例えば、(何でもいいのだが上に出てくるから大宮氷川神社を例にとると)、武蔵一宮
であり皇室の四方拝の対象ともされた神社でも寛政の頃はこうだった。
https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946/e/bfd06a3e34f0c2348d9a1101c821a707
境内に天神も稲荷も愛宕神社も住吉神社も石上神宮もある。一方で観音堂も不動堂もある。
主祭神として男神と女神と中氷川様といわれる神(たぶん男神と女神の子)が祀られている。
池の向こうにあるので、おそらく古い時代には上賀茂神社のように白砂を山にして
神の依代(よりしろ)としてあったのだろう。さらに古い時代は、森の中のただの空間(神地のみ)
であった。(沖の島のような祭り方)。
参道を挟むように神宮寺が並んでいる。それぞれ「○○院」という塔頭の形式である。
(大徳寺に塔頭が二十いくつある。みな○○院という寺号である。高桐院などを知っている
だろう。ああいうのと同じ。)。このいずれかに別当が住んでいた。
神宮寺は明治になって全部破壊され、神主の館だけが残っている。今の建物はたぶん明治
以降のものだろうが寺院の形式である。

973のご先祖がずっと神主で最初から今まで神社だったのならすごいことだ。
日本史を書き換えるような発見といっていい。
>うちの名字の本家が代々この神社の宮司。
繰り返しになるが、だって「別当寺に住んでる法印様」だったんだろw
俺の書いたことは全部無駄だと思う。他に読んでくれる人もいると思って書いただけだ。
ごめんな