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先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001地家ヤスマサ
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2012/05/18(金) 10:06:48.57
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る

前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
0825日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 20:40:16.71
>>824
江戸時代初期までは支配者層である庄屋や武士だけが〜左衛門、〜右衛門、〜兵衛を名乗ってたみたいだけど江戸時代中期以降は普通の農民も上記のような名前を名乗り出すようになったって聞いたことあるよ
だから普通の農民でも〜左衛門って名乗ってたっていうのはよくあることだと思う
0826日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 21:23:48.91
武士の〜左衛門、〜右衛門、〜兵衛は諱(通名)で本名は別にあるみたい。
0827日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 21:55:41.01
庄屋もそうだけど・・・世襲されてるのは衛門、兵衛で別に名前がある。
0828日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 21:58:05.01
そもそも兵衛というのは軍師の様な意味で
武士階級でないが知識あるので雇った人を兵衛と呼んだわけだから
民間人が名乗りやすかったんだろうね
0829日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 22:09:40.49
穢多頭の弾左衛門とか長吏小頭の杉本惣兵衛とか
0832日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 22:37:24.11
兵衛ってのは律令の六衛府のうち左右兵衛から来てるんだが。

武士たちが就任したい官職のうち、比較的ハードルが低いのが衛府所属官人で、そこから中堅(?)クラスの戦国武士らに兵衛などの官職名を持つのが多く出る契機になってて、
その結果が黒田官兵衛とか竹中半兵衛とかだよ

衛府でも長官の督(カミ)つまり左兵衛督・右兵衛督や次官のスケ (左右)兵衛佐、判官のジョウ (左右)兵衛(大少)尉がいて(大志・少志)、一番下が最下級の兵衛ってとこか
兵衛府のほか左右衛門府と左右近衛府があって合わせて6部門で六衛府

室町時代後半ぐらいからか、庄屋などの地域有力者の太夫名乗り(など)で衛門とか兵衛とかを世襲的に名乗る事例が出てくる
0835日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 23:28:31.58
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0836日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 23:33:49.20
男性で一番長生きした木村次郎右衛門さんは、代々次郎右衛門と言う名前を受け継ぐ家系だったらしいね。
しかも跡継ぎがいない所に婿養子だから、名字も名前も変えさせられた可哀想な人w

衛門っていつまで一般的だったんだろ?リアルで知ってるのは、昔近所に住んでた1904年生まれ70年代没の親戚の爺さんくらいだな。
取引先の先代社長が1920年ころの生まれで左衛門だけど会ったことはない。
0837日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 23:39:16.72
デパートの松坂屋の創業家は、今でもその手の名乗りを代々継いでいたはず
この前、新聞の訃報欄でみた記憶があるわ
0838日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 00:06:54.23
総合格闘家の才賀紀左衛門

実家の和歌山では代々その名前を継いでいるのだとか
0839日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 00:27:50.21
>>837
代々伊藤次郎左衛門を襲名していたようだね
最近亡くなったのは17代目当主で、創業家出身者として最後の社長だったそうだ
0840日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 04:07:22.53
>>832
なるほど。代々世襲で名乗ってる所もあるんですね。例えば江戸時代は武士ではないけど豪農で代々っていう家だと、一種のプライドとか誇示みたいなもんなんですかね。

昔はそれなりの家だったんだぞって感じで
0841日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 08:18:42.82
>>826
諱(いみな)は本名のほうだぞ。実名(じつみょう)だ
〜衛門とか、こっちのは仮名(けみょう)だろ
0842日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 16:47:39.16
矢野弾左衛門集房
0844日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 17:34:30.61
曾祖父に双子の妹がいるんだが、戸籍を見ると片方が産まれてすぐ亡くなってる。
間引きの可能性あるかな?
0845日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 17:55:38.89
普通の百姓って諱はなかったの?
山田太郎兵衛みたいに苗字+仮名だけだったんだろうか
それとも太郎兵衛が本名扱いだったのか
0846日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 18:08:30.53
江戸時代の百姓の多くは実名を持たないか、もしくは使っていない(苗字も同様)
墓や過去帳にも実名じゃなく仮名で載ってるのが普通
0847日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 22:02:11.67
庄屋の場合は石碑建てるときは諱で墓は世襲名とかなんだが何故だろうか?
0848826
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2018/10/17(水) 22:28:57.56
>>841
間違ってました。
ご指摘感謝!
0849日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 23:22:12.05
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0850日本@名無史さん
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2018/10/18(木) 20:58:32.80
〜之丞、〜之進→カッコイイ
〜右衛門、〜左衛門→古風でいいね
〜蔵、〜助、〜吉→普通だね
〜兵衛→ダサい
0851日本@名無史さん
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2018/10/18(木) 21:57:57.90
田舎の一族で善兵衛、善三郎、五右衛門、六兵衛って名前が多い一族がいたんだが
これって生まれた順かね?
0852日本@名無史さん
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2018/10/18(木) 21:59:08.45
寺だったから代々、善超とか善教とかいかにも坊さんていう感じの名前だった
0861日本@名無史さん
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2018/10/19(金) 00:22:03.90
今話題の駿河銀行の創業者一族も庄屋だな
0862日本@名無史さん
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2018/10/19(金) 01:00:41.57
うちもだ
庄屋一族で代々の当主が市右衛門とか市兵衛なのにある代の当主だけ半九郎だわ
これ何なんだろうな
0864日本@名無史さん
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2018/10/19(金) 08:39:20.37
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 16:31:01.29
小字っていつ頃作られたの?

31年式戸籍には○○村△△字□□10番地と書いてあって(△が大字で□が小字ね)

19年式戸籍では○○村△△10番地となっていて小字が書いてないんだよ
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 18:31:14.39
江戸時代の村の名前が「おおあざ」で、村内の集落名とかのローカル名が「こあざ」
江戸時代の村を複数集めて合併した広域名が明治時代の「むら」なんで、旧村名は格落ちしたわけ

たぶんだが、番地が「おおあざのなかで1からふられている」状態で、こあざ名は有ってもなくてもいいという扱いだったんじゃないのかな
公式の地名では存在しない地域名だけど併記してもいい、程度。
それが戸籍ないに書かれる程度まで規定が変わった(つまり復活した)のでは?
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 19:51:33.92
>>585
だからお前嘘ばかりほざくなや

なら旗本の北条家臣何人おんねん?

後北条家は大半が鎌倉期や室町よりの板東武士団の在方土豪や地侍衆であり、
それらをただ束ねていただけの連合国みたいなレベル。

それとは別に後北条家の直属の専業武士がおり、確かに僅かながら旗本や家老に雇用されたこの直属の相模周辺の後北条家業武士の旧臣はいたが、それでも極少数。

後北条家の大多数となる主力の在方の土豪や地侍は城主レベルまでことごとく帰農させられてる。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 20:26:09.36
後北条家

↓中枢の直属の首脳

評定衆、馬廻り衆

↓直属の専業家臣団
【小田原衆や下田衆江戸など、相模周辺の南関東地域の専業武士団】


__________

↓ただ単に束ねていたに過ぎない在方

在方武士団
【武蔵、下野、上総を中心とした北関東の鎌倉、室町よりの在方の豪族、土豪地侍衆の名門層】


この後北条家の構成の大多数と成す在方の武士団は、皆鎌倉や室町からの在方支配層の土豪や地侍で、
単に束ねているだけの存在。
これらはことごとく帰農させられてる。

直属家臣団の一部に旗本に召し抱えられているのは確かに僅かながらいるが、
それでも最上位の評定衆や馬廻り衆すら過半数が帰農させられてる。

大名として残ったのは
豊臣勢に買った忍城主の成田家だが、すぐに改易になり、成田家も断絶になるし。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 20:30:43.02
因みに、
後北条家で徳川の旗本になっている極一部は、
最上位の評定衆ではなく、ほとんどがその下の直属家臣団である評定衆の家臣だったもの

ただ後北条家は直属家臣団がすげーのではなく、
在方の支配層はみな鎌倉や平安からの名門関東武士団だらけ。

この在方がことごとく帰農させられてるのが、関東の豪農層が異常にプライドが高い由縁
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 20:53:33.68
北関東の庄屋、名主層

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/一色義直_(幸手一色氏)
【超名門 武蔵一色家 一色義直】
幸手5,160石を賜る
交代寄合・大身旗本(高家旗本)



★一色政義(武蔵国上川崎村(現在の鷲宮町)名主)となる

【北関東の典型的地侍】
深井家
http://hp.vector.co.jp/authors/VA035985/archives/roots/roots01.
その後深井一族の子孫は、

本家
 1)土着して中山道鴻巣宿の草分名主となった一派

分家
 2)藤堂家に仕えて藤堂姓を許された一派
  (分家は本姓の深井を名乗る)
 3)松平伊豆守家に仕えて家老職をつとめた一派
 4)高崎藩(松平信綱の五男・信興を祖とする)に仕えて家老職をつとめた一派

と分かれた。

北関東の庄屋は超名門の足利将軍家の五職家に連なる超名門武家の舎弟から、
分家は皆、成り上がり大名家の家老になるレベルの家柄が皆庄屋名主層
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 21:34:16.15
因みに、庄屋は庄屋でも、

北関東の庄屋を関西程度の庄屋と一緒にされたくない。
全く別物
関西程度の庄屋なんてたんなる野良百姓だろ

北関東の庄屋は真の名門武家だった関東武士団の直系だから。

本当に一緒にされんの迷惑だわ
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 01:31:33.26
在方土豪や地侍衆は戦国後期は大分地位がおちてるんじゃないの?

>>関東の豪農層が異常にプライドが高い
 こりゃ当たり前と言っちゃ当たり前で鎌倉、足利(栃木)と本場だからね
0874日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 02:14:53.16
>>873
関東では在方の土豪や地侍が平安から秀吉の関東征伐まで手付かずでずっと在郷の支配層として蹂躙されず君臨してきた。

それは後北条が室町時代型の支配体系であったため、鎌倉時代のままの在地開発領主層がそのまま根こそぎ残っていた地域

全て秀吉軍団のような出自不詳の成り上がり軍団により壊滅させられた
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 02:36:44.84
秀吉の関東征伐を例えるなら、

先祖代々何百年も在郷の村長を勤めてきた 関東の在方の支配層が、
秀吉率いる関西の亀田一家みたいなんや、半グレを大量に引き連れて関東全域に殴り込んできて、僅か2ヶ月で関東の名門支配層をことごとく根絶やしか地位を奪った。

みたいなもんだかんな。
ふざけすぎてるわ
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 07:59:48.91
>>874
北条は在来の大名とは大幅に違う統治体系じゃなかったか
室町時代型とか、おかしいな
戦国時代に広まる改良型を、半世紀ほど先んじて早雲か氏綱辺りの頃から導入してるだろ
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 11:32:36.31
>>875
後北条家の中でも、鉢形衆がかなりの由緒ある集団だよね。
関東きっての名門とも称する秩父地方の将門由来の板東平氏だった在方開発領主層が多い。
後北条家に従属していただけの集団だったから、鉢形城が落ちる早々に離散して地元に逃げ延びて、ほとんど名主になってるね。

八王子城は女子供、総大将の北条まで皆殺しにされてるからね。八王子衆は後北条家の直参の武士団だから、逃げ延びられる在地がないから立て籠ったんだろうか。
0879日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/20(土) 14:54:57.36
こういうのロマンたっぷりでいいな
うちも7代前の兄は美濃から江戸に移住したらしいが苗字がありきたり過ぎて特定不可能だわ
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 18:23:21.65
>>747 武家と宮司は昔だと同じなんだよ。
大きな神社は必ず自分達の軍勢を持ってた。

自分の家系も鎌倉時代に源頼朝から地頭を命じられて奈良から出て地方の統治を任された。

昔は地方を統治するには先ず現地の信仰を大事にすることから始めるから、先ずやったのは新しい神社を京都から持ってきて、地元の小さな神社を併合した。
そして、宮司として神社を守るとともに、一緒に赴任してきた大名の侍大将として働いてた。

そんなものだよ。 時代が下って来ると江戸時代などは武家の姿は殆どなくなり宮司家だけが目立つようになってた。
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 18:46:43.29
>>750 うちも源頼朝から地頭を命じられた時(1193年)は、まだ氏姓だった。
苗字をもらったのは南北朝になって後醍醐天皇から(1333年)。

>>751 もっと上の支配者だよ。 神社や宮司の家系が古いのはそういう事情があるから。
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/01(木) 22:49:55.26
>>881
751は「村の神社で」宮司をやるような人は村方三役クラス、もしくは
(江戸時代後半で)神社の宮司をやるような人は最低でも村方三役クラス
ぐらいの意味で読んでください、上は色々だし。

神祇官の二等官という上級職を勤める人が兼業で神主やってる神社だってあるわけですし
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 19:18:52.55
確かに宮司は村や藩の鎮守に指定されてたレベルは、旧豪族や土豪地侍レベルを分家で排出していたレベルやろ
血統的には江戸の武家とは比べものにならない位の由緒なのは間違いないからな
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 19:19:48.22
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/03(土) 21:50:09.95
地域によるんでね
地元近所の村方三役の家々は源氏直系だよ
庄屋は足利家分家

顔ほんと皇族に似てるから誰も疑っていない
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 00:58:11.41
>>886 どこだよ。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 13:58:09.99
皇族の顔なんて、明治以前と以降で全く顔立ちが違うんだが?
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 14:05:28.90
>>887
関東、東北だろ。
関西以西はなまじ歴史があるだけに由緒がわからなくなった馬の骨先祖が多いのは止む無し。
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 14:35:16.94
>>887 >>889 >>890
場所は言えないけど本当だよ
近所に住んでるけれどヒゲ生やしたらもうこれ神武東征だろって感じに似合う
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 16:05:30.72
神武のリアル顔知ってるとはすごいなw

ちなみにうちも元宮司家で歴史だけは長い家だけど由緒怪しいぞw
渡来系と武家系と諸説ある
しかし平安以降地元史料中心に度々名前が出てくる
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 16:30:05.56
>>891 アホか
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 16:34:13.78
>>892 宮司家や由緒は結構盛ってるのが多い。
創建年代位までは比較的正しいだろうけど、その前の由緒書きは結構眉唾が多いと思う。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:13:49.59
江戸時代ぐらいになると家の成立についての伝説にせよ神社の来歴や由緒にせよ偽作が横行してたもんな
伊勢の大手神社の一つである伊雑宮が来歴を偽作して自分こそ筆頭みたいな神話をばらまいて、神社間でちょっとした戦争状態に陥ったことさえある。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:18:11.09
>>894
そうだね
埼玉県に氷川神社ってあるけど、あそこの旧神主家も三家(岩井・東角井・西角井)あって、物部朝臣、菅原朝臣とか名乗ってるが定かではない
江戸の初めごろには小田原北条方系の在地没落武家が新たに神主に加わり四家になったが、権勢を妬まれ御鷹場で鶴を捕ったとかのかどで追放された。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:41:33.75
神武天皇って実在したかも定かじゃないのに後世に想像で描かれた髭面のイラスト見て似てるからそうに違いない!って騒ぐのは馬鹿げてないかw
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/04(日) 17:59:50.10
とある武士が自分の腹を切り命懸けで守り抜いた血みどろの家系図「チケンマロカシ」とは?
http://news.livedoor.com/article/detail/15544955/

時に、日本では血筋以上に「家」というつながり(家系)が重んじられ、
それを代々受け継ぐことで一族のルーツを確かめ、助け合って生きる絆を強めたのです。

その記録を「家系図」と言い、かつて武士たちにとって、家系図はとても大切なものでした。

現代ではちょっと考えにくいことですが、家系図は「自分が何者であるか」を示す重要ツールとして、
仕官の際に持参して、自分が「身元の確かな、信頼できる人間である」ことのアピールにも使われました。

言うなれば家系図は、血統書であり、身分証明書であり、時に履歴書でもあった訳です。

例えば「かの武勇名高き何某(なにがし)の子孫であるから、武勇にすぐれているだろう」云々……もちろん、
それを証明する本人の裏づけ(能力・実績など)は必要ですが、武士たちは自分が自分一人ではなく、
一族郎党はもちろん、代々の祖先までひっくるめた「御家(おいえ)」の一員・いち細胞のような感覚で生きていたことがわかります。

自分が恥ずべき振舞いに及べば、それは自分個人でなく、一族郎党や祖先の名誉を損ない、
ひいては子孫たちにまで迷惑をかけてしまう……そんな想いが、武士たちの振舞いに独自の美徳と道理を備わせました。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 12:11:09.09
近世までの「家」は、現代における会社組織みたいに思うほうが妥当
家族とい側面より雇用組織の側面を重く見るべき

家がなくなるというのは多くの従業員たちが路頭に迷うことでもあるから、
自分一人の問題じゃないんだよ
0900日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/05(月) 14:05:30.18
近衞 忠大(このえ ただひろ、1970年7月18日 - )は、日本のクリエイティブ・ディレクター、映像作家、陽明文庫評議員。武蔵野美術大学造形学部映像学科(一期生)卒業。宮中歌会始にて講師 (こうじ)をつとめる。
公益財団法人 十四世六平太記念財団理事(能・喜多流の財団・2017年より)

五摂家である公家の近衞家(陽明家とも)当主で、社団法人日本赤十字社社長近衞忠Wの長男。

家族・親族

高祖父:細川護久(熊本藩第12代藩主・藩知事)
高祖父:池田詮政(侯爵、元貴族院議員)
高祖父:近衛篤麿(第3代貴族院議長、第7代学習院院長)
高祖父:毛利高範(子爵、元貴族院議員)
高祖父:明治天皇
高祖母:柳原愛子
高祖父:九条道孝(公爵、元貴族院議員)
高祖父:高木正善(丹南藩第13代藩主)
高祖父:入江為守(元貴族院議員)
曾祖父:細川護立(元貴族院議員)
曾祖父:近衞文麿(元首相)
曾祖母:近衛千代子
曾祖父:大正天皇
曾祖母:貞明皇后
曾祖父:高木正得(昆虫学者、元貴族院議員)
祖父:細川護貞(細川家第17代当主。元内閣総理大臣秘書官)
祖父:三笠宮崇仁親王
祖母:三笠宮妃百合子
伯父:細川護熙(元首相)
父:近衞忠W(近衞家当主。社団法人日本赤十字社社長)
母:近衞ィ子(三笠宮崇仁親王の第1女子)
妻:近衛桂子(旧宮家の久邇朝建(久邇宮朝融王の第2男子、朝建王)長女)
桂子夫人との間に4人の子供がいる。
0901日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 14:43:10.15
軍事貴族出身の武家の子孫は渡来系の血を引いてる場合がほぼ100%だけど、田舎の普通の地侍の子孫ってどうなんだろうな
やっぱり土民の血しか引いてないんだろうか
0902日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 15:14:34.09
日本は貴族が生き残ってる国。チャンコロでいうと太原王氏や清河崔氏のような漢〜唐の宰相の家系貴族が現代でも首相を輩出してる貴族野郎の国。
0903日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 15:38:02.72
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0904日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 19:03:26.21
>>901
>軍事貴族出身の武家の子孫は渡来系の血を引いてる場合がほぼ100%だけど
って、「新羅三郎っていうからには新羅系の血を引いてるに違いない」みたいなデムパを信じちゃってる痛い子?
0905日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 19:47:18.13
>>904
そうじゃない
新羅三郎だって元を辿れば清和天皇に行き着くしその清和天皇は代々遡れば渡来人の血も混ざっているだろ
母系も辿るともっと混ざっていそうだが
だから軍事貴族は新羅三郎みたいに天皇家に繋がる血筋がほとんどということを考えても軍事貴族に渡来人の血が流れているのは間違いでもないだろう
0906日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 20:36:28.33
源氏の元祖は北魏!唐の宰相を輩出した名族から嵯峨天皇が肖った。
源氏物語は天皇の側近として宰相職独占してた頃の源氏で、武士の物語と思って読むと自爆する。
0907日本@名無史さん
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2018/11/05(月) 22:52:47.64
平将門の乱の主要登場人物
平貞盛
源護
興世王
六孫王経基
武蔵武芝
藤原玄明
平真樹
藤原維幾
藤原秀郷
この中で根っからの在地勢力は武蔵武芝だが、中央軍事貴族らしいのは誰だろう?
0908日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 21:05:07.00
将門追討の恩賞で中央軍事貴族の武士になったのは貞盛と為憲と秀郷。その他は道長四天王世代から武士
0909日本@名無史さん
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2018/11/07(水) 23:41:41.33
武蔵守の百済王貞連の系統って武士にならなかったのかな?
0912日本@名無史さん
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2018/11/08(木) 07:06:45.25
今日は高祖父の足取りを調べに新幹線で先祖の地の図書館へ行ってくる
そこそこの都会だからヒトの入れ替わり激しくて目ぼしい情報は載ってないかもしれんがやるだけやってみたい
0915日本@名無史さん
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2018/11/08(木) 12:50:15.13
>>900
すごい…
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 20:29:19.35
先祖は百姓だけど名主だった、とか自慢ぽく語る奴いるけど
名主は別に偉くなかった。

PTAの役員みたいに、しょーがなくてやることもあった。
村によっては、みんなで押しつけ合い、いつも押しつけ合いに
なるのが面倒で、順番でやるというところもあった。

百姓だけど姓を名乗ってた、なんて威張る奴もいるが、
普通、どんな百姓でも苗字はあった。
公(おおやけ)の関係で名乗れないだけ。
世田谷の某村の資料などを読むと、全員が苗字を名乗っている。

実際に苗字が無い人もいた。そういうのは猟師とか木樵みたいな人たち。
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 22:59:25.40
地域によって名主の役割やランクが違うってことを知らんのかな。
0918日本@名無史さん
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2018/11/09(金) 01:22:06.34
>>916 その世田谷の資料って西暦何年くらいの資料だよ。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 02:00:17.79
うちの先祖を調べてみたんだけど、すんごい小さな離島の生まれなんだわ。
で、直系傍系兄弟姉妹全部戸籍見てみたら、うちの家に嫁いだ人・婿養子に来た人みんな同じ小字の出身なの。
島全体でも数百もいないようなド田舎だから、その中にある小字なんて、数えるほどしか人がいないはずなの。
しかも、嫁入りした人は半分以上同じ名字。ただ親の名前は別だから近い血縁ではなさそう。

昔は、○○家は必ず××村から嫁をもらう、とか○○家は必ず□□家から嫁をもらう、とか言う掟があったりしたのかな?
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 03:52:08.91
部落は部落同士でしか通婚できないからねえ
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 04:46:38.84
史料にみる江戸時代の世田谷 下山照夫編 岩田書院
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 10:22:37.76
世田谷の旧家だと宇田川さんとか大場さんが多いイメージ
だいたい彦根藩領だよね
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 12:35:37.91
うちの母親の先祖は分かるんだけど、父親の先祖が分からない…。
母親のとこは戦国大名の家臣だったから、割合簡単に分かったけど…。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 13:18:04.53
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
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