>>550
以後名前を538とさせて頂きます。
大庄屋だったというのは半分家の言い伝えです。

というのも唯一興味を持った親戚が、もう何十年も前に(おそらく40年は前)ツテをたどって大子町にある本家の元へ行ったら驚くような豪邸で、お帰りなさいませとお手伝いの方がいるような家だったそうです。

その際に喧嘩を治めて大庄屋になったという話と系図を見せてもらったとのことです。

水戸藩の揉め事については私が自分で調べた際に驚きました。まさか喧嘩とはその事だったんでしょうか? 文献を調べようと思いましたが中々うまくいかず…という感じです