【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
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田舎の地名で「大字(おおあざ)」ってあるでしょ? 大字が部落
ちなみに字(あざ)が集落 >>533
どちらかというと小字が部落。
集落は家屋の物理的な集まりで、
部落は家の社会的な集まり。
関西でも一般の部落と被差別部落がある。
関西で「被差別部落解放運動」が盛んになり、「部落差別反対!」というスローガンが叫ばれるうちに、いつの間にか被差別部落だけを「部落」というようになった。 大正期、結社した水平社という団体は、自らの部落を一般部落と差異化し特殊部落であると自称し、
差別撤廃運動とやらを開始した団体である。
何を基準に、一般/特殊を、区別したのか、
突き詰めていくと、不明、としか言えない事実に突き当たるだろう。 穢多について今までは興味がありませんでしたが高校時代の同級生に鋳場崎って同級生がいてその名字は士農工商時代の最下層身分だったという文献を発見した!!( ; ロ)゚ ゚
やっぱりあいつは穢多非人身分だったのか!
ある町営住宅に今も住みその地域も江戸時代の士農工商から外れた部落に今も住んでいる。 皮なめしの技術を朝鮮からの渡来人が伝えたから穢多は朝鮮人と言ってるバカが居るんだよ >>537
半分くらいはそうなんだろうとは思う
百済は毎年奴隷(職人と女)を千人単位で輸出してたわけだし、新羅や渤海もそれに倣って職人や女を毎年朝貢してたんだから
奴隷居留地はあっただろうし、そういう地域を穢れた土地として忌み嫌う差別主義者だっていただろう >>547
古人骨のDNA調べたら父系が縄文系で母系が渡来系だったじゃん
古代から渡来系との混血が進んでた証拠 >>524
>>528
明治の町村合併があったんだよ。
そのときにずいぶん合併して自治体としての「村」が出来た。小学校の基礎もこれだ。
で、江戸時代の「村」と同じだしややこしかったんだろうな。
江戸時代の村は部落とよんで呼び分けた。現在の大字小字だな。
最初は「特殊部落」と言われていた。特殊を取って単に「部落」というように
なったのはごく最近だ。普通の部落を普通に部落と言ってたからな。
いつごろか?
橋のない川関連で某団体が糾○会をやり始めたころかな?
まあ50年も経っていない。 いわれはひとつじゃないんだろう。
陵戸起源もあるだろうし、特殊技能(皮皮関係やそのほか)もあるんじゃね。
ただ、カムイ伝を信じると間違うよ。
明治になって特権(皮皮処理)などを奪われ、正業が成り立たなくなって苦しくなった地域もできた。
それ以前は、けっこう栄えているw
なんせ、村の規模が100戸以上とか大きいのがあるからな。
貧困に喘いで食うや食わずの生活ならこんなに増えない。
商品化が進んだ江戸中期以降は、米作農家よりも商品生産や職人のほうが実入りが良かった。
というか、税金の捕捉が少ないから手取りが多くなる。
米以外の商品作物をせっせと作っていたのが西日本。
出稼ぎや奉公で稼ぐのも多かった。
奈良だと、綿の生産、繰綿生産等に人でがたくさん必要で、雇われが重宝されたらしい。
稼ぎも良かった(と昔の部落の歴史みたいな本に証言が出てくる)
家畜の死を扱うという点で嫌われたり避けられたりはしたが稼げるところに人は集まり、
今では「よそもん」の移民のような人ばっかりが住んでいる「童話住宅」もあるそうな。
もとの住人は、金持ちだからよそに豪邸を建ててるらしい。 部落問題とやらの語りべ達は、何が言いたいのか、何をやりたいのか、さっぱり訳がわからない。
だから、何? という違和感を感じさせる。
そもそもどういう立場でものを言っているのか。
あんたら自身は一体何者なのか。 すべての皮多村が草場の権利を持ってた訳じゃないし
鞣しまでしてたわけでもない
渡辺村のように栄えてたところは一部だけ > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 部落戸籍名簿があったことも昔は企業や銀行で有名だった。今では一部の右翼団体しか知らない。よく大学に個人情報目的で窃盗があったりするが、今部落戸籍が土地転売などでもうけるので転出して分からないらしい。 >>55
『児玉誉士夫』
wikiに書いてある、設定みたいな話
実際は雑魚でしょ、
右翼の大物とか、何の話なの? むかーし、どこかの城に通っていたの?
住んでいたというところも、家の老婆の実家の近所(少し離れている?)みたいだし、
二本松のほう? ほんとうに教科書から「部落差別の歴史」は消えたのか? 歴史研究者・上杉聰さんインタビュー
https://www.bengo4.com/c_23/n_9829/ >>45
そして松本家は朴に松本姓を与えることによって増長していった。 食肉、皮革はいうまでもなく、鉄関係(トヨタの三次下請けみたいなところ)もエタ利権。
差別じゃなくて利権。
今のベトナム人みたいな感じで朝鮮人をこきつかった。
報酬は雀の涙でもかわりにゴミ、食肉でいうとホルモン、タンやテールを与えた。これは未だに、ゴミ扱いで朝鮮人が処分料をもらって引き取っていく利権になっている。屑鉄も同じ構図。
みんな差別、つまり心のなかでどこかバカにしてたつもりがしっかり利権として美味しいところを独占されている。
ラーメン、ホルモンなんてゴミをいかに高く売るかの商売。
古着ブーム、アウトレット、リサイクルショップ。
ゴミを高く売ることに長けてる彼らは何十年も前から着々と浸透してきた。
B≧Kをバカにしてる間にすっかり逆転されてしまった。
職業がら色々な金持ちを見るけどそのなかでもまず飲食、次に医者、そして弁護士に彼らの比率が高い。ヤクザは当然として士業関係にもかなり多い。
バカにしてるりつもりが既に支配されている。
それを知らない人が多すぎる。 しつこいよね、このネタ。
エタヒニンとかブラクとか言っちゃいけない言葉だ、差別語だと言う人もいるけど、それならば、言うなよって、教科書にも記述すんなよって、公教育で一切使うなって話にはならないのかね。
差別語とやらをがなり散らしたい人のため部落史ではないか。 大国主は朝鮮に行って190人の子供を作った。
子供は日本に行けば良い生活ができると思い来てみたが国譲りで大国主は牢獄に入っていた。
子供は天孫族の悪口雑言を言いふらしまわった。天孫族が貶められたのが被差別部落の
はじまり。
戦後朝鮮人がマスコミに入って日本人の悪口を言い続けてるのと同じ。 明治維新の嘘だらけの真実
明治維新天皇のすり替え説は真実だった!その殆どの実行犯は長州閥が実行犯!
歴史で習った日本史は出鱈目だった!
https://kabukachan.exblog.jp/22232976/ 俺は高知の部落民だが自分なりに調べて考えた結果江戸〜明治初期の部落民(エタ)と呼ばれる人は
1、流浪民
年貢が払えない農民、落ちた侍、疫病系で外された人等々。が多分一番多そう。
2、特殊職業の人達
ある種の特権階級の専門職の人達。
が殆どじゃないかと思うけどね。
長宗我部地検帳には僕の故郷の地名にも既に「坂のモノ」の所有地田畑がある。江戸時代前に既に流浪民ではない土地の所有権を認められた家があったようです。
この場合の「坂のモノ」をどういった定義で捉えるかは難しいですね。 えた、ひにん、その他、これは地域によって分類も扱いも仕事も違うと思う >>562
古くから鉄関係に関わってる家はスキタイからの流れなんじゃないの?
あんたの言ってること殆んど戦後の話だよね? 570やけどホンマに地域によって違うと思うんだわ。
ウチの部落内では○○はお寺系とか微妙な括りがあったりするけど他所からは一緒くたやん?
差別を助長する訳じゃなくて単純な興味なんだよね。 NHK大阪制作のEテレ「バリバラ」で被差別部落のことをやるのか。
2月6日と13日、20時放送 >>578
だろうな
穢れと結びつけられたのは天然痘を持ち込んだから
新羅人な 今のコロナ騒ぎを見ると、やっぱり疫病と関係ありそうだな。 >>570
> 俺は高知の部落民
今でも回りの地区からあなたの地区は差別されてるのですか? >>576
> ウチの部落内では○○はお寺系とか微妙な括り
浄土真宗が部落系のお寺だそうですよ。 >>585
俺んちも浄土真宗やわ、他の宗派は部落の民を受け入れんかったからな。宗教ってほんま糞よな。 >>584
特には無いな。経験はあるけどあんまり気にしてない。 うーん…朝鮮系の流入はあったと考えられるけど田舎にはあんまり流入してないからな。高知生まれだけど四国自体韓国系少ないわ。大きな工場地帯が無かったのとほぼ一次産業がメインだった(今でもやけど)からだと思うわ。 >>589
ありがとうございます。
https://www.youtube.com/channel/UCzzBHOwE9DN8zSHw_4Y5ITQ/videos
今は、神奈川県人権啓発センターが部落探訪動画をだしてて、解放同盟から訴えられているんのですが、
あなたは、神奈川県人権啓発センターに関してどう思われますか?
あなたの所では差別はもうない、という認識でいいですか?
あなたの所がどういう経緯で部落になった?というのは把握されてますか?
「坂のモノ」このいい方は初めて目にして勉強になりました。
これって、農民にとって坂は農地にならないどうでもいい場所。
そこに何らかの弱者集団がやってきた。
「だったらお前らあの坂の所なら住んでもいいよ」って流れになった、ってことはないですか? つか、東京の高級住宅地は全部坂なんですよねw
田園調布なんて田んぼになる平地はないですw
山また山の地区の木を切って、「高級住宅地ですぅ〜」と売り出しだだけwww あと、俺が思うのは、
我々は無数の差別をしてるわけですよ、ブス差別、東京に住んでるヤツは嫌いだ、とか、大阪弁は汚いとか。
なのに、人種差別、部落差別だけがやり玉に上げられるのは、いかがなものか?と思うんですよ。 >我々は無数の差別をしてるわけですよ、ブス差別、東京に住んでるヤツは嫌いだ、とか、大阪弁は汚いとか。
そういう思考の人間が全般的に差別してるんであって、普通に暮らしていたらブス差別だの大阪差別だのくだらないことはしない >>595
1、女とエッチした、陰毛がやたらもじゃもじゃ生えてた、なんかイヤになった
2、女とエッチした、〜〜地区の出身だと聞かされた、なんかイヤになった
どっちも同じだと思うんだよね。 で、どっちも許容されるべきだと思うんだけど。 ブス女にブスと罵るのはよくないし、〜〜地区の人にエタと罵るのはよくないよ。
しかし、根源的な好き嫌いは許容されるべきでしょ。 ただ思うだけなら個人の自由だが、オッサンがイヤだと騒ぐのを許容するほどファンタジーな世の中ではない
お前みたいなオッサンはキモイんだよシッシッ、とギャルに言われてハイ分かりましたと言えるのか? 親子丼よりカツ丼の方が好きだ、も差別だけど許容されるべきだと思うけどw >>598
お前が言ってんのは陰口を認めろってこと
バカか? >>599
オッサンがギャルをナンパして、ギャルに「オッサンは嫌いだ!」と罵られるのは仕方ないんじゃないの? >>603
じゃあ、君はギャルをナンパして、
ギャルに「オッサンは嫌いだ!」と罵られたら、
「許せない!人権問題だ!差別問題だ!」とギャル糾弾するんだw まあ、理屈としたら、
「〜〜地区に住んでる人間は嫌いだ!」はアリとた思うけど、
現実問題として「〜〜地区に住んでる人間は嫌いだ!」と思ってる日本人は本当にいるのか?って疑問があるわな。 つまり、思想信条の自由を保証すべき、ってこと。
たとえば、
天皇家はプレミアムな存在です!を押し付ける今の憲法はとてもよくないと思う。
それと同時に〜〜は穢れてる、と思ってはダメ!というのもよくない。
〜〜は穢れてると思うのは個人の勝手です。 解放同盟の人は、
個人の思想信条の自由を無視して、
1、日本人なら天皇さまをマンセーしなければいけません!
2、被差別地域の人間を穢れてると思ってはいけません!
ってことなのかね? ほんとーは日本の天皇自体(自身)、
部落とか、そういう系統なんだろう。
なぜか中華(中国?)などが嫌いだとか。 『天子』(『中華思想』)
調べてみた?おかしな話ばかりだから、
(時系列?)時間、時代〜〜〜流れがあるでしょ。 >>611
天皇家の家系がどうであれ、俺的にはどうでもいいわけ。 どうせ元をたどればみんなゴリラだかチンパンジーなんだから。
ただ、特別な家系として、憲法や法律に書くことがムカつくんだよね。 とてもムカつく。 >>614
日本は天皇を中心とした勢力が形造っていった国だからね。
でも敗戦後GHQが天皇制を廃止、解体していたら今頃日本はどうなっていただろうね。 >>615
> でも敗戦後GHQが天皇制を廃止、解体していたら今頃日本はどうなっていただろうね。
気持ち悪いマンセーがなくて清々しい美しい国になってたと思うよ〜 >>615
つーか、あなたが、
>日本は天皇を中心とした勢力が形造っていった国だからね。
との理由で天皇家の皆さんを日々マンセーするのは結構な話だと思うのよ。
でも、それを俺にまで強要するな!
憲法や法律に書くんじゃねぇ!ってことよ。 ふーん、それで何時代の話?
明治、昭和とか、その頃の話だろう。 >>617
あのさ、お前がもし太平洋戦争中に生きていたらその意見を公に表明したか?
すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。 >>619
> すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。
国がこうなるのを君はいいことだと思ってるの? 美しい日本を↓のうよな北朝鮮みたいな国にしないためにも天皇制には反対なのじゃ。
>>619
> すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。 >>591
動画についてはちょっとだけ見ましたけどなんとも言えない。全国を知ってるわけでは無いからね。ただうちの市では同和地区にある施設は一般(広域)向けの施設に殆どなってる。
差別は無くならないと思うよ。潜在的に人が持つものだとも思うし。
坂の者はhttps://kotobank.jp/word/%E5%9D%82%E8%80%85-1323592
僕の地区は検地帳と合致します。所謂穢れの扱いを生業にしてたのではと思います。 >>622
おお、ありがとうございます。 デジタルの電子辞書を持ってるので全文をはっておきます。 坂(さか)
傾斜地,上り下りする道をさす語であるところから,古来さまざまな意味合いで用いられてきた。
語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。
しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。
〈遠つ国(とおつくに)〉で死者の住む世界である〈黄泉国(よみのくに)〉と〈この世〉とは,〈黄泉の界(さかい)〉で仕切られつつ,たがいに接した形で想念されていたし,
その場所は〈黄泉の坂〉でもあった(《古事記》《万葉集》)。このように,あい異なる世界を区分するところとして坂が強く意識されたのは,坂の道を上りつめた峠と不可分だからであり,峠を越えると,すでに異郷(他国)なのであった。
山中を通る坂は,しばしば異常な事態が顕現するところとして人々に畏怖された。旅人を脅かす山賊もそうであったが,鬼や天狗や化物たちも畏怖の対象であった。
山中の坂が,そのように超日常的な事象の生じやすい世界の一つと観念されたのは,山中を〈他界の地〉とみたり,〈山神〉のいますところとみたりする信仰の力が働いていたからと推察され,
それに,異郷へむかってすすむことへの不安や,異郷をわたりあるくことへの恐れが合わさって,坂の意味をいっそう深いものにしていたと考えられる。 古代末期から中世をつうじて,奈良や京都を中心とした地方では,主要な街道の坂道に相当数の貧窮民・流浪民が集住し,荘園領主(大寺社)の管下に統轄され,
〈坂者(さかのもの)〉とか〈坂非人(さかのひにん)〉などと呼ばれながら雑業・雑芸に従事していたことが知られている。奈良坂や京都清水坂(きよみずざか)はその好例といえる。
戦国期の大名領国制では,山地が他大名の領国との境界をなすことが多く,甲斐国の例では,国外への追放処分に付することを〈坂を越さす〉と称していた(《甲陽軍鑑》)。
坂の語は比喩としてもさかんに用いられてきた。〈胸つき坂〉といえば難局に直面するようすを意味するし,〈下り坂〉といえば辛苦が消えて楽になることや,命運の傾きをさす。
〈坂に車〉は,車を引いていて上り坂で息を抜くと後戻りするし,下り坂で勢いづくと容易には止められないことから,万事につけて油断するなとの処世訓である。
また人生を長い坂道に仮託してみることも古くから行われたようで,〈五十の坂を越す〉との表現はその好例であるが,宗教思想にもとづき,年齢によって生誕から死までをいくつかの段階に区切り,
全過程を坂,もしくはそれに似た形状のもの(半円型の橋や階段状の橋)に乗せて図示して布教に資したのは,日本のみならずアジア・ヨーロッパの各地でもみられた。なお,盗人の隠語で坂といえば,大阪方面をさした。 横井 清 世界大百科事典 坂者【さかのもの】
坂という周縁的な場に集住した中世非人の一種。京都の清水坂と奈良の奈良坂のそれがもっとも有名で,
13世紀前期,両坂非人はそれぞれ比叡山・興福寺を背景として,畿内近国の非人宿の支配権をめぐり抗争した。清水坂非人の上層部は祇園感神院の*犬神人(いぬじにん)として編成された。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 神人(じにん)
〈じんにん〉ともいう。平安時代末期から室町時代末期にかけての荘園制社会において,さかんに活動した神社の下級神職者や寄人(よりうど)と呼ばれた人をさす。
奈良時代に律令制の身分制度で〈神奴(しんど‖かみやつこ)〉〈神賤(しんせん)〉とされ,神社に隷属して領地田畠の耕作,調度品の製造,社域内の清掃をはじめとする雑役を務めた賤民の系譜をひくものとみられている。
神主職,宮司職の配下に置かれ,種々の任務・職掌をそれぞれの伝統・習慣に応じて分担したが,神社組織での本末関係(本社と各末社との関係)により,
本社に常勤奉仕する神人を〈本社神人〉,各地の末社を中核とする社領荘園に散在し,寄人として末社の任務に従事した神人を〈散在神人〉と称した。
大和の春日社(現,春日大社)の例では,一部の特別の事例を除けば本社神人は黄衣(こうえ)(黄色の衣)を,散在神人は白衣(びやくえ)(白色の浄衣(じようえ))を,それぞれ制服として着用し,前者は〈黄衣神人〉,後者は〈白人(はくじん)神人〉と称されていた。
神人に課された任務には,神事祭礼のさいの雑役(ぞうやく),社域の警固,領地・領民の管理・監察,非常事態における軍事・警察的行動,神社の要求事項を中央政権に対して突きつける嗷訴(強訴)(ごうそ)の示威活動等々があって,
ことに嗷訴は大寺院に付属して武装活動をなした僧兵のそれと並び称せられ,中世政治史上きわめて重要な意義をになった。 また,鎌倉時代末〜南北朝時代のころから室町時代を通じて,神人の内容も多様化したようで,手工業・商業の活動や,諸芸能活動を通じて神人の身分・地位を得,神社の威勢を背景として社会的・経済的実力を伸ばすものも続出した。
手工業・商業関係の神人では,綿座(わたざ)を組織して活躍した京都祇園社(ぎおんしや)(現,八坂(やさか)神社)の神人や,
灯明油を製造して本社の石清水社(いわしみずしや)(現,石清水八幡宮)に進納するのを本務としながら灯明油の製造・販売について強大な特権を誇りつづけた
大山崎離宮八幡宮(おおやまざきりきゆうはちまんぐう)所属の大山崎油座(あぶらざ)神人や,食生活のうえで欠かせなかった麹(こうじ)の製造・販売でやはり大きい権益を保持した京都北野社(きたのしや)(現,北野天満宮)の麹座神人などが史上に名高い。
散在神人の出身階層は,各地の在地の武士,荘官・名主(みようしゆ),手工業職人・商人等々にわたるが,そのほかに〈非人(ひにん)〉系の神人集団があり,とくに〈犬神人(いぬじにん)〉〈つるめそ〉と呼ばれた京都祇園社直属のそれがよく知られている。
神人は江戸時代に入ると下級神職だけにしぼられ,その名称も古くから神職のうち神主職と祝(はふり)職との間の職名としてもちいられてきた〈*宜(ねぎ)〉の語が適用されるのが普通になった。
横井 清 世界大百科事典 つるめそ
鎌倉時代から江戸時代にかけて,京都の清水坂,建仁寺のあたりに集住した〈賤民〉の一種。
本来の名称は〈犬神人(いぬじにん‖いぬじんにん)〉といい,祇園社(ぎおんしや)(八坂神社)に隷属して,
最下級の神人(じにん)として境内地・墓所などの清掃や祇園御霊会(ごりようえ)(祇園祭)の神幸の警護,神幸路の清めなどを主要な任務にするとともに,とくに中世には比叡山延暦寺の末社であった祇園社の軍事的・警察的組織をなして縦横に活躍した。
また,京都での葬礼に関する権益を保持して布施を得たことも知られている。
江戸時代の文献では,
犬神人,弦売僧,弦女曾,弦練作,弦召などと漢字表記されたが,犬神人を〈つるめそ〉と訓読した例は中世の文献にはみあたらず,沓(くつ)(履物)とあわせて弓弦(ゆんづる)の製造・行商で生計をたてていたことから,
〈弦召そう〉という売声が人々の耳になじみ,それが犬神人の別称となって江戸時代に入って定着したものと推察される。
《七十一番職人歌合》の十六番に登場する犬神人は路上に座して弦を商い,〈つるうり(弦売)〉と呼ばれ,〈つるめし候へ〉と売声を発している。 また,天文年間(1532‐55)の俳諧連歌集《犬筑波集》には〈弦や召されん〉という売声をあげて行商した〈坂の者(さかのもの)〉(犬神人であろう)がいたことをうかがわせている。
弦売の名のほかに〈弦懸(つるかけ)〉という名称も犬神人の別称の一つとして中世末期には各地に広まっていたようで,これは弓筈(ゆはず)に弦を仕掛ける作業をいい,それに犬神人が関係したことによると思われるが,
それらしい様態は《上杉家本洛中洛外図》の中の,弓屋の店さきで弦掛けをしている白頭巾・赤衣の男の姿にもうかがえる。
白布を組結(くみむすび)にして覆面し,赤系統もしくは茶系統の色の衣を着用するのは犬神人の独特の服装であり,神人として任務に従うさいには,その衣の下に鎧(よろい)を着こんで棒(八角棒か)を持ち,帯刀したが,
夏の祭礼の警護のときなどは衣をとり,腹当(はらあて)という簡素な鎧姿で立ち働くことが多かったらしい。
なお,祇園社の犬神人ばかりでなく,本願寺(浄土真宗)の配下にも犬神人たちがいて,南北朝時代から江戸時代初期にかけて歴代門主の葬送に〈棒持衆(ぼうもちしゆう)〉〈棒ノ衆〉として供奉したり,室町末期には〈弦懸〉の名で本願寺に弦を献納したりしていた。
犬神人という名称の由来は定かでないが,祇園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に従って天下りした牝牡2匹の白犬の末裔が人間と化し,犬神人の祖となったという伝承もあり,
荒唐無稽な話ではあるが,強い賤視を被るようになる以前,ごく初期の時代の犬神人たちには一種の神聖さがみとめられていたことをしのばせる。
なお,つるめそは,他に越前の気比神宮などにもいたことが知られている。 横井 清 世界大百科事典 犬神人【いぬじにん】
中世〜近世における最下級の*神人。畿内近国の諸社や鎌倉の鶴岡八幡宮にもみえるが,京都の祇園感神院(山門末)の犬神人はもっとも有名。
祇園社の場合は,社頭の清掃・警固,祭礼の神幸の先導をはじめ,京中諸人の葬送,癩者非人の管理,山門強訴の先兵・住宅検封などに従った。清水坂に居住し弓弦を製造していたものは*坂者(さかのもの)・弦召(つるめそ)とも呼ばれた。 岩波日本史辞典CD‐ROM版 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています