先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
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純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/ 庄屋=農民であり、まったく大した事ない
これが結論 戦後は旧庄屋出身の総理や政治家多そうだな。戦前は藩閥のせいなのかね? >>400
40年ぐらい前かな。上場している企業の成り上がり創業社長が息子の嫁に旧庄屋の家の娘が欲しくて、つてをたどりかつて疎開していた地方の旧庄屋の娘を貰ったという話があった。そこまでするもんかね?と今でも思うけども 嘘だな。
紀州の田舎から成り上がった松下幸之助が娘婿に欲したのは、公家の血統。
庄屋なんて相手にもしなかった。
庄屋は百姓だよ。
高貴な血統ではない。
そこら辺にゴロゴロいる。 俺の曾祖父は、某外様大名の家臣だったが次男坊だったので、嫁は庄屋の娘。
曾祖父の兄で長男は、ちゃんと武家の娘をもらってる。 商売の家は公家は嫌がるって聞いたことがあるけどな理由はたかられるからと なんか足軽の子孫が庄屋にひがんでるのかしらんが、
現皇族には例外の大和田を除けば、
旧大名家と旧公卿、大宮司家、旧庄屋しかいないんだよ笑
糞下級武士のような類いまれなる貧困な出自不詳の底辺出身なんて一切いないわけだが。 また、庄屋基地外が出たな
庄屋なんて下層なんだよ いつになったら解るんだ
だから百姓は駄目なんだ ずっとマニアックな少人数が盛り上がってる感じだけど、普通に昔の戸籍制度や一般人の生活について質問するのはOK? 大正ごろ、養子に出した子を死亡したと届け出る場合ってあった?
どうも辻褄が合わないことがあります。
まず、うちの祖父は戸籍上は次男。実家の仏壇&除籍謄本によると、子どもの頃に死んだ兄がいます。
しかし、親父いわく、養子に行った兄がいて、子どもの頃に祖父と一緒に葬式に出たとのこと。親父の兄弟もその葬式のことを覚えていた。ただ、小さい頃だから名前や年齢はわからない。
祖父の兄弟にきいてみたら、「そんな人知らんなぁ」
謎が多すぎて意味がわからない。
仮説を立ててみた。
@特別な事情があり、実質長男である祖父以外には、兄に存在が知らされていなかった?
→でも、そんな秘密の存在の人の葬式に、祖父はわざわざ子ども連れていくだろうか?
また、兄弟たちに隠し続けるのは可能だろうか?
A戸籍上は大正10年に死んだことになっている長男が実は生きていて、養子に行った日を死亡日として届けているのではないか。
Bよく見ると、曾祖父母の結構の届け出は祖父の出生届と同時に出ており、それまで兄と姉は無戸籍だったみたい。その間に養子に行った兄も生まれていた可能性。
→でも、何故祖父の兄弟は知らない?
皆さんはどう思われますか?
あと、昔は無国籍児ってよくいたの?長姉は8歳まで無国籍だったみたいだけど、生活できんのかな? 明治天皇 :昭憲皇太后 一条家
大正天皇 :貞明皇后 九条家
昭和天皇 :香淳皇后 久邇宮
今上天皇 :美智子皇后 正田家(←名主)
こうみると上級武士の家ぐらいから貰ってもよかったのにね。
ただ、当時それなりの生活をできる旧上級武士の家柄となると数が限られたのかな? 昭憲皇太后は熊本藩主・細川斉茲の孫
香淳皇后は薩摩藩主・島津忠義の孫 皇族も
皆
旧会津松平家、出雲大宮司家、徳川家、津軽家、鳥取家そして麻生庄屋家と、
大名家と大宮司家、財閥家、そして庄屋しかいない。
なぜ、いつから庄屋は底辺なんだか聞きたいわ
旧大名家の成り上がりが江戸期を通じて、例え蜂須賀や藤堂レベルの底辺の出でも貴族化していったのは認める
だが、糞下級武士と称するリアルな最底辺出自風情の奴隷職ごときに庄屋の格式が色褪せることなど絶対ないから。
それは明治以降のあらゆる角度から立証できるわけだ、こうやって。
旧名門庄屋は旧大名家には劣るとも、準ずる地位と名誉と財力と特権とを歴史的結果が実証している >>415
女系入れだしたらマジで百姓とかでてくるんじゃない? そもそも天皇には蜂須賀や秀吉系の血もふんだんに交じってるのに、何を今さら >>412
祖父の兄に、もうひとり庶子がいたんじゃないか? >>421
それが戸籍に全く載らないってありえる?ありえたとして、養父の戸籍には実子として載ってしまうの?
そもそも、二人いる祖父の兄弟がその人の存在を全く知らないのも不自然だし・・・秘密を貫いたんだとしても、じゃぁなぜ兄弟には頑なに秘密にしたのに我が子には全く隠してなかったのかと言う不思議さもあり・・・ >>422
庶子だと戸籍の載り方はさまざま
養家の実子になったり、母方の実家の戸籍に入れられたりすることもあったようだよ
あなたの祖父の兄弟が知らないのは、曾祖父が曾祖母の手前もあり、あまりおおっぴらにできず、秘密にしていたと考えられる
祖父だけは実質長男だったから曾祖父から聞かされていたんじゃないかな 続き
祖父の兄、姉の例を見ても分かるように、かつては届出の仕方でどうとでもなった
祖父の兄、姉も不自然さがあるし、こちらも出生の事情に秘密があるかもね >>423
届け出次第で養子が実子にもなったのか・・祖父たちとは母親が違うか、同じだったとしたら曾祖母の実家の戸籍に載ってる可能性もあるのかな。
曾祖父は本家の長男なのに遠方に就職した身だから子どもが出来てからも結婚の届け出に時間を要したのは何となくわかるが、もう当時を知る人は誰もいないから確かめようがないなぁ・・・
ちなみに、8歳まで無国籍なら学校も行けないだろうけど、大正時代に入ってもそんな人いっぱいいたのかな!? その、謎の兄を探る方法って戸籍に載ってない以上はどうしようもないよね!? >>425
曾祖父夫婦と祖父の兄・姉って年齢構成的に問題なさそう?
戸籍って除籍謄本のことだよね?
誰のまで入手してる? >>427
曾祖父が28歳、30歳の時だから違和感は無いかなぁ。
除籍は、父、祖父、曾祖父転籍分も全て、曾祖父の弟(高祖母が載っているので)、高祖父、までですね。 祖父ではなく祖母の兄だったりして(親父さんの勘違い) >>427
あ、書き忘れてたけど、曾祖母は曾祖父より8つ下だから、二十歳と22で祖父の姉と兄を生んでる。
>>430
なるほど、その可能性あるか。
ただ、葬式には祖父と親父しか出てないから、祖母方の親戚である可能性は低いんです・・・ そのうちの誰かが双子だったりしない?
双子の片方を殺す風習の土地だと
殺すのに忍びない場合、死んだ事にして養子に出すケースが割と多かったらしいよ とりま父方の男系だけでなく祖母方や曾祖母方の女系の除籍謄本を取りまくるべき >>432
双子はいないなぁ。
子どもが生まれても何年も無届けってのも何か背景あるのかな?
実は他にも謎があって、何年も無届けだった二人が、戸籍と過去帳で年齢も感じも違うんだよね・・・
まぁ、女性はひらがなとカタカナの違い、男性は仁と二の違いだけだから同一人物とは分かるんだけど。
>>433
そうしてみるか。
曾祖母の田舎と、その息子の嫁である祖母の田舎が完全に同じだから、窓口で怪しまれそうだ・・・ 未婚のまま子が生まれ、母親の戸籍に入籍したものの、数年後結婚したとしたら戸籍にはどう表記されるんだろう?やっぱり「○○より入籍」は書かれるのかな?
上記の無届け二人だけど出生地と「□□の子、父△△認知届け出 大正七年○月×日受付」とだけ書いてある。
先に曾祖母の戸籍で小さい頃に登録されてる可能性あり?
何かめっちゃ気になって仕方なくなってきたわw 曾祖父夫婦の婚姻届けの遅さから、なかなか入籍できない事情があったものと推測される
(両家あるいはいずれかの実家に反対されたとか)
そうであれば、養育にも不安があるわけで、最初の子が里子に出されていても不思議ではない
曾祖父母や祖父母がやりとりしていた年賀状とか、住所録とか、アルバムとか残ってないのかね >>436
曾祖母は離島の漁師の長男だが、当時最先端の紡績工場で働くため関西へ。斜め向かいに住んでいたのが曾祖母の兄。曾祖母も住んでいたかは明確じゃない。結婚しにくかったのはよく分かる。
二人とも亡くなってだいぶ経つし、家は建て替えたし、祖父母は断捨離名人だったしで、親戚中に散逸した写真数枚しか祖父母を知る手がかりはないなぁ・・・ >>434役所が遠いと後で用があるときにまとめてということはあったらしいけど >>417
落ちぶれて庄屋になった時点で、農民階級となり、下層となった。
それは歴史的事実だよ。
事実から目を背けるなよ。 戸籍謄本が親が盛った程厚く無かった(´・ω・`) 言ってた通りの事は載ってたが(´・ω・`) >>392
百姓どうしとか言うが、普通は近隣の村の庄屋とだな
一般の村民とは結婚しない
村人は村人と。庄屋は庄屋と。階層に分かれてるよ、現代だと知らんけど。 >>439
士農工商と呼ばれる身分制度というのは後代の捏造でデタラメだよ
たとえば、農民と商人の間に身分の差は全く存在しなかったしな
儒教の中にあった適当な言葉を使って過去の制度を悪くいうための言葉にすぎないんだよ 少なくとも、江戸時代の制度として庄屋および町庄屋と一般農民の間にも身分差を設定されてはいた
町庄屋>(≒)農村の庄屋>>庶民
だったらしい >>440
謄本って厚いからステータス高いわけじゃないのでは?
次男や三男で分家繰り返したり、結婚離婚繰り返したりしたらめちゃ増えるよ?
蓮舫なんか16ページくらいあっただろw 消えた養子の大叔父について書いてたものです。
気になって祖父方の曾祖母と、祖母の除籍を取ってきました。
結果、曾祖母に婚前の出産歴は無く、祖父から見た兄貴は存在せず。
念のため確認した祖母の兄弟も、親から聞いていた以外はいないし、養子になった人もいなかった。
可能性として残るのは、曾祖父に庶子がいて、母親の戸籍に入ってたパターン。これはもう他人の戸籍だから探しようがない。
それか、死んだことにされている兄貴が養子に行ったと言う珍説が本当か。
そして、偶然奇妙な出来事に気づいた。祖父方の曾祖母と祖母、つまり姑と嫁にあたる二家の先祖を辿った訳だけど、曾祖母の祖父の家から養子で他家に出たのが祖母の祖父だった。
つまり嫁と姑とが従兄弟関係で、俺の祖母はいとこの息子と結婚したことになる。しかも、そんな関係で祖父の方が遥かに歳上と言うややこしさ。
たぶん本人も知らなかったっぽい。
昔は狭い地域で近親婚繰り返してたのかな。
疑問は晴れなかったけど新たな発見があったわ。 てか封建制って事細かに身分が細分化されて秩序だっていたわけで庄屋と庶民の間なんて殿様と下級家臣ぐらいの差はあるだろ >>448
見合いで初めて会ったみたいよ。養子縁組だらけで、血縁上はいとこでも他人だわ。
ちなみに、無戸籍児と思ってた兄弟二人は曾祖母の実家の籍に父親空欄で載ってたわ。
あとから認知してうちの戸籍に入ったから、転籍や入籍でなく新規になってたようだ。
でも、結局養子に出た兄貴は分からずじまい。 うち完全に農家だと思ってたら除籍の名前が右衛門だらけだ。
あんま名前は関係ないのかな? それとも農家ではなく、特殊な職の家だったとか、
ちゃんと調べてみて、よくわからない職業があったりしない? いや、正直職業は調べようがない。
ただ、地域が江戸時代から続くみかん山のど真ん中だから勝手に判断。
農家で衛門はやっぱり特殊? うちの先祖は○兵衛が多かった
明治になると途端に現代風の名前ばかり >>442
デタラメだという証明をしなさい
君の妄想にしか思えない
百姓の子孫だから、庄屋を持ち上げているだけにしか見えないよ >>450
もと庄屋な感じがする
大夫成り とかの感じの名前だ。 >>456
証明って、すでに複数の成書が出回ってるが。通史の一部として そんな程度で江戸時代の身分制度全部を否定できるはずがない。 >>457
元ってのは何故?
大夫成がよくわからない...
ちなみに、地名で検索しても、明治以降の歴史しか出てこないド田舎ですw 農家でも何でも良いけど、
むかーしから住んでいたという意味でしょ >>460
庄屋という地位、職務は江戸時代のもので明治には公式の地位ではないから、元としか言いようがないってだけ 除籍見てたらさ、明治11年当時に18歳の男と12歳の女の間に子どもが出来てんの。
何回も見直したけど、養子でも無いし年齢も間違いない。
こんなことってありえる!? しかも沢山子ども生んだから孫より年下の子がいるwww
変な話、高2と小5が交わったわけか。ありえるかなぁ・・・ 連投すみません。
意味不明なことが記載されてる。
名前はボカしてるけど、ちょっと見てください。
戸主:□川○次郎 の戸籍。
母ちの、長男、二男○松、長女、三男、婦、孫3人が記載されている。
妻が居ない。子どもたちにも母親の記載がない。
続いて、二男○松が他家に養子に出て戸主になった戸籍を確認。
父:亡○次郎
母:亡ちの
とある。
想像したくは無いけど、○次郎さんは実母と4人も子ども作ったってこと!?
ただ、年齢考えると、長男生んだ時が○次郎27歳、ちの52歳、末っ子を生んだ時で○次郎36歳、ちの61歳だからまずありえないと思うんだけど・・・
何か背景わかりそうな方いませんか? >>466
さすがに二男○松の戸籍の記載が間違っているような。他の兄弟の戸籍で確認してみるとか。 ○次郎とちのが亡くなったタイミングにもよるけど、2人のどちらかの記載さえあれば、兄弟が戸主の戸籍が取れるかも? 兄弟の戸籍には父親しか載ってないわ。
父親の欄が空白はよくある話だけど、母親が空白って捨て子しかありえないよな。
ちゃんと父親を筆頭に家族築いてるに、何でだろうか。
しかも、そこから出た息子は18歳の時12歳の女性と子ども儲けてるし、何かもう色々無茶苦茶だわw ○番屋敷と現在の番地との対比ができれば先祖の居住地跡が正確にわかるのに手段が見つからない 土地台帳って、その当時の所有者だけじゃなく歴代も解ったりするの? 除籍でわかる俺の高祖父は、明治2年に父親が死んで相続している。
土地台帳はそれより後に出来たものだけど、高祖父以降しか載らないの?
それとも、それより前、さらに前なんかも載るの?
今日初めて土地台帳と言うものを知ったので、さらに前を辿れるラストチャンスじゃないかとワクワクしている。 >>477
さすがにそれは無理
土地台帳は今でいう土地登記簿のこと
一筆ごとに土地の所有者とかが記載されてるやつ
分筆や合筆、売買や相続なんかで所有者が変われば登記されるんで
遡っていけば元の所有者がわかるけど、せいぜい明治20年代くらいまでだったはず とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
PNM >>473
制度としては、S27年?の法律からじゃないかな。
それ以前は、戸籍=住民票だったはず。
だから、「赤紙」はすべて本籍に送られた。
地方出身者で都会に出て仕事をしている次男三男等は、急いで連絡しないといけなかった。
次男が結婚すると、新しく戸籍を作ったはず。
国勢調査は、「本籍」と「現住地」で県別の人口なんかの統計を出したんだと思う。
両方がのってるのを見たことがある。
あくまでも「寄留地」ってことで、今の住民票とは違うね。
なんで2つに分けたんだろうなあ。
それと、「戸籍」は東アジアだけらしいが、それにしても住民票と戸籍に相当する
ものは必須だから、なんらかの仕組みがあるんだろうけど。 >>466
庶子だけど、父の戸籍に入れた(母を妻に出来ない事情があった)
次男の戸籍は間違って書いてる。
こんなのが考えられる。 >>471
明治民法、徴兵制、が出来たり確立するまでは、わりといい加減だったみたいだね。
江戸時代はそんなものは必要なかったから。6年に一度の宗門人別帳くらいで。
誰が誰の子供であるかなんて、本人たちがわかっていればいいし、幕府なんて全く
関係ないし、藩も関係ない。
軍人は武士だから、庶民には無縁。
重要だったのは、年貢だけ。明治になって地租改正したけど。
二十歳で徴兵検査ってあたりから、きっちり届けるようになったんじゃないかな。
学校は、明治の大合併のあたりで、「村」に一つ作るけど、そのころでも誰と誰が
同じ年に産まれたって把握出来るくらいの範囲だった。
戸籍を見て就学通知を出すとかやりはじめたのはいつ頃だろう? >>483
徴兵制のために戸籍制を整えたと言われてるぐらいで徴兵は早くから確立されてるけど?
明治一桁年代から徴兵検査してるじゃん >>484
西南戦争は士族の反乱だが、徴兵制=士族の否定だと、多くの反対にあった。
明治一桁で「すべての20歳の男」を徴兵していたか? 明治初期は徴兵検査の合格率が数パーセントしかなくて大半が不合格だったからな
検査受けた人の二十人に一人ぐらいしか合格してなかったはず
たしか合格者の全員が徴兵されたわけでもなかったはずだし(?) 平城帝嵯峨帝の大同時代に由緒ある家だけど、百済とか新羅とかいうクソ喰い半島渡来系じゃないよ(^^) 土地台帳って、制度ができた以前の土地所有者は記載されない? そりゃそうだろ
それ以前なら検地帳に類するものを探すしかないんじゃねえの >>487
そんな由緒ある家が
レイシストやってるなんてみっともない 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 昔庄屋の旧家あたりだど菩提寺過去帳で一発で分かるだろ。
まぁ、大抵の日本人は苗字で鎌倉の武士先祖がわかると言えばそれまで。 うちは菩提寺が1860年に全焼してて、それ以前は皆無。住職に聞いたし、その火事は郷土史に載ってるから間違いない。
法務局に土地台帳を郵送で請求したんだけど、返事は何日くらいで来るもんなの? 土地台帳見てみた。
高祖父の名前が書いてあるだけで、沿革は何もなし。曾祖父が相続した後の事も何も書いてなかった。
宅地になる前は耕地で登録されてるんだけど、家がそこには無かったということなのかな?
あと、耕地を所有ってことは身分は農民確定? >>494
百姓=農民ではないよ。
武士と町民(城下町等に住む職人と商人等)以外は百姓だ。
時国家は百姓なんだぜw >>492
それがそうでもない。
うちは、その古い旧家で菩提寺もあるが、一族の誰かが調べ始めたけど諦めたらしい。
過去帳には、誰が親かは書いてないとかで、途中で辿れなくなった。
推測はできないことはないが、確実ではない。
宗門人別帳ならわかるらしいが、それが残ってるかどうかは不明。
江戸時代やそれ以前と思われる墓石があるが、古いやつはもう読めない。
そこそこ広いエリアがうちの一族の墓で、他の家の墓地との比較その他から判断するに
その地域の最も古い家の一つらしいこと、昔も有力者だったと思われること、戦国末期
の神社や寺の資料に出てくる名前が先祖らしいこと、それがわかる家でもそんなものだわ。
所謂「本家」ってやつは、大正か昭和に没落し、子孫も絶えて絶家になった。
近隣に戦国時代の小さな山城があるが、その城主一族は別の家だが、江戸時代は
百姓であり大きな地主だったと聞いている。どこどこまで他人の土地を踏まずに行けたとか。
うちの先祖にもそんな話が伝わっている。
多分、じいさんばあさんの代までは、それらのことはみんなが知っていたと思われる。
オレの親の代にはただの貧乏な農民だけどなw >>492
それがそうでもない。
うちは、その古い旧家で菩提寺もあるが、一族の誰かが調べ始めたけど諦めたらしい。
過去帳には、誰が親かは書いてないとかで、途中で辿れなくなった。
推測はできないことはないが、確実ではない。
宗門人別帳ならわかるらしいが、それが残ってるかどうかは不明。
江戸時代やそれ以前と思われる墓石があるが、古いやつはもう読めない。
そこそこ広いエリアがうちの一族の墓で、他の家の墓地との比較その他から判断するに
その地域の最も古い家の一つらしいこと、昔も有力者だったと思われること、戦国末期
の神社や寺の資料に出てくる名前が先祖らしいこと、それがわかる家でもそんなものだわ。
所謂「本家」ってやつは、大正か昭和に没落し、子孫も絶えて絶家になった。
近隣に戦国時代の小さな山城があるが、その城主一族は別の家だが、江戸時代は
百姓であり大きな地主だったと聞いている。どこどこまで他人の土地を踏まずに行けたとか。
うちの先祖にもそんな話が伝わっている。
多分、じいさんばあさんの代までは、それらのことはみんなが知っていたと思われる。
オレの親の代にはただの貧乏な農民だけどなw >>495
土地台帳、読めば読むほど謎だらけ。
まず、「○○村□浦550番地」が除籍謄本に載ってる地名。
現在は「■郡○×町□浦??番地(550は現存しない)」
上記ともに小字は存在せず。
しかし、土地台帳には小字の欄に「小浦駄場」と書いてある。現在、そんな地名は一切存在しない。これは何だろう。
あと、駄場という言葉に差別めいたものを感じるけど、勘違い?
また、土地台帳に記載された番地は「8番耕地550番地」となっている。住所や大字で○番耕地なんて存在するの?
また、もとは耕地で登録され、後に宅地になったけど、先祖は代々そこに住んでいたはず。住んでるのに耕地っありえる?
また、祖父が昭和32年にその土地を相続放棄した過去があるのに、台帳には高祖父の名しか載っていない。
更新せずにそのままってのはあり得るんだろうか? 相続人が所有者変更の登記をしなければ土地台帳はそのままだよ
変更登記し忘れや相続争いで変更登記できなかった結果、
所有者不明の土地がどんどん増えてて社会問題化しはじめてるとか >>466
襲名の可能性もある
○次郎を先祖代々受け継いでるとか 故人である親戚が家の由緒を調べて書き残してくれた冊子があるんだが
・先祖は美濃から江戸の商家に奉公に出てその店を継ぎ、黒田藩御用達となる。
・そこで岡田勢州公の家臣?の林氏の娘(1836年没)を娶っている。
と書かれていた。
だが林氏がどういう人物なのかどう調べたらいいか分からず詰んでる。
娘の没年から林氏はどの世代の岡田氏の家臣だったのかを調べようと思っているんだが、ネットには江戸中期〜後期の岡田氏の家臣一覧など見つからない。
もしあったとしても、林氏が下級武士なら載っていないだろうしな。
それどころか岡田氏自体あまり有名でもないのか江戸中期以降の岡田氏一覧も見つからない。
どうしたもんか・・・・ なんかさ
世代をどんどん遡ると先祖の数は膨大になって日本人誰でも高名な武家やら公家やらの血を引いていることになるって言ってる奴いるじゃん?
それ有り得ないと思うんだが
今でこそ先祖代々庶民家系の人と先祖が華族の人が結婚して子孫を残すなんてことは普通にありえるけど、それが可能になったのは精々明治から
それより昔は庶民は庶民、貴族は貴族で同じ身分家同士の婚姻がほとんどだっただろ?
だから明治以降に武家や公家家系の血が入っているでもない限り、代々名も無き庶民の家の奴は先祖巡っても百姓の血しか流れていないと思うんだよ
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