>>925
普通は新田開発だろう。領主が開発したり、村受け開発というのもあり、また商人が
投資として開発事業をすることもあった。
そうやって新たに拓かれた農地に入ったんじゃないの。

>>938
昔は神仏混淆で神と仏が一緒に祀られていたが、全体を管理していたのは
常に寺だった。神社を管理していた寺を神宮寺とか宮寺という。
伊勢神宮や出雲大社にだって神宮司はあったのである。
神宮寺にいて神社と寺を統括していたのが別当。
別当というのは官職の名称で、今でいう「長官」というような意味。
別当が何人もいるとき、その最高位の者を執権という。
神宮寺という寺であるところから分かるが、別当は僧だった。
だからあなたの先祖が別当だったのなら間違いなく仏僧だった。

別当で有名なのが別当公曉(べっとうくぎょう)。源実朝を暗殺した鶴ヶ岡八幡の
別当である。二代将軍源頼家の息子である。
本来将軍になってもおかしくない地位にあったが、父親の失脚によって
僧にされていた。当時鶴ヶ岡八幡は寺でもあり、寺の規模の方が大きかった。
明治になって神仏分離により寺の部分は壊されたが、それにより建物は
三分の一になってしまったという。

別当公曉の例にあるように、領主が自分の建てた寺に別当として一族の者を
送り込むことはよくあった。長男と次男は武士にするが、三男は僧にするという
ような具合。別当という地位に就くのはたいへんなことなので、やはりバックには
武将というような大名レベルの実家があったのだと思う。