坂本龍馬はどう考えても日本史上最高の英雄だろ!
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一介の浪人でありながらたった一人で徳川幕府を倒し、三菱財閥の礎を築き、盗賊にも慕われる龍馬。
意義のある奴は龍馬を超える英雄を挙げてみろ。 坂本の行動みたら中岡新太郎とほぼ同レベルに活躍したくらい
あとは司馬が英雄化した 坂本ageの最初は日露戦争直前の海軍と言われてるね。 んで昭和初期に新聞連載小説がヒットして
それまで無名だった坂本が世間にその名が知れ渡った。 で、シヴァが架空の人物「坂本竜馬」をぶちあげ、
この「キャラ」が独り歩きして現在に至る。 伊藤博文は龍馬のことを西郷と高杉を足して2で割ったような男で大人物だといってる
おおむね司馬がかいたようなイメージの人物なんじゃないかな
もちろん西郷や高杉のほうが歴的重要度はずっと上だけれど 司馬が書いたのよりもっと仁侠ヤクザ風のイメージあるな >>754
坂本は早くから民権思想を持ってたからね
中岡との違い
もっとも中岡も板垣の様に戊辰後は民権思想を持った可能性あるけど 同世代の人間は結構べた褒めしてるんだよね
若くして亡くなったからってのも多分にあるだろうけど
そういえば寺田屋での正当防衛の銃殺以外では自分から殺人をしなかったのが定説だけど、勝海舟の日記には岡田星之助なる人物の暗殺に関わった疑惑があるんだよね >>759
竜馬は第二次長州征伐で軍艦を率いて幕府軍を砲撃してるよな
もちろん当時でいえば、あまり人を斬らないようにしたとはいえるけど、
今と当時で倫理を同じように考えてはいかんね 奇兵隊
会津歴史研究会の井上昌威氏が 、 『会津人群像二十六号 』に 「会津にある小梅塚 」から
山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は 、山縣が新発田へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず 、
余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた 。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである 。
彼らは 、徒党を組んで 「山狩り 」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り 、強盗 、婦女暴行を繰り返した 。
集団で女性を強 姦 、つまり輪 姦して 、時にはなぶり殺す 。家族のみている前で娘を輪 姦するということも平然と行い 、家族が抵抗すると撃ち殺す 。
中には 、八歳 、十歳の女の子が凌 辱されたという例が存在するという 。
高齢の女性も犠牲となり 、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった 。
要するに 、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも 、何歳でもよかったのである 。 やはり龍馬や大村、大久保、伊藤,のような、不意に襲われて痛い思いをする死は嫌だな。
それなりに為すべきことを為しながら、望まないながら死を迎える、
ただし時間が与えられて、いろいろ考えたり、後を託したりできるのがよい。
木戸・高杉…病に倒れ悲運の死というのはいいな。
松陰・周布・武市・近藤…斬首、切腹。どちらにしても従容と死に臨みたい。
斬首でも当然言われて格好悪くさせられる江藤のようなのは嫌。 吉川・歴文ライブラリー「龍馬暗殺」楽しみですな。
それから、最近は佐幕論調の本・言説が多くてウザいので、
今からでもPHP新書「龍馬の八策」を読んで、正しい歴史観を確認した方が好いですかね。 坂本も武力行使前提で事に臨んでいたわ。
今も昔の同じ、丸腰では滅ぼされるだけ。
「戦争できる」その準備こそ大事で、その上で実際にやるかやらないかは別。
西郷先生の云う「戦の一字」よ。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
P9QZQ こいつみたいな捏造された英雄って嫌い。
確実に本人がやってるのは、亀山社中を作ったくらい。
後は捏造と他人がやった事が何故かこいつの手柄に。 じゃ、亀山なんとかも捏造なんだ。
マジでこいつは何やったの?
何もしてないよね。 亀山社中を作ったのは小松帯刀だけど表に出たくなかったので代表を龍馬にした
龍馬は今で言ったら営業員みたいなもんだね
たとえば桂小五郎みたいに頭でわかってても背中押してほしいみたいな面倒くさい人の説得がうまい
関係者同士で直接交渉するとうまく行かなさそうな時に龍馬に仲介を頼む >>768
どの部分が捏造か詳しく聴かせてたもんせ >>1みたいな武田鉄矢っぽい龍馬像のことじゃね?
龍馬って史上最高の英雄とは思わないけど中堅どころの志士としてはけっこう活躍したと思う
幕末は一芸特化型の人たちが長所と短所を補完し合って動いてることが多いから誰が一番って考え方自体が変
ネットで長文ウンチクかましてるような人はお勉強はできたけどコミュ力低くて周囲とうまく行かず
承認欲求こじらせて評価評価くり返してるようなのが多いからコミュ力特化型の龍馬や西郷には憎しみ露わにして
逆に頭は良くて机上の理論は立派だけど実践ではうまく行かなかった人を過小評価の悲劇の完璧超人のように言うよね 幕末の偉人=日本を救った日本史上の殊勲賞は、
阿部定弘、島津斉彬、佐久間象山、勝海舟、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、大久保利通 といったところじゃろ。 龍馬が外国人と親しかったというのは観光客をグラバー邸に呼びたい長崎市の誇大広告 この人のやった事って言われている事、すべてが疑わしい。
捏造疑惑がある。
維新当時は評価されてないもんね。 仲介屋としては当時から評価されてるよ
悪いのは仲介だとわかりにくいからと変な創作を足した連中
龍馬自身は自分が一番の英雄とは言ってないんだから、この人を叩くのは筋違いのような 要は口利き屋程度だったんだね。
にもかかわらず、司馬をはじめ捏造しまくって、今日の龍馬像になってしまった。 「薩長盟約 立役者は誰だ」を読むと、龍馬がいかなる人物か見えてくる部分もあるで。 >>779
捏造だったら明治時代に松陰先生と同じ位階はもらえないよ 「新政府綱領八策」と『西洋事情』初編 ― 2018/02/08 07:09
平山洋さんは『「福沢諭吉」とは誰か』で、「船中八策」は偽文書であるとの
考証を紹介した後、「新政府綱領八策」は『西洋事情』の抜粋だと論を進める。
平山さんは、「新政府綱領八策」という文書を、前藩主山内容堂に差し出された 「上書」だと考える。
後年作られた印象とは異なり、現実の龍馬は土佐藩の 一員として行動していた。
下士である龍馬は前藩主という高い地位の人物と 面会するのは難しく、意見の具申は書類を差し出すことでしかできなかった。
この「新政府綱領八策」も、上司である後藤象二郎を通じて容堂の元に届けら れたものだと考えるのだ。
慶應3年11月上旬、徳川慶喜は大政奉還すると申し出ただけで、未だ征夷 大将軍職を免じられてはおらず、
依然として超大物のままだった。 政治空白 を避けるために、幕府後の体制を審議する諸侯会議が準備されていて、
容堂も 出席する予定になっていた。 土佐藩としての意見を求められた時の用意のた めに、
部下に意見をまとめさせたのが、「新政府綱領八策」という見立てである。
容堂が諸侯会議の席上でアンチョコのように用いることを予想しての文書だ とするならば、やや奇異に感じられるのは、
項目によってはそっけなさ過ぎる 項目があることだ。 (2月6日の当ブログ参照。)
八策のうち、一・二・四 義は一般的な意見にすぎない。 人材を登用し、きちんとした法令を作れ、と いうのは、
過去の諸藩で藩政改革を求める上書にしばしば見られるものだ。 問 題は、簡潔すぎるとも見える残りの五項目で、
平山洋さんは、「新政府綱領八策」 が提出されるに際して、別に参考資料が供されていたと考え、それを福沢諭吉
の『西洋事情』初編だと推測するのだ。
そう考える最大の論拠は、第八義「皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス」と そっくりな「貨幣を造て其位を調理し
外国の貨幣と平均すること」という表現 が、『西洋事情』初編二に米国議会の機能の説明としてあることだ。
第三義「外 国ノ交際ヲ議ス」は『西洋事情』初編一に外交についての明快な説明、
第五義 「上下議政所」は上の米国議会についての詳しい説明があり、
第六義「海陸軍 局」、第七義「親兵」についても同様だ。
『西洋事情』さえ座右にあれば、そ れを辞書のように用いることで、「新政府綱領八策」の内実を捉え損ねる心配は なさそうだ、
というのである。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/02/08/8784478 捏造でも何とでもなる。
時の権力者次第。
龍馬は土佐藩出身者の復権に利用されただけ。 龍馬の名前が売れたのは土佐藩出身の宮内庁勤めの奴が
皇后の夢に坂本龍馬という男が出てきて戦争に日本が勝つと予言した
とかなんとか宣伝したのが始まりだからな 最近だとターニングポイントは阪神淡路大震災
風評被害で京都の観光客が激減し、それまで新しすぎると馬鹿にしていた幕末についても
取材協力や観光整備に力を入れてみたら客が増えた
特に女性客には新選組と龍馬関連の反応が良かったのでその後も観光資源扱いするようになった
龍馬関連の紀行番組の数が圧倒的に京都が多く、次が長崎で高知なのはそれが理由w >>784
違うな。自由民権運動の中で龍馬フルリスペクトが始まってる 当時の人間が龍馬を評価してるというのも当てにならない。
何故なら、現代でもそうだけど売国奴のような政治家でも、別の政治家にあの人の事をどう思いますか?って聞くと
「○○先生は非常に立派な方で日本の将来を考えて行動している大人物です。」
なんて答えるよね。
政治力学を考えて配慮しないといけない訳。
当時もそうで、土佐藩の復権の為に龍馬が使われてるのを知ってるのだから龍馬に否定的な事は言えない。
普通の感覚があれば土佐藩出身者に嫌われるような事をいうはずがなく、むしろ龍馬をほめ倒して土佐藩出身者を味方につけたいと考える。
そして、龍馬大人物説につながるようなおべっか話をする事となる。
それらが重なり、龍馬像が捏造されてゆき、司馬が止めを刺した感じだね。 当時の人間がほめてるってのは龍馬存命もあるぜw
と言っても現代でも外回りの営業はたいてい取引相手と褒め合い合戦をしてるわけで
龍馬その他、他藩との折衝の仕事をしてる人の方が藩内で実務やってたり
技術経済関係を担ってる人より褒め言葉が残ってるのは当然 勝「龍馬暗殺したでしょ」
西郷「何のこつでごわすか」
勝「まあいいや。その真相を土佐侯に知らせてもいいんですが、江戸の総攻撃やめてくれるんならもう一度考えなおします」
西郷「…」
勝「…」
西郷「わかりもした」 龍馬本人がしょぼいから偉い人に脅威とされて暗殺されたんだと騒いで
大物に見せようとするってーゲスな根性が気に入らねえや 「龍馬暗殺」は買いますか?
「薩長盟約 立役者が誰だ」は読んでいますか?
(後者は龍馬より西郷アゲ本ですが)
両方モノにしたいところですが、時間の制約があります。
前者は穏当に京都見廻組の公務執行として結論付けていますし、新味がどれだけあるか。
明日発売ですかね? 書店で中身を確認して決めましょう。 西郷どんスレでアンチ龍馬が釣られてて笑った
薩長同盟締結直前まで龍馬が京都にいなかったことも
前の年に大久保の手紙もって山口まで長州藩重臣を説得しに行ったことも
史料あるだろにw こんなところで本を勧めてないでレビュー書いてやれよw あの時期に捕縛じゃなく問答無用の暗殺をしなければならなかったのは
龍馬の影響力の凄さゆえ んじゃ伏見奉行所の前を歩いてたらいきなり撃たれた無名の薩摩藩士も大物か?
当時は大政再委任派が過激化して大政奉還関係者を殺せと騒いでて
皆が今すぐ戦が起こるんじゃないかと思ってたぐらい一触即発状態だったんだけど >>796
龍馬は池田屋事件から要注意人物として捕縛対象だったけど
そいつも以前から佐幕派からの捕縛対象だったけど時勢が動いて殺されたの? 坂本は評価する者の立ち位置で評価は真逆になる
だから、どっち側の立ち位置での評価を知りたいのか明確にしてもらわないとな
朝鮮人の立ち位置では勿論、英雄に違いない
坂本竜馬、グラバー、伊藤博文ら薩長の朝鮮部落民、海援隊、水戸藩・・
ここらへんが日本を朝鮮人支配にさせた英雄だ そもそも長州の下級武士=大内氏の素性を知ってんのか低脳ども >>801
お前日ユ同祖論とか本気にしてるトンデモ本愛読者だろwwww 信者もアンチもトンデモや創作や観光PRを信じてるからつまらん 龍馬信者って龍馬は日本一の人気者ってやたら言うけど
5ちゃんだと龍馬関連スレはどれも勢いがなくて死んでんのな とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
9DC ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな 別に坂本がいなくても明治維新はあったろだろう。
いてもいなくてもいい人物 >>795
龍馬が討伐となったのは大物だからというより
・慶応二年一月の幕吏殺害や大政奉還の際の慶喜襲撃言動など重大な容疑が重なっていたこと
・短銃の所持が見込まれていること
・宿泊場所が土佐藩士が多く住まいする場所で短時間に処理する必要があったこと
だからでしょ
>>797
桐野氏の本は薩摩藩説への反論に多くの紙数が費やされていて
肝心の通説(見廻組説)についての記述が物足りない
見廻組への命令者について最近は史料上確かな上司(見廻役や目付など)を想定するのだけど
(松浦玲「坂本龍馬」など)いまだに根拠の定かでない守護職・所司代説を採ってるようだし 坂本龍馬はどう考えても日本史上最高のペテン師だろ! 坂本龍馬って代々郷士じゃないからなぁ‥
郷士も色々居るわけで、盛親さん亡き後も陪臣として仕置役やりながら
続いてきた身からすると、郷士の反骨心煽ってうまい汁吸いすぎだと思う
キャラ的には嫌いじゃないけど、ひろゆきみたいなタイプなのかもなぁ
まあ使って、使われて、その代償だと思うよ、消されちゃったのは 近年の研究では船中八策もかなり怪しいものらしいな。少なくとも大政奉還には結びつかないとされてる。 >>805
最近は会津関係がボコボコにやられてるな 実際の龍馬は小物。
伝言屋みたいなもん。
有名なエピソードは捏造まみれ。
司馬の罪は大きい。 >>817
研究って単なる主観の解釈だぞ
研究したら真実が判るなら歴史学も考古学も大概の事に結論がでる 始まった古館実況番組、
龍馬暗殺=会桑テロ という常識的な論に沿って進みそうですかね。
磯田先生もその立場ですしね。
詳しくは昨年刊行の桐野作人氏「龍馬暗殺」(吉川弘文館)で確認しよう! 古館番組に湧いてきたアンチ龍馬厨は
明治政府が1891年、つまり日清戦争以前に
坂本龍馬に正四位が追贈されたという史実すら知らないんだな
それなのに小物だ何だのと、三流、四流作家の妄説に惑わされているのは
お前らの方だっつぅのw >>825
龍馬はたいしたことはない小物だよ
ただ、旧土佐藩の復権のシンボルとして利用されたんだ
その辺は知ってるよね? >>826
仮にそれが事実だとすると
何が悲しくて郷士の小物らを復権のシンボルとしてわざわざ利用しなきゃならんの?
小物だしほとんどのエピソードは捏造されたものなんだろ?人間的魅力に乏しいようなw
旧土佐派が政府に工作して坂本らに官位を追贈せしめたのだとすれば、
復権する必要がないくらいの影響力があるということになるし、矛盾しすぎているだろw
おおかた四流作家の詭弁、臆説をそのまま引用したんだろうけど、薄っぺらすぎw話にならん 正四位贈られた志士はたくさんいるからスレタイの
龍馬は日本史上最高の英雄って主張の証明にはならん >>827
なんだ知らないのか
PCで調べてみてよ
旧土佐藩の人間が復権のシンボルとして利用したのは事実だから 龍馬がドラマや映画の主役になった時なぜ似てない俳優ばかりになるんだ
写真みたいに目が細いのはほとんど出ない
脇役ならたまに似てるのいるが
五木ひろしが若かったら似てる
俳優なら高橋克典とか 切れ長の目の俳優は少ないからな。
亀梨和也か反町隆史か及川光博がやれば近いんじゃないか? 何を以て「小物」というのか良く分らん。
松浦玲や菊池明の著書を読んでも、龍馬は十分大物志士として評価されいてるし、
同時代に生きた雄藩の志士や幕府の要人たちも、龍馬を高く批評した史料が残ってる。
(勝海舟の批評は大袈裟すぎて噴飯ものだがw) >>831
個人的には、若いころの永澤俊矢がピッタリだと思った。
一度、NHKの番組で永澤が龍馬に扮していたが、それを他の掲示板で褒めたら賛同者が多かったw >>832
反町は分かるけど亀梨や及川はちょっと品が良過ぎるかな
イメージが
>>834
知らなかったからググったら雰囲気似てるね
花燃ゆに出てたみたいだけど印象残ってないな >>833
史上最高の英雄でもなければ>>1で言うような人物でもないってことだろ
誰々に評価された大物って主張する方こそ
お前ら中堅って言葉を知らんのかと思う >>824
寺田屋事件と近江屋暗殺の件をあれだけ詳細な再現フィルムやったのは初めてだろうな
磯田は龍馬を役人2人も殺した容疑者としての捉え方だったな
それが正しいんだろう
龍馬が被害者的な印象操作を長い事されてきた
大政奉還される前に捕まってたら牢屋入りだったろうけどその後だったから会津の怨恨で殺されたという感じか 佐々木只三郎って清河八郎が横浜でテロ計画してると噂聞きつけて暗殺してるんで
その時の行動をもとに佐々木は上司の指示をいちいち仰ぐ男なのか
それとも独断先行型か分析すりゃいいのにそういう視点って全然ないのな 坂本龍馬・中岡慎太郎、大久保利通、大村益次郎、源義朝、平清盛、武蔵坊弁慶、足利直義、太田道灌、豊臣秀吉…
ここいらの死に方はしたくないなぁ。
木戸孝允、高杉晋作あたりが理想。
あるいは刃でも、近藤勇、西郷隆盛、平知盛、石田三成、大谷吉継、真田信繁あたりなら従容として逝けるよな。
島津斉彬、江藤新平、上杉謙信あたりでは急過ぎて心の準備が間に合わん、 小物だなんだと言ってる人は
運送できる船の一艘でも手に入れてみろよ
よっぽど大物なんだろ
100年前の脱藩浪人が出来たことをまさか現代の大物が出来ないわけないよね それは単にグラバーに最初に船を予約した小松帯刀が大物なだけでは >>824
桐野本は、坂本龍馬=討幕派、暗殺者=大政奉還反対派という
極端な図式に従って史料をつぎはぎしてるのであまりお勧めできない。
龍馬暗殺本出してる人の大半は趣味で書き散らしてるレベルで、
まともな検証に堪えないのが多い。
>>837
会津藩説のソースは50年後の大正時代に出た「手代木直右衛門伝」なんだけど、
この中では「某諸侯は桑名候である」と書かれてるのに、
なぜか昭和に入っての佐々木只三郎伝が「会津候を指すのであるが…」と転載してしまい、
その辺が曖昧なままソースになってるというあやふやなもの。
磯田や桐野はこの辺の指摘を曖昧にしたまま会津藩説を取ってる感じ。
だけど10年くらい前に今井信郎の書いた日誌と、横浜毎日新聞の「佐々木只三郎君小伝」が
一致することから、後者の筆者が今井であることがわかり、その連載の中で
「登営して幕府の役人と協議した」と記されてることから、会津藩説の根拠が大きく減殺された。
旗本の佐々木や今井が、陪臣である会津藩の老職を「幕吏」と表記することはあり得ない。
関連本を見た限り、それが分かったあとでも触れてる人は少ない。 もともと史料がある今井家サイドでは会津藩説に否定的で、
命令がされるとしたら見廻役か、旗本を管轄する目付か、その延長上だろうと思ってた様子。
理由は、会津松平家が見廻組を「他家」とみなしており支配を受ける関係になかったこと。
長州征討のとき、見廻役が空位だった一時期は頭越しに命令がされたりもしたが、
佐々木只三郎以外は会津藩との接点がなく(桑名藩の人はいるけど)
組下がその私用を務めることは考えづらいため。
見廻組が坂本を討った理由は簡単、慶応2年1月に同心三名を銃撃して逸走した問罪のため。
この主張を土佐の佐々木高行が率いる刑部省も認めている。
副次的には、10月13日の坂本の後藤象二郎あての手紙の内容(将軍を待ち伏せて襲撃する云々)が
見廻組に10月末に伝わり驚愕させたという要因も考えられる(渡辺篤や今井は「不軌」とも記しているから)。
いずれにせよ「大政奉還反対派の復讐」という理解は事実と異なる。 >>838
上司というか、先に挙げた今井の横浜毎日新聞連載によれば
「登営」して「幕吏」と協議している。
おおかた目付か見廻役だろう。 桐野作人「龍馬暗殺」読んだけど、ひどすぎ。
まず指揮命令系統が分かってない。
「会桑勢力」が暗殺の黒幕だとか言ってるけど、肝心の幕府はどうしたのさ。
見廻組は旗本中心の編成で、見廻役−目付のお掛なんだが。
今井が「登営して幕吏と密議」云々の東京毎日の連載を執筆してたのが分かった時点で
他藩説はほぼ消えたと思うんだけどね。当然引用されてないけど。
次に会津藩の大政奉還への反発を重視するわりに、
西郷・大久保の大政奉還への困惑は史料引いてないのは何なの?
小松帯刀が近衛忠房に語った通り「西郷・大久保はもちろん、邸内はなはだ困窮」
「西郷・大久保などはもともと暴論家なので、邸内に残しておいては何をするか
分からないので連れ帰る」というのが薩摩藩邸内の実情だったわけで(改訂肥後藩国事史料)
大政奉還で動揺してたのは会津藩だけじゃないわけだが。
あと、大政奉還うんぬんはしょせん状況証拠にすぎないから、
結局は今井・渡辺らの証言や裁判史料の分析になるわけだが、これが前に出てる本の二番煎じ。
「御差図」について今井と小笠原忍斎の主張が食い違ってる所は小笠原の言い分を採用するが、
なぜ小笠原の言い分を採用するかについての積極的な理由はない。
しいて言えば菊池明氏の「京都見廻組史録」の記述を引っ張って、匿名者が佐々木只三郎の暴状を訴えた
例の慶応2年の投書を根拠にするわけだが、この匿名者が結局名乗り出なかった点、見廻役が空位だった点は触れてない。
さらに、会津藩黒幕説の定番中の定番のテクニックも炸裂。
しょせんは新聞連載小説の「手代木直右衛門伝」を引っ張ってきて
「某諸侯とは桑名藩だ」と書いてあるのに会津藩だと無理やり読み替える。
薩摩藩黒幕説に対しては状況証拠を散々否定しておきながら、
こっちでは状況証拠を自己流に解釈してまで援用しまくるのは
何なんだお前と言いたくなる。
「本能寺の変の黒幕が秀吉というのは間違い!史料的に否定されている。
そして史料を読むと家康があやしい。実は家康だ!」みたいな内容です。 >>824
桐野本、少しは目新しい分析があるのかと思ったら、
会津藩説に関しては古臭い従来説を一歩も出てないよ。
1、大政奉還に反対だった
2、手代木直右衛門伝
3、手代木−佐々木の兄弟関係の強調
ソースはだいたいこんな感じでしょ。
一言でいうと菊池明と木村幸比古が出してる本をつぎはぎして、量を半分にした感じ。
会津藩の大政奉還前後の動きが詳しく載ってて、薩摩藩黒幕への反論が多すぎる分、
事件そのものの分析量が少なくなってるから使えない。
これよりは菊池本(「京都見廻組史録」)や、長谷川創一「実録 龍馬討殺」のほうが参考になる。
長谷川本は今井の退渓日誌を読み込んで、明治24年の横浜毎日の「佐々木只三郎君小伝」の筆者が
今井自身であることを突き止めてるし、佐々木が相談したのは「有志の幕吏」であることを明らかにしている。
また、今井省三の証言から、10月13日の龍馬の後藤あて手紙の内容が見廻組に漏れてた可能性を指摘してる。
ただ、最初の一冊向きではないが。 龍馬なんて捏造された英雄なんだから、誰が暗殺したかなんてどうでも良いだろ
そもそもこいつが英雄視されてるのが間違い 伝言役しただけで、立役者じゃないけどな
大勢いる関係者の中の1人というだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています