【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
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今でも本山が拝み屋の元締めをやってるくらいだから
昔なんて寺銭貰えれば黙認だろう >>463
私度僧って僧への国家としての受戒が機能していた奈良、平安時代の概念では?
阿号を名乗るのは室町時代。ロココの頃仏教は国家仏教で無くなっているから、各寺院が勝手に戒を授けてたのでは? >>465
ああそうか。書きながらなんとなく変だなという気がしてたが、そういう意味だね。分かった。ありがとう。 江戸後期からは確実にある
維時文政七甲申歳二月五日徳川十一代将軍家齋
公時代當地區民家近隣村民非道壓迫矣於茲當時
戸長四良右衛門憂深之時恰青山藩主擁道中行列
敢然抵身及直訴而為區民喪一命行年四十五歳 >>33、>>468
差別しろというお触れもでてますね。公儀がわざわざお触れを出す理由は何なんだろう。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
UYFSC >>460
それ西日本の話しかい? 育った地域で気をつけろとよく言われてる 大国主は女好きで新羅で朝鮮女を孕ませ多くの子供ができた。
大国主は国王なので日本に行けばいい暮らしが出来ると考えた子供たちは海を渡って
きた。
ところが国譲りで大国主は国王どころか幽閉されていた。
朝鮮の子供達は怒って新羅教をつくり天皇や皇室の悪口を言いふらしてまわった。
天皇の成り手がないほどだったという。
こうして皇族がいる集落が被差別部落と言われるようになった。
早稲田大学の調査で天皇の古墳の分布と被差別部落の分布がほぼ一致していることが
明らかになっているのがなによりの証拠である。 古代に朝鮮人によって高貴な人が住む集落を被差別部落と貶めたところに
明治以降同和利権を求めて朝鮮人が住み着いたというのは皮肉だ。
いつの時代も朝鮮人はいらない。 古墳の周りに規則的に竪穴式住居が配置されている遺構がある
古代から賤民身分が有ったのだろう >>474
古墳と被差別部落の分布が一致するのは墓守をする天皇家の関係者の集落を
被差別部落と言ったから。 不思議なことに、古事記・日本書紀は天皇が編纂を命じたにもかかわらず、なぜか
天皇についてはひどく悪く書かれている。
この理由は被差別部落を理解すれば分かる。
大国主が朝鮮の新羅の女に産ませた子供が日本に渡り、国譲りで大国主が幽閉された
ことを知り、これに腹を立て、新羅教を作り、皇室の悪口を言いふらしたことにより、
被差別部落が出来たことは前に述べた。
実は、この大国主の「オオ」と古事記を書き表した太安万侶の「オオ」とは同一の
意味なのである。
オオとは出雲の「おうの国」のことであり、太安万侶とは出雲の「おうの国」の
安万侶という意味であり、大国主は「おうの国」の王という意味である。
つまり古事記を書いた太安万侶は大国主と同じ出身であり新羅教(後に出雲教)に
関係していたので天皇を悪く書いたのである。
新羅教(出雲教)は現天皇の打破、出雲系の天皇の擁立を図っていたのである。 19−20世紀転換期における日本のアカデミズムと被差別部落認識
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23720336/23720336seika.pdf
喜田貞吉は文部省の教科書の検定や執筆に関わった後、京都大学の教授となり、同大や東北大学で古代史の教鞭をとった。
喜田は、「複合民族論」で知られる日本人種論を展開したことで知られる。
喜田は複合民族論のなかで、どのような人種が日本列島に到来したかについて、その大枠については鳥居龍蔵の学説を踏襲している。
ただし被差別部落民については、古代史研究の立場から独自説を提示した。
喜田は、被差別部落民の起源を、天孫族(蒙古人種)よりも前に朝鮮半島から渡来し、
弥生式土器を使用した国神人種で、天孫族に征服され、隷属状況に置かれた人びとに求めている。
さらには、柳田國男の山人論の枠組をも流用し、蒙古人種によって征服された異民族が被差別部落民に編入されたとする論を展開している。 お〜創価、創価
と言ってたりする人がいるけど、
なぜだと思う
山梨(不明)のほうのチンピラが何やら、
関係しているとか 邪馬台国というスレッドによると
聖徳太子は、いたのか、いないのか?
という話になっている
卑弥呼よりも聖徳太子のほうが重要だ
みたいな話 >>477
天孫族に征服され隷属状況に置かれた人々が被差別部落民であるとする説は
次の理由で間違っている。
古墳の分布と被差別部落の分布が一致するが、彼らに古墳の近くに住み始める
必要性はない。
そして、2000年もの長い間蔑まれていた集落に住み続ける必要性もない。
被差別部落は町の中にもある。当然日本語を話すことが出来る。
嫌な思いをするなら出ていっているはずだ。
居続けるには居続けるだけの必要性があったはずだが彼らにはそれはない。
逆に天皇に関わっていた人々には、住み始め、住み続ける必要性があった。
彼らには、墓守をすることと、電話やメールがない時代、皇室に何かあると
真っ先に駆け付けられるように、その場所に留まり連絡を待つ必要性があった。
ある被差別部落の人々は天皇の即位式を大正時代まで勤めたという。
また、明治維新で天皇が東京へ行かれたときは被差別部落の人々がお供をしたと
いう。 主人と使用人は別
同じ氏族である必要もないし
同じ人種である必要もない 日本の賤民は狡賢くて卑怯で陰険で陰湿で粘着質で暴力的な悪党が多い。
弱い者いじめも差別も大好き。真の差別主義者とはこいつらのこと。
穢れ多き人に非ずとはよく言ったものだ。 モリカケでそうであるように、証拠もないのに騒ぎ立て、印象操作であり得ない
疑惑を作るのが朝鮮人の通常のやり口です。
いつも無いことで日本に言いがかりをつけてくる。
朝鮮半島に住んでいようと日本に住んでいようと
彼らのやり口は常に一緒です。
嘘でも100回言えば真実になるということです。
出雲新羅教によって悪口を言いふらし高貴な皇室の人々を被差別部落に貶めたのも
同じことなのです。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
ST1 まだ穢多非人差別ってあったりするの?
バカでもわかるように教えて
苗字で分かったりするもんなん? 苗字ではわからない
部落に多い苗字だからと言って部落とは限らないわけだし >>492
今は実質ないと思うけどな
ディープな地域では嫌がらせとかあるみたいだけど嫌がらせしてるほうに人間的欠陥がありそうに思う記事内容だからな
昔はバカの一つ覚えみたいに忌み嫌っていた職種でも
今は一般庶民にマトモな知識が付いたから、そんなものないと思う
近年差別されてるのは、在日さんとか生保さんとか自称被差別民とか、国から出る金による生活スタイルの方々だよね… これからは移民をどんどん受け入れて在日差別や部落差別をなくしていこう
by安倍 いま私たちが一部の在日外国人に嫌な感情を持っているような感じだったんだろうね
古い時代に、他国から職人集団が移住してきたり、他国から流浪の民が流れてきたり、そういうのが 天災や飢餓で土地を追われた貧民が集まって集団化していっただけだろ
職人集団だったら有難がられることはあっても嫌がられたりしない >>498
単に山奥に住み着いたか河原に住み着いたかの違いでしかない 陵戸は朝廷から農地を与えられたりして良民と同レベルの扱いを受けてるんだよなあ
無税地の河原に集まってバラック集落作ってる連中とは大違いだ >>502
それ逆らしい。
部落が縄文系で、差別してる方が弥生系か朝鮮帰化人系らしい。 >>505
見渡すと、納得できるところがある(弥生人にとっ捕まった人たちなのかも) 弥生時代の渡来系弥生人というのは、縄文系弥生人と居住地を
分けて住んでいたらしい。
民族意識が強い人々みたいなんだよね。
日本の階層は
弥生系>朝鮮帰化人系>縄文系
なんじゃねえか? 倭人や秀吉に強制連行されたかわいそうな朝鮮人の子孫ニダ 縄文系弥生人って弥生人と混血した縄文人の事だからな 古墳期の朝鮮帰化人第一号の新羅系の秦氏は仲哀天皇がラブコールしてやって来たんだよ。
だから、相当高い地位で迎えられているはずだよ。
実際、文民で技術者ばかりだから、これで倭はようやく原始社会から抜け出したんだよ。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 そんな昔までルーツたどれるなんてすごいです。皇室並みですよね。同和の皆さんは藤原氏以上にすごい。皇室の藩塀として皇室守り立てていきましょう。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 部落とは集落、地区を意味する言葉です。長閑な古き良き日本の原風景を意味する言葉です。差別用語ではありません。文科省は小学生からきちんと指導してくださいね。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. エタとは何か、何者か、諸説入り乱れ定説が作れない。
エタは賎称(蔑称)である、罵倒語である、差別語である、言ってはいけない禁忌語である、との説がある。
エタは賎民である、特殊民である、被差別民である、不可触民である、との説がある。
エタは身分である、エタという身分である、との説がある。
エタは職業である、エタという職業である、との説がある、
エタは非人である、という説もある。穢れ多し→非人であると。
エタは河原者である、という説もある。
エタは同和(同じ日本人)である、という説がある。
エタは異人である、という説がある。
エタは特殊部落民である、被差別部落民である、部落民である、との説がある。
その他諸々。
そういう言葉遊びは止めませんか。 数十年後には人口の1/3が移民になるわけですが、日本人の間に無理矢理区別つくって利権漁っている同和の皆さんはこれからどうするのでしょうか? 吉原の遊女とか花魁とかってどのポジションだったの? >>522
エタ、非人は遊女になれない。バレたら紹介者も厳罰。
遊女は身請けされて素人の妻になることもあるのだから、エタや非人が遊女になったら身分ロンダリングができてしまう。 部落という言葉は江戸期の文献には確認出来ない言葉である。
部落という言葉は明治以降に町方に対する村方の集落という意味で使用され普及したことばである。
町方に対しては部落とは言はない。
必ずしも農業をやっているとは限らないが、農村部の農家の集落地が部落という言葉の原意である。
町方在所、という言葉もあったが、この場合、在所が部落と同義語である。
小説や随想には見受けられる言葉だが、あまり公文書には見受けられない言葉である。
部落という言葉は俗語であった。
とにかく出鱈目な国語、国史を教えないでくれ。 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 賤民概論‐特殊部落論は、部落解放同盟という運動団体のアイデンティティであり、
運動を正統化するためのイデオロギーであり、
それ自体がプロパガンダとして機能している。
であるから賤民概論‐特殊部落論を論じれば論じるほど、
部落解放同盟の諸活動→部落解放運動に帰納することになる。
そのような論説者は偉大な人権啓蒙家の先生、と讃えられ、
カルト集団の仲間入りとなるだろう。 水平社運動→大正期に結社された水平社という団体の諸活動、
部落解放運動→本家本流とでも云うべき水平社の後続団体、
部落解放同盟という団体の諸活動は、
デマゴギーに元ずく運動であり、デマゴギーを濃縮し、発散していくような運動だった。
自作自演も当たり前、って感じ。 >>524
江戸時代だと、町方の集落は○○町と呼ばれ、村方の集落は○○村と呼ばれただけでは? 質問があるんだけど竹細工や筆を作る仕事はどうしてこういう人たちの仕事なの?
やらせてもらえるのはこの人たちってだけ? 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. 田舎の地名で「大字(おおあざ)」ってあるでしょ? 大字が部落
ちなみに字(あざ)が集落 >>533
どちらかというと小字が部落。
集落は家屋の物理的な集まりで、
部落は家の社会的な集まり。
関西でも一般の部落と被差別部落がある。
関西で「被差別部落解放運動」が盛んになり、「部落差別反対!」というスローガンが叫ばれるうちに、いつの間にか被差別部落だけを「部落」というようになった。 大正期、結社した水平社という団体は、自らの部落を一般部落と差異化し特殊部落であると自称し、
差別撤廃運動とやらを開始した団体である。
何を基準に、一般/特殊を、区別したのか、
突き詰めていくと、不明、としか言えない事実に突き当たるだろう。 穢多について今までは興味がありませんでしたが高校時代の同級生に鋳場崎って同級生がいてその名字は士農工商時代の最下層身分だったという文献を発見した!!( ; ロ)゚ ゚
やっぱりあいつは穢多非人身分だったのか!
ある町営住宅に今も住みその地域も江戸時代の士農工商から外れた部落に今も住んでいる。 皮なめしの技術を朝鮮からの渡来人が伝えたから穢多は朝鮮人と言ってるバカが居るんだよ >>537
半分くらいはそうなんだろうとは思う
百済は毎年奴隷(職人と女)を千人単位で輸出してたわけだし、新羅や渤海もそれに倣って職人や女を毎年朝貢してたんだから
奴隷居留地はあっただろうし、そういう地域を穢れた土地として忌み嫌う差別主義者だっていただろう >>547
古人骨のDNA調べたら父系が縄文系で母系が渡来系だったじゃん
古代から渡来系との混血が進んでた証拠 >>524
>>528
明治の町村合併があったんだよ。
そのときにずいぶん合併して自治体としての「村」が出来た。小学校の基礎もこれだ。
で、江戸時代の「村」と同じだしややこしかったんだろうな。
江戸時代の村は部落とよんで呼び分けた。現在の大字小字だな。
最初は「特殊部落」と言われていた。特殊を取って単に「部落」というように
なったのはごく最近だ。普通の部落を普通に部落と言ってたからな。
いつごろか?
橋のない川関連で某団体が糾○会をやり始めたころかな?
まあ50年も経っていない。 いわれはひとつじゃないんだろう。
陵戸起源もあるだろうし、特殊技能(皮皮関係やそのほか)もあるんじゃね。
ただ、カムイ伝を信じると間違うよ。
明治になって特権(皮皮処理)などを奪われ、正業が成り立たなくなって苦しくなった地域もできた。
それ以前は、けっこう栄えているw
なんせ、村の規模が100戸以上とか大きいのがあるからな。
貧困に喘いで食うや食わずの生活ならこんなに増えない。
商品化が進んだ江戸中期以降は、米作農家よりも商品生産や職人のほうが実入りが良かった。
というか、税金の捕捉が少ないから手取りが多くなる。
米以外の商品作物をせっせと作っていたのが西日本。
出稼ぎや奉公で稼ぐのも多かった。
奈良だと、綿の生産、繰綿生産等に人でがたくさん必要で、雇われが重宝されたらしい。
稼ぎも良かった(と昔の部落の歴史みたいな本に証言が出てくる)
家畜の死を扱うという点で嫌われたり避けられたりはしたが稼げるところに人は集まり、
今では「よそもん」の移民のような人ばっかりが住んでいる「童話住宅」もあるそうな。
もとの住人は、金持ちだからよそに豪邸を建ててるらしい。 部落問題とやらの語りべ達は、何が言いたいのか、何をやりたいのか、さっぱり訳がわからない。
だから、何? という違和感を感じさせる。
そもそもどういう立場でものを言っているのか。
あんたら自身は一体何者なのか。 すべての皮多村が草場の権利を持ってた訳じゃないし
鞣しまでしてたわけでもない
渡辺村のように栄えてたところは一部だけ > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 部落戸籍名簿があったことも昔は企業や銀行で有名だった。今では一部の右翼団体しか知らない。よく大学に個人情報目的で窃盗があったりするが、今部落戸籍が土地転売などでもうけるので転出して分からないらしい。 >>55
『児玉誉士夫』
wikiに書いてある、設定みたいな話
実際は雑魚でしょ、
右翼の大物とか、何の話なの? むかーし、どこかの城に通っていたの?
住んでいたというところも、家の老婆の実家の近所(少し離れている?)みたいだし、
二本松のほう? ほんとうに教科書から「部落差別の歴史」は消えたのか? 歴史研究者・上杉聰さんインタビュー
https://www.bengo4.com/c_23/n_9829/ >>45
そして松本家は朴に松本姓を与えることによって増長していった。 食肉、皮革はいうまでもなく、鉄関係(トヨタの三次下請けみたいなところ)もエタ利権。
差別じゃなくて利権。
今のベトナム人みたいな感じで朝鮮人をこきつかった。
報酬は雀の涙でもかわりにゴミ、食肉でいうとホルモン、タンやテールを与えた。これは未だに、ゴミ扱いで朝鮮人が処分料をもらって引き取っていく利権になっている。屑鉄も同じ構図。
みんな差別、つまり心のなかでどこかバカにしてたつもりがしっかり利権として美味しいところを独占されている。
ラーメン、ホルモンなんてゴミをいかに高く売るかの商売。
古着ブーム、アウトレット、リサイクルショップ。
ゴミを高く売ることに長けてる彼らは何十年も前から着々と浸透してきた。
B≧Kをバカにしてる間にすっかり逆転されてしまった。
職業がら色々な金持ちを見るけどそのなかでもまず飲食、次に医者、そして弁護士に彼らの比率が高い。ヤクザは当然として士業関係にもかなり多い。
バカにしてるりつもりが既に支配されている。
それを知らない人が多すぎる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています