X



先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001地家ヤスマサ
垢版 |
2012/05/18(金) 10:06:48.57
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る

前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
0063日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/05(日) 15:38:36.19
>>61
400年前と云えば、桃山末期から江戸初期
藩士の家系ならわかると思うけど
0064日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/05(日) 16:14:13.60
>>61
女にたぶらかされた野合の土人には無理だよ。
当たり前だろ? ン?
0065日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/05(日) 17:23:31.35
>>61
わかる人もそれなりにいるんだろけど、全体としては難しいんじゃない

>>62
そう考えていいんじゃない、入植地の地名等は書いてないの?
0066日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/05(日) 19:15:56.12
単なるプライドなら気楽。
プライドを支えるのは、ジーンでもミームでもなく地獄だったりするのにね。

「違和感がない」と「何も言ってくれない」の違いだ。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/06(月) 17:30:18.05
>>63
ゴメンここで聞かなくてもふつうにわかった
武士の家系だから簡単だった
0068日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/06(月) 19:05:21.00
武士の家系笑
室町時代のハッキリとした出自すらわからんで武士の家系ってか笑

雑多からの成り上がりよ
武士の家系とほざくのは室町時代、列記とした室町守護だいみょう家家臣団や
地侍、土豪、国人くらすがほざけよ雑多士族

近所で最も家柄名門は、旧滅亡守護大名家の分家が江戸時代に帰農した庄屋だが、
武士の家系とかほざいてんのはさぞかし、ハッキリとした室町時代の出自あんだろうな
家系図源氏が根拠ってか?笑
0069日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/06(月) 19:55:18.11
他人の先祖がどうだろうといいだろ
一々噛み付くなよ
0070日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/06(月) 22:09:53.28
>>69
そいつは「あ庄屋」っていうあだ名のついた馬鹿だから放置でいい。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/10(金) 18:21:54.53
>>61
うちは分かるよ。
それ以前が分からんけどな
0072日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/12(日) 15:01:00.72
うちの場合、超有名大名の息子が豊臣に十万人の浪人の一人として雇われて、
大坂の陣で落ち延びたって説と、歴史好きには有名な荘園を開いた下っ端
四家のひとつという説とがある。

前者はめちゃくちゃ胡散臭く、後者は郷土史の論文に書いてあったけど、
著者に権威があるようでもなく、根拠も不明。

その地元でけっこう由緒がしっかりした家が親戚らしく、その家を中心にして、
うちの先祖が妙に家格を引き上げようと足掻いたり、逆にその家に、うちの
歴史が途絶えないように助けられたりしている形跡がある。
0073日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/31(金) 09:53:15.14
うちは全然大した家柄じゃないんだけど昔の先祖のこともはっきりわかるw
武田の下級武士で勝頼滅亡後八王子で非正規の足軽(幕臣の非正規の臣)をやって維新を迎え今に至る
0074日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/31(金) 10:01:11.28
武田滅亡後に八王子に逃げた北条氏の妻子絡みだっけ?
0075日本@名無史さん
垢版 |
2014/10/31(金) 13:47:32.24
そうです
正室の実家を頼って甲斐にちかい八王子に逃げてそこで姫は出家し家来は帰農しました
その後は八王子に土着したものが多いですが縁故のある会津に行ったものも結構いたようです
ちなみに勝頼を裏切った小山田の子孫も八王子に土着していまでもいます
うちは武田滅亡後士分に復帰できませんでしたがそのおかげ(?)で維新でも没落せず今に至っています
0076日本@名無史さん
垢版 |
2014/11/01(土) 04:40:18.32
さこちに住んでいました
0078日本@名無史さん
垢版 |
2014/11/01(土) 15:22:37.26
大久保長安って花魁淵の主犯じゃね?(俺の推測だ!)

ということは、八王子にいる人もそのアレ?
007973,75
垢版 |
2014/11/01(土) 19:28:35.94
>>78
私が一族や親戚の古老たちに聞いているところによると花魁淵は後世のつくり話だそうです
ただ金山の技術者や人足を殺して金山も穴を埋めてしまうというのは実際にあったそうです

そうですね 武田旧臣のうちそのまま埋もれなかった者は実力で仕官した者、
大久保長安が八王子をまかされた時に縁故で救済された者、縁故のある会津に行った者がいますが、大久保の縁故が数としては一番多いですし、うちもそうです
八王子に流れ着いたときは帰農していたので、一応名字帯刀できるようになったのは大久保長安のおかげですね
大久保はその後姦賊とされてしまいましたが、今でも八王子には大久保長安を祀る神社があります・・・
008079
垢版 |
2014/11/09(日) 17:50:46.15
なんか質問あったら応えますよ〜
0082日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/03(水) 17:34:58.76
会ったことも見たこともない、名前しか知らない実の祖母(母が子供のころに離婚)について調べてて
もし今も生きていればこっそり会いに行こうかとさえ思ってたんだけど
戸籍をたどり始めてから現在の戸籍にたどり着くまでのほんの一ヶ月間に亡くなっていたことがわかって大ショックだ。。。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/05(金) 00:55:37.74
ほらだんねんどしたなぁ。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/05(金) 12:23:12.42
身近で知ってる最も古い先祖がわかる家は1500年余り前だな。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/05(金) 22:42:20.33
いま自分の家調べてるけど、もしかしたら庄屋の家系かもしれない。
だったらいやだなあ
0086日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/05(金) 23:34:15.86
なにがやなんだよ町人のせがれが
0087日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/06(土) 01:04:48.72
なんで庄屋さんがイヤなの?
いいじゃない
0089日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/06(土) 09:54:28.69
おまえね、それは現代のイメージだろ

現実は、現代でいいかえりゃ、

町長村長宅の大豪邸【長屋もんあり】、レクサス乗り【馬持ってるし】、地域で裕福で美人を選び放題、在地の殿様扱い、下層自衛隊なんぞがでかい口きいてた事実なし【下層武士が庄屋を呼びつけして庄屋から藩に生意気だと訴えられてるケースまであり】
名字対等後免、墓は上士と同格、実質地域武装警察署常態【庄屋は武器をたらふく所持してる】
地域の裁判権も独占、地域の商業権も独占、


下層武士【自衛隊】長屋暮らし【官舎暮らし】マーチ愛用【馬なんてもってのほか】3k【パワハラ上等】村長に呼びつけすらできない【庄屋にぶったぎられたケースあり】
墓は町人とかわらない、 永遠の隷属【人間扱いは上士からうけない】す〜ぱー貧困
0090日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/06(土) 09:56:05.56
江戸時代に下層武士があこがれなんて幻想だ粕
0091日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/06(土) 10:44:08.29
庄屋=農夫
0092日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/06(土) 10:52:36.78
下級藩士=奴隷民
0093日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/09(火) 16:44:00.48
世代ごとに全国各地から街道沿いに大きな都市に移って来て、
最終的に東京で自分が生まれるという。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/15(月) 22:20:56.30
庄屋っていっても地域によって農民だったり名字帯刀できる下級武士だったりするから差が大きいよ
0096日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/15(月) 22:50:25.91
苗字帯刀御免の農民であって、下級武士ではないだろう。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/15(月) 23:58:23.94
あのよ、下級武士ごときと一緒にすんなよけがらわしい

俺たちは名字対当がゆるされし名門の庄屋であって、下級武士ごときと格が違うだろ

在地の有望家は下級武士ごときに成り下がらず、武士の地位を捨てても在地の領主としての庄屋の身分を江戸初期大量の名門が選んだ


なんでぼろ長屋にぶちこまれて奴隷扱い受ける底辺なんかにならなきゃなんないのよ、俺たちゃ腐っても鯛だ馬鹿
0098日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 00:14:15.04
下級武士がみんな「ぼろ長屋にぶちこまれて奴隷扱い受ける底辺」だと思ってるのなら、
時代劇の見過ぎだろ。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 00:34:47.26
だから現代と一緒なのよ。
経団連会長と総理、知事と地元大企業オーナーでしょ、対等交際は。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 07:16:56.86
>名字対当がゆるされし庄屋

周辺百姓からの年貢を横流し、土下座して得たんだよな
0101日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 11:54:59.08
ウィキペディアによると、庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、戦国大名の家臣だった者も少なくないそうだ
もともと武士だったのなら苗字帯刀はもとからあったわけで、単に百姓になっても取り上げられなかっただけであって、土下座なんかする必要はない
0102日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 20:23:30.80
召し出されなかったから土下座が必要になるんだよ

大坂町奉行組与力だった大塩平八郎の門人への接し方を見る限り、与力と同心は
主従に準じる格式で接し、与力が庄屋の名を呼ぶ場合には殿をつけ、庄屋は与力に
土下座していたようだ。
同じ与力の振る舞いでも、役目を背負って人に会う場合には、相手が大藩の家臣で
あろうとお上の威光を背負って平伏させ、私的な用事で会う場合には、相手が庄屋
程度でも殿をつけて呼んだようだけどね。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/16(火) 23:25:47.51
庄屋時国家は、藩主前田家ですら立ち寄った際、殿とよび、上座にも座ってないが?
0104日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 01:49:06.39
通常「庄屋」っていうと戦後時代に主家なくしたりした土豪出身の元武士の世襲の庄屋のことをいうけど数としては少数なんだよ

ただの農民が選挙で数年やってたなんてのもあるし
0105日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 01:49:48.13
戦国時代のまちがいね すまぬ
0106日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 02:10:10.38
庄屋身分が確立するのは江戸時代と、以前はいわれていた。

いまでも、畿内とかの例外的な土地以外では江戸時代成立と考えられてるんじゃないの?
0107日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 08:54:32.33
村割りをして支配するという体制が確立するのは江戸時代だしね。

美作あたりでは戦国時代に一貫して地元勢力が振るわず、それこそ庄屋に毛が生えたような
支配層が中世そのままの郷村を束ねて他所の大勢力に従っていたようだ。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 17:28:21.50
関東 200軒に一軒の豪農は古い墓と豪邸があるが、一般庶民は小作が多く子分
関西 すごい豪邸はないが、10軒に一軒位の割合で庄屋クラスがいて、分家も平等
0109日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 18:27:35.41
>>108
10軒に1軒ぐらいの割合って組頭だろ
関西だと地方によっては年寄と呼ばれてるかもしれんが同じもの
集落ごとに組頭が年貢を集めるなど末端行政事務をやる
そして、その組頭を束ねて村単位の行政事務をやるのが庄屋だ
0111日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/17(水) 19:13:05.79
そもそも、「村」という組織の規模自体からして、関東と関西で違いすぎるだろ

関西の村なんて人口百人二百人ほど、百に満たない村も少なくないが、関東ではこんな人数だと村じゃなく部落(差別関連のじゃなくて、村の一部分って意味)じゃん。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/18(木) 11:02:39.03
「世界がもし100人の村だったら」という本が世界的にヒットしたことから分かるように
そもそも全世界の人にとって、村とはそのぐらいの人口のものであって、関東が異常
0114日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/18(木) 22:51:14.90
>>111-112
すまん、100とか200って人口じゃなく石高だったは
人口はその半分か1/3ぐらいだ@大阪府東部
0115日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/19(金) 09:53:05.25
>>114
関西平野部の村は小さければ100石を切ることも珍しくないけど、平均つーかたいていの村は
300石とか500石程度だ。もちろん河内国でもその状況は変わらない。
村の人口も、なんだかんだで石高とそう大きな乖離はない。
0116日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/19(金) 10:01:47.47
114
向きになって日本語をそういう使い方するのお前か〜
大阪人
0117日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/19(金) 10:02:12.25
旧高旧領取調帳のデータを使って、河内国茨田郡の村高の平均を計算したら、
約433石と出た。相給の村は別村として大雑把に扱ったから、実際の村高平均は
もうちょっと大きくなる。
0119305
垢版 |
2014/12/27(土) 22:34:49.98
埼玉県のうちの村(大字単位)だと庄屋は4家ある。
村の石高はちょうど千石位。
それぞれ三役があるから、今の大字単位に12家の役付きがあった。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/28(日) 12:24:19.40
明治初期、旧来の村を大規模に合併させて行政村を作った際に、旧来の村を大字と改めた

この場合、そこが実質的に4村に相当するって意味だろうな
0121119
垢版 |
2014/12/28(日) 17:38:56.27
いえ、実質的に一村です。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/28(日) 17:59:55.35
四給の村だったんじゃね。
あるいは、枝村のような形で4つに分かれてたとか。
0123119
垢版 |
2014/12/28(日) 22:57:44.78
旗本複数の領地が混在しています。
山岡鉄舟の家の領地もあり、子供時代に庄屋の家に宿泊に来たりしています。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2014/12/29(月) 00:49:12.49
>>119
うちの田舎も幕末で1200石ぐらいで
庄屋になった家が4家あるな(あと1家もそうかもって言われてるから5家かもしれんが)
戦後、3つの村が合併して町になったけど
他の2村は 一つが室町から世襲の代々庄屋、もう一つが2家、この2家のとこは途中で不手際があって代わったらしい
0125日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/08(木) 08:28:56.55
庄屋は大変だと思う
代官や藩と百姓に挟まれて
最近、郡上一揆って映画見たが百姓から突き上げくらいまくって気の毒だった
ああいうことになると後々人間関係めんどくさそう
0126日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/17(土) 16:16:24.24
ファミリーヒストリーで石田純一の先祖が江戸時代武士で庄屋だったとかイミフなことを言ってた。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/19(月) 15:36:52.04
江戸時代の庄屋はたしかに百姓身分だが、戦国大名の家臣がなることが多かったわけで、べつにイミフではないと思うよ
石田純一の先祖の場合は、六代前の祖先まで武士で、その家系を遡ると関が原あたりの戦いで紀州徳川の末端につながる武士だったらしい
その六代前の祖先が、ある村の庄屋として派遣されたとのことだ
0128日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/19(月) 17:33:38.07
>>127
戦国時代に武士だった家が江戸時代に庄屋になるならイミフではないが、
石田純一の場合は六代前なら江戸時代中期以降だろう。
その時期に武士から庄屋になったというのなら左遷のようなもんだな。
0129日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/20(火) 12:57:25.79
左遷というよりも、名を捨てて実を取るようなものかと
貧乏武士が一夜にして億万長者になるわけだから、左遷とは違うと思う
0130日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/20(火) 16:11:36.28
貧乏武士だったって番組内で出てたか?
庄屋は必ずしも億万長者ではない。
0131もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q
垢版 |
2015/01/21(水) 16:20:02.69
鸚鵡籠中記には、非人になった武士の話が出てるし、当時でもよくあった話だろ。
0132日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/23(金) 22:39:48.40
れっきとした家臣が庄屋職を務めるってのは 聞かないね
郷士が庄屋やったり、庄屋が代官を務めたりってのは聞いたことあるけど
0133日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/23(金) 23:43:23.97
直江兼続とかの歴とした家臣だって、(直轄の/本貫地の)自領においては庄屋と同様の業務---勧農を行ってるじゃん
0134日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/24(土) 00:39:52.58
>>133
同じ業務を行っているからといって同じ立場と言えるわけではない。
ピントがずれてるぞ。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2015/01/24(土) 17:34:24.16
大名家の家臣だったけど、改易後、帰農して庄屋とかならいるな
江戸時代初期は改易とか結構多かったから
0136日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/16(月) 12:54:12.23
明治の頭頃、祖母の名前を孫に付けるのって一般的だった?
父方の先祖には祖母と全く同じ名前を付けられた孫と言うのが存在した。
ややこしい命名するんだなぁと思ったけど、母方にも全く同じパターンの命名が存在した。
親子代々同じ名前なのではなく、祖母と孫が同じ名前。しかも長女ではない。
何なんだろう。
0137日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/16(月) 15:40:12.17
石田の庄屋は自称だろ。
江戸時代に武士が左遷で庄屋なんて事例は皆無に等しい。
庄屋と藩士は別個。
一介の藩士が身分失って庄屋なんてのは、よほどの天下りできる力が藩内にないかぎり、あり得んわ
例えれば一介の町役場の窓口対応公務員程度が左遷されて村長とか頭悪すぎだろ
0138日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/20(金) 23:29:56.96
自分の苗字を考察しましょう

バカな教職員から、田んぼの中にあったから田中など聞いた事が有るだろう
苗字は子々孫々に受け継ぐものである
己の子には字画など気遣うのに、苗字がバカな教職員の言うように単純な事で決まったと思うか
苗字とは考えに考え抜き己のルーツを辿った結果、至った苗字なのだ
自分たちは何処から来たのか、それを知らしめる唯一のツールです

田中・鈴木は確かに難しい。私にも分からない
菊を苗字に持つなら分かる。バカな教職員なら周りに菊の花が有ったとか何とかだろう
菊は天皇家の紋章である。しかしもっと深く突き詰めれば菊とは喜来に由来する事だと知る
何れにしろ喜来・菊は天皇家由来の地を示しているのです。羨ましい

この様に苗字が示す言葉は深いのである
バカな教職員の安い言葉には、くれぐれも惑わされないように気を付けましょう
奴等は教育者では有りません。公務員の役職である教職員でしかないです
0139日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 00:20:55.37
>>138
10年前の話だけど高校の日本史の先生が近代の授業(選択科目)で
「江戸時代一般人は名字がなかった」
「多分君らの古い先祖の墓には書かれてないかもしれない」
と言ってたのを思い出した

男系の直系の先祖でも所謂小作や平百姓の子孫って
言うほど多くないのかもと思ったりラジバンダリー
0141日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 01:50:30.38
百姓という語句はもともと、「さまざまの姓」という意味の言葉で、庶民という現代語と似た意味の言葉だった
それは、庶民も姓を持っているという前提の元で成立した単語だったんだぞ
0142日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 15:49:56.27
>>139
江戸時代は公に名乗ることが出来なかっただけで、ほとんどは苗字を持っていた。
0143日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 17:34:30.73
私、藩主と同じ名字
0145日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 23:01:25.80
んじゃおれは、1000kmぐらい離れた遠い最果ての藩の藩主の分家で家老だとかいう人と同じ苗字な
0146日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 23:17:06.31
つうか、藩主自体が一般的などこにでもいる苗字だろ
0147日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/21(土) 23:55:08.93
>>143私。
珍しい部類の名字だよ
江戸時代に藩主になる領主の女性とうちの先祖が結婚。
結婚をきっかけに名字が変わる。
600年位前。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 00:31:13.70
144だが、こっちはそれほど珍しい苗字じゃないらしい
が、近所の親戚以外では始めて見かけたってレベルの珍しさではある
(にもかかわらず、苗字順位検索での順位は決して低くはない。ほかのひとたちはどこにいるんだろ?)
その家老の家との間に親戚関係があるような雰囲気がないので、それぞれの苗字の来歴が知りたいとこではある

なお。家老より、そこの藩の藩主の方が圧倒的に知名度も高く、苗字の人数も多いんだがな。

>>146
どこにでも居るようなありふれた苗字じゃない藩主って、どっかにいるかなあ、よくわからん。
鍋島とかは少なめかな?
0149日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 00:55:15.03
江戸時代の藩主にはいない

室町時代までの守護大名は苗字はやはり際立っている
0150日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 02:33:24.58
際立つほど珍しい苗字の守護大名も思いつかん

山名も赤松も京極も土岐も武藤も宇都宮とか上杉とかもぜんぜんレア苗字じゃないだろ
斯波、六角、畠山あたりのことをいってるのかな?
0152日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 12:32:02.07
は?

前田、酒井、木下、中川、土井、本多、浅野、池田、亀井、水野、山口、鳥居、山内、、
きりないが、庶民苗字だらけだろ。
まあ庶民からの成り上がりだから仕方がないが
0154日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 15:28:16.30
せいじは芸名。本名は全然違う
0155日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 16:19:10.91
>>152
守護大名でも土岐や赤松みたいなのは前田とか酒井とか池田水野と大差ないだろ
成り上がった時期が古い以外は。
細川だって、足利氏の分家の一員とはいっても、末端も末端の出で、それら成り上がり勢と大差がない。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 16:32:04.78
いやいやいやいや、なにいってんの?大差ないとかあり得ないわ
0158日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 18:53:39.08
>>156
鎌倉末期に倒幕の混乱に乗じて成り上がる前は一介の小豪族、零細武士だったじゃんか。赤松も土岐も。
室町時代の間に格式が上がったから比較にならないように思えるだけさ

戦国時代の水野とかの方が、鎌倉末期の赤松とかより大手なほどに、大差ないだろ?
0159日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 19:14:13.74
だめだ馬鹿すぎて、、
0160日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/22(日) 19:17:35.09
お前らの好みの話には興味なし
0161日本@名無史さん
垢版 |
2015/03/24(火) 22:20:03.72
>>126-137確か紀州藩士で大阪の陣の後に武士を辞めて富田林の庄屋とか言ってたな。
なお家訓が女色は慎むべしで、リポーターが石田さん(純一)はこの家訓ご存知なんですかね?
と聞いたら本家の方が「知らないでしょうねwwww」とかだった。

ttp://roots.blog.jp/archives/20879782.html
ググったらあった。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2015/08/20(木) 11:27:35.25
>>127-135
そういう意味でなら、関西の庄屋と関東の名主はかなり違うんじゃないの?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況