先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/ https://r.nikkei.com/article/DGXNASHC1701M_X10C14A4AA1P00
南朝、後醍醐天皇の皇居はここ、堀家住宅だが、
この堀家は勿論南朝時代から南朝方の有力土豪
江戸時代はこんなレベルでも郷士庄屋。
庄屋層はこんな由緒正しき家系だらけだよな。
江戸の武士層は先代の成り上がり先代の出自すら分からない雑多の野良犬レベルだらけなのに、、 >>334
後醍醐天皇の崩御後に即位した後村上天皇の時代に行宮となった賀名生の土豪が、そこを訪れたこともないはずの後醍醐天皇から与えられたのですか。
と思ったけど、京都を脱した直後の後醍醐天皇が吉野に向かう前に数日ばかり滞在してたのか
しかし。
>賀名生には、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇が一時滞在。
ダウトですね、尊氏は後醍醐帝を京都から逃がすつもりはなかったのに脱走して京を離れたのですよ。
後醍醐帝が尊氏に京を逐われたという事実はありません。 後醍醐はいずれにしても、
南朝方の当時の有力武家であった家が、江戸時代 は郷士庄屋だ
このクラスが主流なのが庄屋層
かたや江戸武士層はまじ秀吉のような人足レベルが出自の主流
ほんと江戸の武士層は糞レベル >>334
後村上帝が南朝の御所にしていたのは明白となっとりますがなにか? その部分に対する異論は書き込んでないけど、どういう反論なの? 天皇の御所に使われたクラスの格式の室町初期の豪族の武家レベルが江戸時代の庄屋層と言いたいんだろ >>333いや。本の題名とは違って「家」が基本でその中の有名な当主や一族のものが掲載
されているが、各県で編集方針が異なるらしく詳細に載っている県もあれば同姓の郷土史に登場する人物を軽く説明しているだけの県もある。 落ちぶれた結果、武士の身分から転落して庄屋になったのに、何か勘違いしてる馬鹿がずっと住み着いてる。 主人運が悪過ぎたわが家
今川→村上→武田→北条と・・・どうしろと。
以後、天領で新田開発して庄屋になるも身分は農らしいが代官文書とかだと郷士
とあるみたいだけども 家主義の時代に血統は二の次三の次。
ヤマト王権の大王も黎明期は血統関係なかったはず 村上の前に今川ってとこ、ちょっと変わってるな?
他の時と違って大きく移動しないと成立しないし。 >>345そそ。
今川が滅びた後に一族が四散して北条家に行ったのもいるんだけど信濃に逃げたのが
村上に仕えたらしい。ただ、実際は武田の影響下にあって信濃侵攻の先鋒じゃないかと
いわれてる(地元郷土史家談) ええ?
信濃の村上が信濃を逐われて越後に行った後で今川滅亡だった気がするけど……(←気がする、気がする、気がする >>347なにか間違ってるかもしれんスマン。
同姓の一族が結構いて四散して別々の行動が一緒になってしまってるのか
自分のなにか勘違いかもしれん 滅亡と書いたのが悪かったのか。桶狭間の後の影響力低下か・・・それでも時系列あわないね
(村上)→武田→北条→庄屋多数 (今川からの発給文書は持っていない、
村上も地域の伝承があるだけ、武田北条家発給文書あり)
今川→北条→徳川家臣数家 (今川北条徳川発給文書あり)
と二手にわかれていて
各家の系図を合わせたりして、たぶん自分の勘違いが入ってる
間違いがあれば史家が何か言うはずだから。。 あと、もう一系統あった
今川→北条 一緒に狭山についていったが何故か家臣ではなく庄屋になった家 関ヶ原他、合戦で破れた家の家臣だった人は、それまでの褒美やらで土地を買って豪農に
なったのがいるらしい。
勘兵衛で、蓄えを配ってる場面があるが、戦国武士の家臣はただで仕えていたわけじゃない。 通常は自分の領地に帰農というか武士身分を認められず庄屋として帰農するがな 351
合戦で負け、主家がDNAレベルで消える家も多数いるなかで、
褒美をもらっているとか、
また、戦国時代の土地の売買が主流ではない時代の売買豪農とやらの実例教えてくれないか?
私は聞いたことすらない。
当時、そもそも室町から続く守護大名に連なりし家臣は、在郷の地侍や土豪の寄親寄子制度
そもそもが土地を大地主だし、
また別の土地に移されても開墾開発地主になって庄屋がほとんどだろ 351
合戦で負け、主家がDNAレベルで消える家も多数いるなかで、
褒美をもらっているとか、
また、戦国時代の土地の売買が主流ではない時代の売買豪農とやらの実例教えてくれないか?
私は聞いたことすらない。
当時、そもそも室町から続く守護大名に連なりし家臣は、在郷の地侍や土豪の寄親寄子制度
そもそもが土地を大地主だし、
また別の土地に移されても開墾開発地主になって庄屋がほとんどだろ たぶん、土地を買ったんではなく、その金で荒地を開拓したんでは?
土豪開発新田とか?
あちこちに元武士が刀を捨てて新田開発をした話は結構残ってるが
大体金の出所経緯は不明なのが多い 落ちぶれた奴らのどうでも良い話は辞めろ
つまんねーよ
落ちぶれ自慢でもしたいのか 室町幕府の滅亡後は守護もなにもないが一応
上杉家、結城家、京極家、和泉細川家、小笠原家、島津家、
佐竹家、宗家,伊達家、毛利家
てか自分でググれ 父方母方直系傍系関わらずとにかく調べまくったけど、明治以前に生まれた女性で名前に漢字が含まれる人が見事に一人もいなかった。
男は平凡な名前でも漢字だから親がどんな思いを込めたかは何となくわかる。ただ、女性の名前は何考えてつけたのか分からん物が多い。
イト、キヌ、きり、とち、まき等・・・身の回りで美しいもの、健やかに育つイメージの植物など。なんとなく想像がつく。
いきの、ユキノ、きう、きやう・・・まず語感から何も連想できない。漢字がないから推測も出来ない。
昔の人は何をもとに女の子の名前つけたんだろ。
あと、見事に漢字がゼロだけど、一般人は漢字使うなみたいなルールや風潮あったの? >>357
関ケ原時点では弱小大名だが、赤松や山名もいる 関東は本当にロマンあったよな
戦国末期ですら、頂点が後北条家というだけで、
在郷は平安からの関東武士団たる開発領主がひしめき合って封建社会を完全に維持できていた。
本当の意味の武士社会が存在していたよ。
しかし、豊臣秀吉の関東征伐により、その秩序は完全に崩壊してしまった。
関東には千葉氏やら秩父氏やら成田氏やら、徳川が認めし超名門とされた関東八屋形衆レベルがことごとくDNAレベルで滅ぼされた。
本当に成り上がりは酷すぎる 関東では、秀吉の関東征伐の時、
平安からの関東武士団が混成する鉢形衆やら、秩父衆、八王子衆、関東北面武士団やら、
関東の広大な板東勢力ですら、どこの在方兵力は500〜多くて3000なのに、
秀吉は
鉢形衆には1300に対し25000、
八王子城には1500に対し30000
関東北面武士団の一つ、忍城には500に対し20000、
など、
関東勢力は少数だが生粋の名門武士団に対し、
秀吉軍団は本当に人数かき集めの、糞みたいな成り上がりの出自不肖の馬の骨集団だからな
こんなやつらに関東の歴史が崩壊させられたと考えるだけで、怒りが込み上げてくるわ
こんな輩が江戸武士だからな 郷土史に記録がない家は探せないし探せても名前だけとか意味ないっしょ
庄屋や大百姓ぐらいなら戦国武将となんとか繋がるか、繋げられるけどね >>364
探さなきゃわからない、イコール直系でも近親分家ですらない家だろ
単なる遡りまくったDNAレベルの繋りなんて、歴史的になんの価値もない
そんなの遡りゃ皆兄弟だわ近所なんて。
遡って他人の家なんかに根拠求めてもなあ
江戸時代、旗本や御家人層に伊賀や甲賀衆が多くおり、
多くは次男や三男、分家が武士となって、
その本家は地元伊賀での貧農層が多く、
江戸初期、幕府に本家が同じく上京して幕臣に加えることを嘆願するが一切受け入れられなかった
DNAが直系の繋がりあっても、家が別離ならもはや他人
それをDNAですら直系でない家まで遡って、なにがしたいのと思う 先祖に松代藩士がいる身としては、どこかで真田家と繋がっていないかなと微かな
望みを持つがな・・・ 藩士は藩士
藩主と簡単につながらない
平社員が社長の親族なんてケースはそうそうないだろ? >>368 それはどうか。藤原氏とはユダヤ人で、郷を形成していたガド族だった。いわば、御車寄せ。藩主はよくわからん。城主。旗本。 ファミリーヒストリー
志村けんの総本家、歴史がある割によくわからんのだな。言い伝えとかのこらんもんかな?
唯、16世紀ごろ名主を務める家は強力なバックボーンが必要とのこと、まあ豪族であったと
この辺は2chの総意と同じだが、少し繋げるのは無理があるような気もするな
>>372
志村けんの総本家とやらは名主だったの? ありがとう。
で、その名主の本家は何がよくわからないといってたんですか?
それから、16世紀の名主は強力なバックボンが必要だとナレーションあったんですか? 天正壬午起請文に志村姓の武士がいる→彼らは甲州街道の警備のため八王子に移り住んだと→そこから東村山近く(本家ってどこだっけ?)に一族に者が越してきた可能性が高い→当時名主を務めた事が傍証→というのは16世紀の名主は強力な力が無ければできないと by平山優
総本家には特にその辺の話は伝わっていないみたい二十数代目とかだからもっと前からいた土着の豪族な気がするけど・・・名前だけ伝わっているのか土着してからの代数
だかは言っていないから分かんない それと同時に後北条氏の遺臣にも志村姓の武士がいたと番組では言ってたな また落ちぶれかよ。
もうそんな話はいいわ。
好き好んで落ちぶれる奴なんていないんだから。
庄屋とか名主とかは腹一杯。 東京をルーツとする志村氏は、武蔵の名族豊嶋氏の一族で、武蔵国豊島郡志村郷(東京都板橋区)
を本拠とする鎌倉武士の出身。戦国時代には早くから北条氏の家臣となっていた wiki
こっちの可能性の方が高い気がするけどNHKはなぜ武田と繋げたがるのだろうか?
昔、志村という地名も存在したらしいのに
田舎の名族で家系図を持たない家が結構あって(過去帳はある)何故かと思ったが
明らかすぎて書く意味がないみたい。
志村家も土着の豪族で当たり前すぎて書き記さなかったんじゃないの? 武田の遺臣にも志村姓の武士が多くいたからじゃないの? つか、武蔵中部とかの旧族って少なからず武田家に仕えてたりするしなあ
武田領に入ったわけでもないのにさ
けっこう移動が多かったのかね >>379
>田舎の名族で家系図を持たない家が結構あって(過去帳はある)何故かと思ったが
>明らかすぎて書く意味がないみたい。
そんなことは無い。
家系図が無いというのは、その程度って事。
名族と言うのも詐称だろう。 別に同じ名字っていうだけで、無理やり感を感じるよな ある本家が庄屋で分家が旗本の家では旗本は当然家系図はあるが本家の方に聞いたら家系図は無いとのこと。
分家が仕官のため持ち出したのかもしれんが・・・
また、庄屋が苗字帯刀の許しを得るさい必要とされると言われるが、苗字帯刀を許されたある家の本を
読んでいたら昭和初期に古文書から名前を逐一調べて家系図を作ったと(南北朝から昭和まで)
まあ本当の本当の名族は明らかに天皇から連なる系譜は存在してるだろうけど
田舎の名族じゃ途中で記録が消えてたり、訳わかんなくなってるだろ 名族を詐称してる奴が多いから、そういう話は信用出来ない。 もしかしてコ川家も冷泉家も名門じゃないと言ってしまう人?? >>384
田舎の名門じゃなくとも、
江戸の大名家ですら九割自称なんだが。
徳川はあまりに酷すぎる大名家の面々の出自に、
寛政諸家系図伝を編纂して、
林羅山に各大名家から自称でいいからと家系図提出させてるんだが?
信憑性は一切問わないという幕府のお墨付きで家系図提出させた幕府の悩みの種が、大名家の面々の酷すぎる出自
だから高家も創設。 江戸の近世大名家が出自が酷すぎるのは、
江戸初期の学者兼藩主だった鳥取藩主の池田家が、きちんと文献で残してるからな。
>>鳥取池田家の5代藩主で学者の池田定常は「今の武家は民間よりあらわれて大名になった者が多いのでその多くの大名家の先祖はよくわからないと記してい
江戸の大名家自体が庶民の底辺たる労働者階級の出だらけ。
そこに仕えた藩士なんて、もはや目も当てられたレベルじゃない出自
話にならんわまじ 江戸の武士こそ、江戸の底辺階層と血統的親和性が実はあるという だからと言って落ちぶれた庄屋が名族ってことはない。
落ちぶれてから、家系が劣化してるから。
百姓同士で血縁結んだりでな。 逆に江戸大名は、江戸時代を通じて家系が良くなり、江戸末期には名族と呼ばれてもおかしくなくなった。 一夫多妻も側室も無い一般人の場合、子どもの数ってどれくらいが限界だろう?
大正生まれのうちの祖母は11人兄弟で、母親は二十歳から40半ばまでずっと妊娠か授乳期だったようだけど、よっぽど体力無いと無理だよな?
男は相手さえいればいくらでも作れるが。 子どもが生まれたら乳母を雇って自分では授乳しないようにすると次の子を妊娠するまでの期間が短くなる
庶民から程遠い例だが、マリアテレジアは16人の子を産んだらしい
世界記録はたしか19人だったか。
この人の場合は双子三つ子と多産子が多かったらしいが。 >>392そりゃなんとも…
農民だって階層化してるから土豪だった家と水飲み百姓が通婚するとは思えない >>395
世界記録は60超えてるよ。もちろん父親は同じじゃない。
同一両親の多産記録ってどれくらいが限界だろうか。 >>396
所詮は農民内での序列にすぎない
落ちぶれてから加速度的に家系が劣化したと言わざるを得ない
江戸大名は大名同士や公家から嫁をもらうとかしてるから、
江戸期を通じて家系が良質化されてる
比べ物にならないよ >>398
小作人や下級武士の子孫はそう思いたいのだろうけど現実として少し前の
世代までは華族や旧庄屋との婚姻は別格の扱いだろ >少し前の世代までは華族や旧庄屋との婚姻は別格の扱い
華族は別格だろうけど、旧庄屋の場合、庄屋だからとかじゃなくて、財力を活かして学歴を手に入れて、
官僚とか学者とか多額納税の貴族院議員とか衆議院議員とかを出した場合に別格になったんじゃないか。
そうじゃない、ただの旧庄屋でも別格? 戦前の総理大臣はほぼ公家と武家出身者で占められてる。
庄屋の生まれは犬養毅のみ。
例外は寺族の清浦奎吾と生家が貧農の広田弘毅ぐらいか。
戦後になると急に豪農生まれの総理大臣が増え始める。 庄屋=農民であり、まったく大した事ない
これが結論 戦後は旧庄屋出身の総理や政治家多そうだな。戦前は藩閥のせいなのかね? >>400
40年ぐらい前かな。上場している企業の成り上がり創業社長が息子の嫁に旧庄屋の家の娘が欲しくて、つてをたどりかつて疎開していた地方の旧庄屋の娘を貰ったという話があった。そこまでするもんかね?と今でも思うけども 嘘だな。
紀州の田舎から成り上がった松下幸之助が娘婿に欲したのは、公家の血統。
庄屋なんて相手にもしなかった。
庄屋は百姓だよ。
高貴な血統ではない。
そこら辺にゴロゴロいる。 俺の曾祖父は、某外様大名の家臣だったが次男坊だったので、嫁は庄屋の娘。
曾祖父の兄で長男は、ちゃんと武家の娘をもらってる。 商売の家は公家は嫌がるって聞いたことがあるけどな理由はたかられるからと なんか足軽の子孫が庄屋にひがんでるのかしらんが、
現皇族には例外の大和田を除けば、
旧大名家と旧公卿、大宮司家、旧庄屋しかいないんだよ笑
糞下級武士のような類いまれなる貧困な出自不詳の底辺出身なんて一切いないわけだが。 また、庄屋基地外が出たな
庄屋なんて下層なんだよ いつになったら解るんだ
だから百姓は駄目なんだ ずっとマニアックな少人数が盛り上がってる感じだけど、普通に昔の戸籍制度や一般人の生活について質問するのはOK? 大正ごろ、養子に出した子を死亡したと届け出る場合ってあった?
どうも辻褄が合わないことがあります。
まず、うちの祖父は戸籍上は次男。実家の仏壇&除籍謄本によると、子どもの頃に死んだ兄がいます。
しかし、親父いわく、養子に行った兄がいて、子どもの頃に祖父と一緒に葬式に出たとのこと。親父の兄弟もその葬式のことを覚えていた。ただ、小さい頃だから名前や年齢はわからない。
祖父の兄弟にきいてみたら、「そんな人知らんなぁ」
謎が多すぎて意味がわからない。
仮説を立ててみた。
@特別な事情があり、実質長男である祖父以外には、兄に存在が知らされていなかった?
→でも、そんな秘密の存在の人の葬式に、祖父はわざわざ子ども連れていくだろうか?
また、兄弟たちに隠し続けるのは可能だろうか?
A戸籍上は大正10年に死んだことになっている長男が実は生きていて、養子に行った日を死亡日として届けているのではないか。
Bよく見ると、曾祖父母の結構の届け出は祖父の出生届と同時に出ており、それまで兄と姉は無戸籍だったみたい。その間に養子に行った兄も生まれていた可能性。
→でも、何故祖父の兄弟は知らない?
皆さんはどう思われますか?
あと、昔は無国籍児ってよくいたの?長姉は8歳まで無国籍だったみたいだけど、生活できんのかな? 明治天皇 :昭憲皇太后 一条家
大正天皇 :貞明皇后 九条家
昭和天皇 :香淳皇后 久邇宮
今上天皇 :美智子皇后 正田家(←名主)
こうみると上級武士の家ぐらいから貰ってもよかったのにね。
ただ、当時それなりの生活をできる旧上級武士の家柄となると数が限られたのかな? 昭憲皇太后は熊本藩主・細川斉茲の孫
香淳皇后は薩摩藩主・島津忠義の孫 皇族も
皆
旧会津松平家、出雲大宮司家、徳川家、津軽家、鳥取家そして麻生庄屋家と、
大名家と大宮司家、財閥家、そして庄屋しかいない。
なぜ、いつから庄屋は底辺なんだか聞きたいわ
旧大名家の成り上がりが江戸期を通じて、例え蜂須賀や藤堂レベルの底辺の出でも貴族化していったのは認める
だが、糞下級武士と称するリアルな最底辺出自風情の奴隷職ごときに庄屋の格式が色褪せることなど絶対ないから。
それは明治以降のあらゆる角度から立証できるわけだ、こうやって。
旧名門庄屋は旧大名家には劣るとも、準ずる地位と名誉と財力と特権とを歴史的結果が実証している >>415
女系入れだしたらマジで百姓とかでてくるんじゃない? そもそも天皇には蜂須賀や秀吉系の血もふんだんに交じってるのに、何を今さら >>412
祖父の兄に、もうひとり庶子がいたんじゃないか? >>421
それが戸籍に全く載らないってありえる?ありえたとして、養父の戸籍には実子として載ってしまうの?
そもそも、二人いる祖父の兄弟がその人の存在を全く知らないのも不自然だし・・・秘密を貫いたんだとしても、じゃぁなぜ兄弟には頑なに秘密にしたのに我が子には全く隠してなかったのかと言う不思議さもあり・・・ >>422
庶子だと戸籍の載り方はさまざま
養家の実子になったり、母方の実家の戸籍に入れられたりすることもあったようだよ
あなたの祖父の兄弟が知らないのは、曾祖父が曾祖母の手前もあり、あまりおおっぴらにできず、秘密にしていたと考えられる
祖父だけは実質長男だったから曾祖父から聞かされていたんじゃないかな 続き
祖父の兄、姉の例を見ても分かるように、かつては届出の仕方でどうとでもなった
祖父の兄、姉も不自然さがあるし、こちらも出生の事情に秘密があるかもね >>423
届け出次第で養子が実子にもなったのか・・祖父たちとは母親が違うか、同じだったとしたら曾祖母の実家の戸籍に載ってる可能性もあるのかな。
曾祖父は本家の長男なのに遠方に就職した身だから子どもが出来てからも結婚の届け出に時間を要したのは何となくわかるが、もう当時を知る人は誰もいないから確かめようがないなぁ・・・
ちなみに、8歳まで無国籍なら学校も行けないだろうけど、大正時代に入ってもそんな人いっぱいいたのかな!? その、謎の兄を探る方法って戸籍に載ってない以上はどうしようもないよね!? >>425
曾祖父夫婦と祖父の兄・姉って年齢構成的に問題なさそう?
戸籍って除籍謄本のことだよね?
誰のまで入手してる? >>427
曾祖父が28歳、30歳の時だから違和感は無いかなぁ。
除籍は、父、祖父、曾祖父転籍分も全て、曾祖父の弟(高祖母が載っているので)、高祖父、までですね。 祖父ではなく祖母の兄だったりして(親父さんの勘違い) >>427
あ、書き忘れてたけど、曾祖母は曾祖父より8つ下だから、二十歳と22で祖父の姉と兄を生んでる。
>>430
なるほど、その可能性あるか。
ただ、葬式には祖父と親父しか出てないから、祖母方の親戚である可能性は低いんです・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています