伎役者、僧侶、河原者、サンカ、逃亡農民、平家の落人、等々もカワタでいいのでしょうか? また、多くの藩ではお国替えの時、カワタを同道させてますが、
カワタ=エタなら相当な人数を同道させなければいけないのでは? 信長が美濃攻めに際し、カワタを今の県境である木曽川付近に、清州から移動させています。
美濃攻めの後方部隊として、皮革による武具製造を命じています。
秀吉は、移動農民であり、先祖は田畑を所有していません。所有していたのなら、長男である秀吉は農家を継いだでしょう。
また、秀吉の先祖が所有していた田畑も特定されていません・・・移動農民だからです。 落ちぶれた、身分を隠している、
好きで、その道(芸)に入った人もいる
何か楽しい事ないかな〜そうだ、歌舞伎役者になろう!で良い
学識のある人たちが付いていたはずだよ >>202
そうです。
ただそういう移動農耕者を百姓とは言わない
小作は西洋でいうところの農奴であって農を担う民ではなく、
農で稼ぐ日雇い民みたいないちずけなんだけら >>203
お前は時代を勘違いしている
好きで職業選択が自由な時代じゃない
それなりの各領域の主体性をなす家系であらば、それを受け継ぐ責任と守る役割が存在する
もし職業選択が趣味嗜好で転職可能な地位は
大名クラスか、何一つ何もない家の両極
中上位間層 は絶対ありえない >>205
江戸時代も武家に生まれたりしなければ結構自由なんだがなぁ つうか武家といっても下級武士なんて内職自由、婚姻自由 、士売買自由、なんでもありだが?
逆に名主層は村政を担い、地方自治の根幹だから自由は許されない
基礎がわかってない馬鹿が多すぎだな 大前提で土地を持つものは自由は基本許されない
武士や河原は身一つだから逆に自由度は高い
江戸の武士は土地を持たない
何故ならば下克上で繋がりがあるからだろ ハッキリ言うが、江戸時代の身分は徳川が勝手に区分したもので、ここに意味はない
土地に根差した生活けんを保持維持出来てたかどうかがポイントだろ
足利将軍家や守護大名、そして国司層以外は在地の大豪農が豪族化して土豪地侍の武士領主化したものが大半なんだから、
土地を基盤に考えていかないと話にならないんだよ 馬鹿だから豪農≠武士領主とおもってんだろうが
中世豪農が武装して発展したものが土豪地侍だという大前提わかってんのか?
大規模な土地を所有するものは昔も絶大な力を固持できている
関東武士団なんて生活スタイルは武装豪農だぞ
名門鎌倉関東武士団なんて江戸時代はかなりの家が帰農して名主層になってるほど、基盤に大地主の豪農稼業が存在すんだが? そうかんがえると武士稼業に不浄職も包括されてるのは、
江戸の武士の出自にも繋がりがあったからだろ
豪農の職制に不浄な仕事なんて一切ないぞ
それは豪農層に不浄出自が存在しなかったから名残がないんだろ >>212
関東は特殊だよ?
馬足軽なんて兵種がある時点で他の土地と違う。 214
それは関東では朗党レベルの末端ですら出自は名門豪農の
一門だからですよ
関東は傭兵なんて雇わない。身分不詳を傭兵にしていない
あくまで一門団結武装による一団なので足軽ですら大将との血筋関係が存在する
しかし東海成り上がり軍団は傭兵は完全に身分を問わず徴兵して何十万ていう軍団に作りあげてるから確固たる壁が存在する >>215
薩摩はオール銃兵ドクトリンで今の合衆国海兵隊とおなじだが・・・
上級武士も戦闘時には馬降りて銃撃つぞ。 つうか戦闘時にゲームみたいに騎馬戦してるなんて幻想だから。
関東武士団も戦闘時は騎馬から降りて歩兵戦闘だわ 関東 は中世まで大将から末端朗党レベルまで血族関係
だから基本は末端まで騎馬兵装が許される
うまの骨東海軍団ごときと一緒にしないでもらいたい 200 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 05:16:15.25
さすれば、歌舞伎役者、僧侶、河原者、サンカ、逃亡農民、平家の落人、等々もカワタでいいのでしょうか?
↑
彼らはカワタとは呼ばない。エタの範疇でしょう。
カワタ=エタは近世になってからの後付け。 カワタは武士の支配下にあった職業集団とみるべきでしょう。
「カワタの職業技術」
死牛馬は放っておけば、自然に返ります。(疫病にもなりかねませんが)カワタはそれを文明に利用する技術(リサイクル?)をもっていたと思います。
骨や爪はそろばんの桁、櫛、装飾品など。 毛や尾は和紙作りのすのこ、筆。
脂肪は蝋燭材、油。 血液や内臓は薬品
毛皮は武具、太鼓、武具 骨と皮は煮詰めてニカワ
寺や神社に残る日本画はニカワが接着剤に使ってるため保存できてます。西洋の油絵に匹敵すると言う方もいます。
しかし、今の日本では「ニカワ絵」の歴史についてあまり語られていません。日本の精神史にとって無視されてます。
牛の皮を使った和太鼓は、ほとんど部落で作られてますし、その演奏は国際的に好評です。これもカワタの歴史と技術の賜物では?
また、杉田玄白「解体新書」に基づく、日本人初の人体解剖はカワタが行い、殆どの臓器を言い当てたといいます。・・・・「蘭学事始」より 人国記、陸奥の国(P.49〜P51
陸奥の国の風俗は、その辺鄙たるゆえに、人の気詰まりて、気質のするどなること
万丈の岸壁を見るがごときにして、たまさかに道理を知ると言えども、改めて非を知ることなし。
例え知ると言えども改めて非なさらざなること少なく、例えば江の水の流れなくて塵芥の積もりて清むることなきがごとし。
さるほどに名人の名を呼ぶほど人を聞こえざるなり。
末代もってかくのごとくなるべし。
(中略)
この国の人は日の本のゆえにや、色白くして眼青い人多し。
(中略)
とにかく粗忽あらましなる風俗なり。 エタ、カワタという専門職集団がいなかった東北では、そういう仕事は誰が
やっていたのかねえ。 >>230
会津戦争のウキペディアみてみ
思い切り被差別民おるで・・・・ >>231
南東北は歴史的に北関東との繋がりが深いんだからそりゃいるでしょ 第46回東日本部落解放研究集会
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/infomation/higasiKenkyuSyukai2014.pdf
開催期日 2014年7月3日(木)〜4日(金)
主催 部落解放同盟関東甲信越地方協議会
協賛 東日本部落解放研究所
主会場
<1日目/全体会> みなかみ町観光会館
<所在地> 群馬県利根郡みなかみ町湯原455
<2日目/分科会> ホテル会議室(水上ホテル聚楽、ひがきホテル、源泉湯の宿松乃井)
集会スローガン「平和と人権の21世紀を創造し、部落解放を展望する新たな理論を築こう。」
参加対象
@部落解放同盟各支部の活動家および部落大衆
A部落解放をめざす行政・教育の関係者および各級議員
B部落解放運動や研究に関わる研究者・宗教者・企業・学生・市民
参加資料代 4,000円
@参加を希望する方は、部落放同盟各都県連合会を通じて申し込みをしてください。
A参加費用については、4,000円(参加資料代)を各都府県県連合会を通じて納入してください。
参加券(領収証)をお渡しします。
会場 ホテル聚楽 モンブラン
歴史と文化 「山梨の部落史〜東日本の部落史シリーズ@〜」 報告+討論 第33回九州地区部落解放史研究集会
http://www5.plala.or.jp/kumakaiken/yotei/2014/33-kaihousi.pdf
近年、被差別部落の歴史をめぐって、全国各地で多くの史料が発掘され研究も大きく前進しています。
日本史・世界史研究の進展が背景にあることはいうまでもありませんが、それによって「部落の歴史像」
は大きく変わり、教科書も書き換えられたことは周知のとおりです。
九州地区部落解放史研究集会は発足以来、そうした研究成果をより早くよりわかりやすく発信しようと
努めてきました。33回をむかえる今回はとくに「被差別民の多様性」に焦点を当てています。九州地域
の被差別民のさまざまなありようについて新しい史料に基づいた新しい知見が得られることでしょう。
たくさんの皆さまのご参加をお待ちいたします。
開催期日 2014年8月2日(土)〜3日(日)
会場 佐賀市文化会館 3階 大会議室
主催 九州地区部落解放史研究連絡協議会/佐賀部落解放研究所
後援 佐賀県人権・同和教育研究協議会
参加費 \1,000(資料代含む)
…事前の申し込みは不要です。ご参加の皆さまは直接、会場にお越しください。
『九州の被差別民、その多様性をさぐる』
8月2日(土)
10:30〜12:00 地元特別企画「佐賀の差別戒名発見25年」
太田心海(佐賀部落解放研究所理事長/研究員)
中村久子(佐賀部落解放研究所事務局長/研究員)
13:30〜13:50 開会行事
14:00〜17:00 研究報告/意見交換
報告@「近世九州の被差別民、その多様なありようを見る」
中村久子(佐賀部落解放研究所)
8月3日(日)
9:00〜12:00 研究報告/意見交換/全体討議/まとめ
報告A「近世・近代移行期における被差別部落の多様性」
竹森健二郎(福岡県人権研究所)
全体討議 まとめ:共同研究者 花岡昌宣(熊本県部落解放研究会) 邪馬台国九州人蔑視が畿内説でしょ。
「卑弥呼は野蛮な九州土人の女酋」≠「高貴な畿内の天皇」という考え方。 エタは最下層ながらもそれなりに生活していける基盤があったから中世以降も増えて行ったんだろう。
維新時、身分制解放と共に裕福なエタを妬んだ一部農民が差別の意識を強めて迫害した図式が成り立つな。 部落差別をなくする運動強調旬間記念講演会
「歴史からみた差別」 講師:井沢元彦さん(作家)
2014年7月9日(水)
14:00〜15:30(開場13:30)
会場/高知県立県民文化ホール(グリーン)
定員500人 入場無料
http://www.city.kochi.kochi.jp/uploaded/life/62136_pdf1.pdf >>236
それ明治期の話だろ
今、同和の側が自分は奴隷だったって言ってるよw
利権欲しさにな。
同和利権って物凄いんだぞ。免許タダだし。税金も取り立て厳しくないし。
ブログに、宦官、奴隷、傭兵(一時期除く)基本的にいないって書いたら
ものすご〜く粘着されたぞ
http://ameblo.jp/antiloop/entry-11822751592.html
http://ameblo.jp/antiloop/entry-11822157367.html >>238
確かにすごいよな
今年お騒がせの人間のうち、塩村だけが親のやってきたことや、
子供時代のことをまったく暴露されないからな
あの文春や新潮でさえ、及び腰だからな
今週号の文春や新潮なんか、野々村の子供時代のことから、親のことまで、
暴き立てられたけど、塩村の場合は、放送作家時代のことは多少書かれたけど、
新潮だけが、トヨタの創業者一族から別れるときの手切れ金で1000万
むしりとったことと、母親が親父が警察の厄介になったことがあるとの事で、
結婚に強硬に反対したと書いていただけで、親父が何をしでかしてきたのか?
は一切触れていないからなww
ネットで噂されているように福山市の塩村一なる人物が彼女の父親だとすると、
塩村のあの特異な性格と1000万手切れ金をむしりとったこと、
母親が強硬に結婚に反対したことが結びつくのだけど。
まあ、文春や新潮の記者も福山市に入ったら、相当面食らっただろうなww
あそこは身元調査反対の看板があちこちに掲げられている町だからな
同級生がうかつなことを喋ると何をされるか分からないからな
ちなみに河内守は突っ張り高校生時代の写真が出てきたし、
オボちゃんはエアー恋愛の過去が出てきたし、
片山の祐ちゃんはガキの頃虐められていたときちんと報道されていた。
もう一人の声優のアイコは、性同一障害とやらで、これも得体の知れない
団体がついているのか今のところは、音沙汰なしだし、
大量殺人容疑者のほうは捜査が難航しているのか、ぼちぼちとしか
出てこないけど >>236
金持ちと言ってもエタ銭じゃあな
金貸しは嫌われて当然 部落解放同盟と朝鮮総連が自作自演差別事件で共同闘争を展開している実態が明らかになった。
両団体は「差別落書き(解同)」、「チマチョゴリ切り裂き(朝連)」などの自作自演差別事件を工作活動しており、
「同和利権」と「在日特権」保護のために共闘関係にある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています