【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
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>>576
> ウチの部落内では○○はお寺系とか微妙な括り
浄土真宗が部落系のお寺だそうですよ。 >>585
俺んちも浄土真宗やわ、他の宗派は部落の民を受け入れんかったからな。宗教ってほんま糞よな。 >>584
特には無いな。経験はあるけどあんまり気にしてない。 うーん…朝鮮系の流入はあったと考えられるけど田舎にはあんまり流入してないからな。高知生まれだけど四国自体韓国系少ないわ。大きな工場地帯が無かったのとほぼ一次産業がメインだった(今でもやけど)からだと思うわ。 >>589
ありがとうございます。
https://www.youtube.com/channel/UCzzBHOwE9DN8zSHw_4Y5ITQ/videos
今は、神奈川県人権啓発センターが部落探訪動画をだしてて、解放同盟から訴えられているんのですが、
あなたは、神奈川県人権啓発センターに関してどう思われますか?
あなたの所では差別はもうない、という認識でいいですか?
あなたの所がどういう経緯で部落になった?というのは把握されてますか?
「坂のモノ」このいい方は初めて目にして勉強になりました。
これって、農民にとって坂は農地にならないどうでもいい場所。
そこに何らかの弱者集団がやってきた。
「だったらお前らあの坂の所なら住んでもいいよ」って流れになった、ってことはないですか? つか、東京の高級住宅地は全部坂なんですよねw
田園調布なんて田んぼになる平地はないですw
山また山の地区の木を切って、「高級住宅地ですぅ〜」と売り出しだだけwww あと、俺が思うのは、
我々は無数の差別をしてるわけですよ、ブス差別、東京に住んでるヤツは嫌いだ、とか、大阪弁は汚いとか。
なのに、人種差別、部落差別だけがやり玉に上げられるのは、いかがなものか?と思うんですよ。 >我々は無数の差別をしてるわけですよ、ブス差別、東京に住んでるヤツは嫌いだ、とか、大阪弁は汚いとか。
そういう思考の人間が全般的に差別してるんであって、普通に暮らしていたらブス差別だの大阪差別だのくだらないことはしない >>595
1、女とエッチした、陰毛がやたらもじゃもじゃ生えてた、なんかイヤになった
2、女とエッチした、〜〜地区の出身だと聞かされた、なんかイヤになった
どっちも同じだと思うんだよね。 で、どっちも許容されるべきだと思うんだけど。 ブス女にブスと罵るのはよくないし、〜〜地区の人にエタと罵るのはよくないよ。
しかし、根源的な好き嫌いは許容されるべきでしょ。 ただ思うだけなら個人の自由だが、オッサンがイヤだと騒ぐのを許容するほどファンタジーな世の中ではない
お前みたいなオッサンはキモイんだよシッシッ、とギャルに言われてハイ分かりましたと言えるのか? 親子丼よりカツ丼の方が好きだ、も差別だけど許容されるべきだと思うけどw >>598
お前が言ってんのは陰口を認めろってこと
バカか? >>599
オッサンがギャルをナンパして、ギャルに「オッサンは嫌いだ!」と罵られるのは仕方ないんじゃないの? >>603
じゃあ、君はギャルをナンパして、
ギャルに「オッサンは嫌いだ!」と罵られたら、
「許せない!人権問題だ!差別問題だ!」とギャル糾弾するんだw まあ、理屈としたら、
「〜〜地区に住んでる人間は嫌いだ!」はアリとた思うけど、
現実問題として「〜〜地区に住んでる人間は嫌いだ!」と思ってる日本人は本当にいるのか?って疑問があるわな。 つまり、思想信条の自由を保証すべき、ってこと。
たとえば、
天皇家はプレミアムな存在です!を押し付ける今の憲法はとてもよくないと思う。
それと同時に〜〜は穢れてる、と思ってはダメ!というのもよくない。
〜〜は穢れてると思うのは個人の勝手です。 解放同盟の人は、
個人の思想信条の自由を無視して、
1、日本人なら天皇さまをマンセーしなければいけません!
2、被差別地域の人間を穢れてると思ってはいけません!
ってことなのかね? ほんとーは日本の天皇自体(自身)、
部落とか、そういう系統なんだろう。
なぜか中華(中国?)などが嫌いだとか。 『天子』(『中華思想』)
調べてみた?おかしな話ばかりだから、
(時系列?)時間、時代〜〜〜流れがあるでしょ。 >>611
天皇家の家系がどうであれ、俺的にはどうでもいいわけ。 どうせ元をたどればみんなゴリラだかチンパンジーなんだから。
ただ、特別な家系として、憲法や法律に書くことがムカつくんだよね。 とてもムカつく。 >>614
日本は天皇を中心とした勢力が形造っていった国だからね。
でも敗戦後GHQが天皇制を廃止、解体していたら今頃日本はどうなっていただろうね。 >>615
> でも敗戦後GHQが天皇制を廃止、解体していたら今頃日本はどうなっていただろうね。
気持ち悪いマンセーがなくて清々しい美しい国になってたと思うよ〜 >>615
つーか、あなたが、
>日本は天皇を中心とした勢力が形造っていった国だからね。
との理由で天皇家の皆さんを日々マンセーするのは結構な話だと思うのよ。
でも、それを俺にまで強要するな!
憲法や法律に書くんじゃねぇ!ってことよ。 ふーん、それで何時代の話?
明治、昭和とか、その頃の話だろう。 >>617
あのさ、お前がもし太平洋戦争中に生きていたらその意見を公に表明したか?
すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。 >>619
> すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。
国がこうなるのを君はいいことだと思ってるの? 美しい日本を↓のうよな北朝鮮みたいな国にしないためにも天皇制には反対なのじゃ。
>>619
> すぐさま特高警察が飛んで来てただろうな。 >>591
動画についてはちょっとだけ見ましたけどなんとも言えない。全国を知ってるわけでは無いからね。ただうちの市では同和地区にある施設は一般(広域)向けの施設に殆どなってる。
差別は無くならないと思うよ。潜在的に人が持つものだとも思うし。
坂の者はhttps://kotobank.jp/word/%E5%9D%82%E8%80%85-1323592
僕の地区は検地帳と合致します。所謂穢れの扱いを生業にしてたのではと思います。 >>622
おお、ありがとうございます。 デジタルの電子辞書を持ってるので全文をはっておきます。 坂(さか)
傾斜地,上り下りする道をさす語であるところから,古来さまざまな意味合いで用いられてきた。
語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。
しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。
〈遠つ国(とおつくに)〉で死者の住む世界である〈黄泉国(よみのくに)〉と〈この世〉とは,〈黄泉の界(さかい)〉で仕切られつつ,たがいに接した形で想念されていたし,
その場所は〈黄泉の坂〉でもあった(《古事記》《万葉集》)。このように,あい異なる世界を区分するところとして坂が強く意識されたのは,坂の道を上りつめた峠と不可分だからであり,峠を越えると,すでに異郷(他国)なのであった。
山中を通る坂は,しばしば異常な事態が顕現するところとして人々に畏怖された。旅人を脅かす山賊もそうであったが,鬼や天狗や化物たちも畏怖の対象であった。
山中の坂が,そのように超日常的な事象の生じやすい世界の一つと観念されたのは,山中を〈他界の地〉とみたり,〈山神〉のいますところとみたりする信仰の力が働いていたからと推察され,
それに,異郷へむかってすすむことへの不安や,異郷をわたりあるくことへの恐れが合わさって,坂の意味をいっそう深いものにしていたと考えられる。 古代末期から中世をつうじて,奈良や京都を中心とした地方では,主要な街道の坂道に相当数の貧窮民・流浪民が集住し,荘園領主(大寺社)の管下に統轄され,
〈坂者(さかのもの)〉とか〈坂非人(さかのひにん)〉などと呼ばれながら雑業・雑芸に従事していたことが知られている。奈良坂や京都清水坂(きよみずざか)はその好例といえる。
戦国期の大名領国制では,山地が他大名の領国との境界をなすことが多く,甲斐国の例では,国外への追放処分に付することを〈坂を越さす〉と称していた(《甲陽軍鑑》)。
坂の語は比喩としてもさかんに用いられてきた。〈胸つき坂〉といえば難局に直面するようすを意味するし,〈下り坂〉といえば辛苦が消えて楽になることや,命運の傾きをさす。
〈坂に車〉は,車を引いていて上り坂で息を抜くと後戻りするし,下り坂で勢いづくと容易には止められないことから,万事につけて油断するなとの処世訓である。
また人生を長い坂道に仮託してみることも古くから行われたようで,〈五十の坂を越す〉との表現はその好例であるが,宗教思想にもとづき,年齢によって生誕から死までをいくつかの段階に区切り,
全過程を坂,もしくはそれに似た形状のもの(半円型の橋や階段状の橋)に乗せて図示して布教に資したのは,日本のみならずアジア・ヨーロッパの各地でもみられた。なお,盗人の隠語で坂といえば,大阪方面をさした。 横井 清 世界大百科事典 坂者【さかのもの】
坂という周縁的な場に集住した中世非人の一種。京都の清水坂と奈良の奈良坂のそれがもっとも有名で,
13世紀前期,両坂非人はそれぞれ比叡山・興福寺を背景として,畿内近国の非人宿の支配権をめぐり抗争した。清水坂非人の上層部は祇園感神院の*犬神人(いぬじにん)として編成された。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 神人(じにん)
〈じんにん〉ともいう。平安時代末期から室町時代末期にかけての荘園制社会において,さかんに活動した神社の下級神職者や寄人(よりうど)と呼ばれた人をさす。
奈良時代に律令制の身分制度で〈神奴(しんど‖かみやつこ)〉〈神賤(しんせん)〉とされ,神社に隷属して領地田畠の耕作,調度品の製造,社域内の清掃をはじめとする雑役を務めた賤民の系譜をひくものとみられている。
神主職,宮司職の配下に置かれ,種々の任務・職掌をそれぞれの伝統・習慣に応じて分担したが,神社組織での本末関係(本社と各末社との関係)により,
本社に常勤奉仕する神人を〈本社神人〉,各地の末社を中核とする社領荘園に散在し,寄人として末社の任務に従事した神人を〈散在神人〉と称した。
大和の春日社(現,春日大社)の例では,一部の特別の事例を除けば本社神人は黄衣(こうえ)(黄色の衣)を,散在神人は白衣(びやくえ)(白色の浄衣(じようえ))を,それぞれ制服として着用し,前者は〈黄衣神人〉,後者は〈白人(はくじん)神人〉と称されていた。
神人に課された任務には,神事祭礼のさいの雑役(ぞうやく),社域の警固,領地・領民の管理・監察,非常事態における軍事・警察的行動,神社の要求事項を中央政権に対して突きつける嗷訴(強訴)(ごうそ)の示威活動等々があって,
ことに嗷訴は大寺院に付属して武装活動をなした僧兵のそれと並び称せられ,中世政治史上きわめて重要な意義をになった。 また,鎌倉時代末〜南北朝時代のころから室町時代を通じて,神人の内容も多様化したようで,手工業・商業の活動や,諸芸能活動を通じて神人の身分・地位を得,神社の威勢を背景として社会的・経済的実力を伸ばすものも続出した。
手工業・商業関係の神人では,綿座(わたざ)を組織して活躍した京都祇園社(ぎおんしや)(現,八坂(やさか)神社)の神人や,
灯明油を製造して本社の石清水社(いわしみずしや)(現,石清水八幡宮)に進納するのを本務としながら灯明油の製造・販売について強大な特権を誇りつづけた
大山崎離宮八幡宮(おおやまざきりきゆうはちまんぐう)所属の大山崎油座(あぶらざ)神人や,食生活のうえで欠かせなかった麹(こうじ)の製造・販売でやはり大きい権益を保持した京都北野社(きたのしや)(現,北野天満宮)の麹座神人などが史上に名高い。
散在神人の出身階層は,各地の在地の武士,荘官・名主(みようしゆ),手工業職人・商人等々にわたるが,そのほかに〈非人(ひにん)〉系の神人集団があり,とくに〈犬神人(いぬじにん)〉〈つるめそ〉と呼ばれた京都祇園社直属のそれがよく知られている。
神人は江戸時代に入ると下級神職だけにしぼられ,その名称も古くから神職のうち神主職と祝(はふり)職との間の職名としてもちいられてきた〈*宜(ねぎ)〉の語が適用されるのが普通になった。
横井 清 世界大百科事典 つるめそ
鎌倉時代から江戸時代にかけて,京都の清水坂,建仁寺のあたりに集住した〈賤民〉の一種。
本来の名称は〈犬神人(いぬじにん‖いぬじんにん)〉といい,祇園社(ぎおんしや)(八坂神社)に隷属して,
最下級の神人(じにん)として境内地・墓所などの清掃や祇園御霊会(ごりようえ)(祇園祭)の神幸の警護,神幸路の清めなどを主要な任務にするとともに,とくに中世には比叡山延暦寺の末社であった祇園社の軍事的・警察的組織をなして縦横に活躍した。
また,京都での葬礼に関する権益を保持して布施を得たことも知られている。
江戸時代の文献では,
犬神人,弦売僧,弦女曾,弦練作,弦召などと漢字表記されたが,犬神人を〈つるめそ〉と訓読した例は中世の文献にはみあたらず,沓(くつ)(履物)とあわせて弓弦(ゆんづる)の製造・行商で生計をたてていたことから,
〈弦召そう〉という売声が人々の耳になじみ,それが犬神人の別称となって江戸時代に入って定着したものと推察される。
《七十一番職人歌合》の十六番に登場する犬神人は路上に座して弦を商い,〈つるうり(弦売)〉と呼ばれ,〈つるめし候へ〉と売声を発している。 また,天文年間(1532‐55)の俳諧連歌集《犬筑波集》には〈弦や召されん〉という売声をあげて行商した〈坂の者(さかのもの)〉(犬神人であろう)がいたことをうかがわせている。
弦売の名のほかに〈弦懸(つるかけ)〉という名称も犬神人の別称の一つとして中世末期には各地に広まっていたようで,これは弓筈(ゆはず)に弦を仕掛ける作業をいい,それに犬神人が関係したことによると思われるが,
それらしい様態は《上杉家本洛中洛外図》の中の,弓屋の店さきで弦掛けをしている白頭巾・赤衣の男の姿にもうかがえる。
白布を組結(くみむすび)にして覆面し,赤系統もしくは茶系統の色の衣を着用するのは犬神人の独特の服装であり,神人として任務に従うさいには,その衣の下に鎧(よろい)を着こんで棒(八角棒か)を持ち,帯刀したが,
夏の祭礼の警護のときなどは衣をとり,腹当(はらあて)という簡素な鎧姿で立ち働くことが多かったらしい。
なお,祇園社の犬神人ばかりでなく,本願寺(浄土真宗)の配下にも犬神人たちがいて,南北朝時代から江戸時代初期にかけて歴代門主の葬送に〈棒持衆(ぼうもちしゆう)〉〈棒ノ衆〉として供奉したり,室町末期には〈弦懸〉の名で本願寺に弦を献納したりしていた。
犬神人という名称の由来は定かでないが,祇園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に従って天下りした牝牡2匹の白犬の末裔が人間と化し,犬神人の祖となったという伝承もあり,
荒唐無稽な話ではあるが,強い賤視を被るようになる以前,ごく初期の時代の犬神人たちには一種の神聖さがみとめられていたことをしのばせる。
なお,つるめそは,他に越前の気比神宮などにもいたことが知られている。 横井 清 世界大百科事典 犬神人【いぬじにん】
中世〜近世における最下級の*神人。畿内近国の諸社や鎌倉の鶴岡八幡宮にもみえるが,京都の祇園感神院(山門末)の犬神人はもっとも有名。
祇園社の場合は,社頭の清掃・警固,祭礼の神幸の先導をはじめ,京中諸人の葬送,癩者非人の管理,山門強訴の先兵・住宅検封などに従った。清水坂に居住し弓弦を製造していたものは*坂者(さかのもの)・弦召(つるめそ)とも呼ばれた。 岩波日本史辞典CD‐ROM版 神人【じにん・じんにん】
中世の神社の下級神職。
10世紀末頃よりみえ,社頭の警備・清掃その他,恒例・臨時の神役に従った。
とくに南都・北嶺の強訴にあたって僧兵とともに活動したことは有名(*春日神人(かすがじにん)・*日吉(ひえ)神人)。
神人札によって自由交通などの特権を保証され,中世後期には,座をつくって商工業などに進出するものが多く,離宮八幡宮の大山崎油座神人,祇園社の綿座神人,北野社酒麹座神人などは有名。
春日社の神人には,本社直属の本社神人(黄衣神人),奈良中や各地に散在する散所神人,准神人ともいうべき白人神人などの区別があり,京都の祇園感神院には非人の一種としての*犬神人がいた。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 >>622
> 差別は無くならないと思うよ。潜在的に人が持つものだとも思うし。
ってことは、あなたの感覚としては、
・えげつない差別はないけど、ちょい差別、ちょい格下感を感じることはある
でいいでしょうか?
ってことは、
A: 時間の経過が部落差別を薄める
B: 部落解放同盟の活動は評価するがやり過ぎ感がある
C: A:の理屈から神奈川県人権啓発センターの部落探訪動画はよくない
って感じですかね? ↓の岩波日本史辞典 が、ボクの想像と合致ですねw
「坂という周縁的な場」というより「坂という農地にならない場」と書くべきだと思うんだよね。
>>626
> 坂者【さかのもの】
> 坂という周縁的な場に集住した中世非人の一種。 ボクはずーと東京住みで、部落差別の感覚はまったく持ってないのだけれど、
それは、「東京は変化が激しい場」だから部落差別の感覚が消失したのであって、
変化の少ない農村部では江戸時代の感覚をキープしてるのかな?と思うんですよね。 非人【ひにん】
(1)中世の被差別民の包括的呼称。狭義には坂の者・宿の者・乞食非人。
中世被差別民には癩者・乞食・河原者・穢多・坂の者・宿の者・犬神人・散所法師・庭者・清目・獄囚などさまざまな呼称があるが,非人は本来,一般共同体から排除された者の意味で,河原者・坂の者・宿の者・獄囚などはこの意味により非人と包称された。
一方,癩者・穢多・清目・庭者などは中世特有のケガレ観・職能観による呼称である。周縁的存在であって,キヨメ機能を担う者として,中世前期には畏怖と賤視の目で見られた。とくに*清水坂と*奈良坂の非人は有名。
(2)江戸時代,乞食の境遇にある者の身分呼称。非人仲間(組織)に人別把握されていない者を*野非人などと呼ぶ場合もある。非人は,三都をはじめ全国各地の城下町近傍の非人集住地を中心にして*非人頭の下に組織された。
非人の生業は,基本的には物貰いや乞食であるが,非人仲間に所属する非人には,野非人の取締や下級行刑役・警察役が賦課された。
非人には,俗に<*足洗い>と称する平人身分への復帰があることや,平人が社会的没落によって非人になるという身分の成立ちにおいて,穢多身分とは明確に異なる。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 穢多【えた】
中・近世の賤民身分の呼称。<えた>の史料的初見は,13世紀後半の辞書「塵袋」。餌取(えとり)がなまって<エタ>と称したとする語源説とともに,<人マシロヒモセヌ>ものとして説明されている。
近世において,<穢多>称は,主として*斃牛馬処理に携わる者(かわた・長吏)に対しての蔑称として用いられ,幕府の公式用語としても使用。身分的には,中世以来の河原者=屠者の系譜で考えられている。近世,穢多身分に対する身分的規制の主要なものは次の3つである。
1)斃牛馬処理の体制的強制。皮革原料を生産するという側面と同時に,彼らに対して<穢>を強制するという側面があった。2)権力による行刑的・警察的な諸役の賦課。負担の具体的内容については,他の賤民の役負担の内容と関わって地域により異なる。
3)本村=百姓身分の村の政治的支配をうける*枝村(枝郷)としての身分的従属。しかし,身分的規制のあり方から直接的に彼らの実態を描くことはできない。たとえば,すべての者が行刑的・警察的諸役や斃牛馬処理に従事していたわけではない。
むしろ,農業をはじめとする様々な職業に従事していたのが,一般的な実態であった。また,生活水準や諸役負担等において百姓身分の村と全く同様の穢多村も多数存在した。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 河原者【かわらもの】
中世において穢視された身分的集団の総称。呼称は周縁的・境界的な場である河原の地に居住を強制されたことによる。職能の側面から御庭者・清目・穢多などともよばれた。
貴族の大事に飼っていた牛が斃死したところ,<河原人等>が来て皮を剥ぎ解体したという1016(長和5)の記事が初見。斃牛馬処理・癩者管理・刑罰執行・清掃・作庭・菊作りなどに従った。
公方河原者の*善阿弥のように,禁裏・公方・寺社などに所属しつつ,断罪や大嘗会など国家的重要行事には個別権門をこえて召役された。近世穢多身分の中核部分に再編成されたと思われる。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 癩者【らいじゃ】
癩人ともいう。中世から近世にかけての癩病(*ハンセン病)患者の呼称。実態としては,症状の類似した皮膚病の患者も含まれていたと考えられている。
中世では癩は起請文言に,誓約にいつわりあれば白癩・黒癩に罹るというように,仏罰・神罰の現れと考えられており,症状が現れると所属する家・共同体から去り,非人集団に入る習わしであった。
近世においては,癩者のみで集落を構成して勧進などで生活する他に,家族とともに在宅する場合もあった。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 長吏【ちょうり】
(1)中国の中下級官吏の呼称を原義とし,日本では寺院組織の長官。寺院毎に別当・座主(ざす)・検校(けんぎょう)の異称をもつ。
園城(おんじょう)寺・勧修寺・横川楞厳(よかわりょうごん)院では長官を長吏とよび,とくに園城寺(三井)長吏は聖護院・実相院・円満院門跡から補任された。
(2)中世非人の統括者。1055(天喜3)に<非人之長吏>とみえるのが初見。鎌倉期の畿内近国の非人宿は播磨法師など国名を称する長吏らに率いられていた。彼らは婚姻関係によって相互に結ばれており,その組織は臈次(ろうじ)をもち座的に編成されていた。
(3)江戸時代の賤民身分の呼称。関東・東北地域,中国筋などでは穢多身分の別称として用い,町離などとも表記。関東の弾左衛門支配下では,自称として使用された。また,大坂などでは非人集落の頭をさす。
岩波日本史辞典CD‐ROM版 しかし、穢多【えた】と非人【ひにん】の違いがわかんないですねw 日本人はほぼ純血種だからね、外見の違いによる差別ではないんだよ
各地によって部落の成り立ちに違いはあれど
税金で刑務所の運営が出来るようになる迄は各地の部落が罪人や異常者の流刑地だった
馬車すらまともになかった日本で島流しの輸送はとても難しいからね
革や肉の手に職をつけている人は比較的軽犯罪か更正の可能性がある同和でもましな人
警察も保険も福祉もない時代に家族を殺されたり盗まれたりすると受けるダメージは現代と比べられない位大きいけど
時代劇にあるような尾奉行なんて庶民には縁がない話で罪人はその土地の中で犯罪者の集落に流されるだけ
特別な由来を持つ所もあるんだろうけど、大体は先祖代々犯罪者でその周囲が被害者なんだから嫌われてるってだけ当たり前話 >日本人はほぼ純血種だからね
歴史に疎いキッズかしら
今でこそ我々は日本人という括りになってるが
古代中世の列島は多民族の多言語わよ 職人系は海の向こうから運ばれてきたし国内でも遠くから呼ばれて移住した
地の民にしてみれば「風貌や習俗の違うヨソモノ」でしかない
古来からムラ社会だから、それだけの理由で勝手に敵視したり疎んだりした
そこをまず分かってないよね
嬉々として決めつけた卑しさを語りたがる人って 中世の荘園制から郷村制への転換期に差別が生まれたのではないかと思う 部落の主な仕事は農民の監視や罪人の拷問・処刑など
皮革の権利なんてのはそれらのおまけでしかない >>643ってリアリティあるけど。
つまり、江戸時代まで村が1つの国だった。
その村々に刑務所なんかないわけで、ルール違反者はエタだか非人だかの身分にしちゃえ!
が、現実的なんじゃないですかね? >>650
東北地方には犯罪者しかいなかったから被差別部落が成立しなかったわけだな 警備や処刑は誰にでもできるが
皮革や瓦焼きなんかの専門職は技術が無いと出来ないよ >>652
じゃ、東北地方は現在の刑務所に相当する場所はどうやって確保してたの? >>653
> 皮革や瓦焼きなんかの専門職は技術が無いと出来ないよ
廃材者はそれの見習いになるのでは? >>655
犯罪者しかいなかったからそういう場所は必要なかったんでしょ そんなん1日研修すりゃできるだろ
皮革も焼物も鉄工も下っぱは大した仕事させてもらえないだろ
技術だけ盗まれてもあれだから
頭大丈夫か 想像で物を語ってるやつら何なの?
少しは勉強しようとか思わないわけ? >>658
じゃ、東北以外は犯罪者は部落にぶち込んでいた、でいいわけ? >>661
さあね。俺が犯罪者だったら京とか都市部に逃げ込むけどな
追ってくる人間も取り締まる人間もいないんだから >>662
村という共同体がある。
その共同体のルールを破れば、死刑 or 村八分=エタの仲間入り or あなたみたいに村を追われる
しか、考えられないが。 荘園制の頃は村のような共同体はなかったと思うけどな
共同体が生まれるのは荘園制が崩れて以降のこと 荘園制の前も、荘園制中も、荘園制後も、
弥生後のメインのお仕事は稲作なわけですよ。
と、稲作をやってれば、ネズミが増えるように人口も増えて村になるのでは?
で、村がある程度の規模になれば、ルールに背くヤツも出て来る、うんで>>643の考えでいけば、部落の存在は必須なのでは? 荘園制なんてのは、農民への暴力的寄生者が発案した制度であり、
食料=米を作る人達が主役であり、その人達の集合体が村なのであって、その村はナゼ部落を作ったか?あるいは部落を欲したか?がテーマなわけ。 荘園制の頃は農民はバラバラに暮らしており共同体なんてものは存在しなかった > 共同体が生まれるのは荘園制が崩れて以降のこと
1、半島から稲作技術をもった少数共同体が日本列島に散らばってった
2、で、なぜか力、武力をもった共同体が天皇を名乗り他の共同体を制圧してった
って流れじゃね? >>667
> 荘園制の頃は農民はバラバラに暮らしており共同体なんてものは存在しなかった
半島からやってきた稲作技術をもった農民がバラバラで暮らしてたのなら、天皇グループなんて暴力者は出て来ません。
「共同体が成熟して天皇グループというヤクザが発生した」だと思うけどねぇ〜 >>667
そもそも、共同体が成熟して、暴力者&被暴力者が存在してたからあのデカい古墳を作れたんでしょ。 天皇グループというヤクザなど、なぜ知っているんだよ。
『姥清水』など・・・家の老婆の話だろう?
母親が言うには言葉遣いも、
おかしかった時期があったと言っていたしw
「われ、なにをしているんだ」とか
「われ?」(意味不明)みたいな話。 老婆の旧姓:渡辺
むかーしの皇族なのかな?
くもすけ、鬼退治、豆まきが〜などの話もしているし。 よくわからないんだけど、偉そうなことばかり言っていたとかw むかーしの芸能関係の話も詳しかったり、
くもすけ(蜘蛛?とあるバンドなどの話)〜、
何かの刀などの話とかw 『渡辺 源氏』この系統なのかな?伝説?
むかーし鬼退治をした家の〜〜〜だから、
豆まきなどしなくても良いと親にも言われて育った、
豆まきも一度もしたことがないとかw テーマ?
ならおまえ自身が実践しろ
おまえが田畑耕せ(°▽°) それにしても?ほんとーに、おかしな話。
老婆談、当時の老婆の知人の話によるとw
家のほうが何か凄い家みたいな話、ウラシマンのような名前の家。 『天財若子』(『王母 龍宮』)
・・・・ウラシマンのような家。 広瀬座というところがあって〜、そこの話もしているし。 >>664>>667
農耕文化は人手が居るんだが
ムラ社会は農耕文化によるものなんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています