やっていた寺は修験で
調べると、霞(カスミ)と呼ばれる縄張り、受け持ち区域があったらしいのです。
A寺は村1ヶ所、B寺は村4ヶ所、C寺は村15ヶ所というように定められていたらしいです。
うちがやっていた寺は村13ヶ所を受け持っていたみたいで、ある程度余裕があっから神社の方もやっていたのかも
>>753さんのレスを読んでちょっと見えたというか、ありがとうございます。
因みに最近、家に置いてある御神体を引っ張り出して見たら「神祇伯 資敬王」の署名がありました。
家族が「皇族じゃないのか」なんて言ってましたが、さすがに違いました。