官位について語るスレ4
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喜連川家は当主が釣りをして藩収入を稼ぐ漁業藩だからな。 >>75
それをいったら、松前藩では米がとれない。 >>78
釣られたくない大魚がわざわざ迂回すると
あとからさんざん嫌味言われるんだっけw
石高低くて官位高いのは鷹司松平家が吉井藩1万石で
四品侍従っていうのがある。 >>79
だから松前藩は無高だったろ?
広大な領地あることをもって幕末になってやっと辛うじて大名格貰ってたけど
江戸後期でも無高だぞ? >>74
高石高で無城陣屋ってのは聞いたことあるけど
低石高、高官位って聞いたこと無いな。
四位になれる(大乗寺だったか?)支藩は五萬石以上はあったと思う。 >>80
> 石高低くて官位高いのは鷹司松平家が吉井藩1万石で
> 四品侍従っていうのがある。
レアケースだがおもろい >>85
摂関家が四位に到達するのは30年かかる。 織田信雄の子孫の小幡藩織田家も明和事件までは二万石でも従四位下侍従になれる家格だった >>55
陸海軍大佐(高等官三等)は任官と同時に從五位に進階するんだが(文武官敍位進階内則に依る)
>>56
慶光は3度召集されているが3度目のときは31歳のとき
31歳の公爵なら正四位くらいのはず(華族敍位進階内則に依る)
正四位と言えば軍人は中少将になってから数年経たないとなれない
ちなみにちゃんと書くとこうなる↓
陸軍二等兵正四位公爵徳川慶光 近世武家の身分・家格・席次などは石高などの単一の基準で一概に決まるわけではないのは勿論だが(何故かそう思い込んでる人は多いが)
多重基準なので一概に決められないというのも正しくない(このように言う人も結構いる)
実際には多種の基準の複雑な組み合わせによって単線的な序列が形成されておりそれによって個々人の席次が決められていた
当時は席次を間違えただけで差控(軽い罰則)になりかねなかったり
部屋を間違えただけで相役もろとも御目見以下の身分に落とされたりするほど席次に気を遣っていたので
序列があやふやだと運用上大いに困るわけだ
(御奏者番や大目付などの儀典官でもなければ基準を知ることも把握することも困難だっただろうが)
面倒くさいので詳しくは書かないけど
席次のポイントとなるのは官位・布衣、大名・高家の別、城の有無、領知・知行・藏米などの高、家督相続の時期、御目見の可否など
そして家格はある席次に到達しうるか否か及びその到達するスピードによって決まる
ちなみに譜代・外様などの別は大して重要なものではない(実際の運用上特に問題とならない) >>91
3度目31歳での召集なら、二等兵よりは昇進してないか? >>93
病気で退営とかだったから二等兵止まりだったようだな
その後上等兵まで行った 調べたら軍人が正四位になれるのは
陸海軍大佐は従四位に叙せられた後満十四年以上
(大佐に任ぜられる以前に従四位に叙せられていたらそのときから起算、以下同じ)
陸海軍中少将は従四位に叙せられた後満五年以上
陸海軍大将は新任のとき 京都祇園祭長刀鉾の稚児は五位少将か・・・。
商人の子供のくせに摂家並みか。八坂神社の私宣だけど。 >>96
八坂神社の私宣とはいえ、
幕府からも朝廷からもクレームがないんだから
「黙認」されていたような感じだね。 徳川慶光さん、母が有栖川宮家の女王、実姉が高松宮妃、義姉が秩父宮妃、こんな二等兵を部下には持ちたくないな。 初歩的な質問に答えていただけませんか。
大岡忠相は、なぜ越前守なのですか?
答:武家官位(名誉職)だからでは、私には全く意味不明です。
戦国時代に自称するとか、古田重然が織部何とかになったとかは、
箔付けとして分る気がするけど、江戸時代の武家官位って何なの。
格式であれば正従○位ってヤツだけで充分だろうし、
ごく一部の人間のみがそれにプラスされるご褒美なら分る。
百歩譲って「地名+守(等)」だけなら順位付けにもなると思う。
多数の者に多数の役名では、有り難味はなく序列も不明瞭だろうし、
役名重複では個人の特定にも結び付かない(家にずっと伝わる名でもないし)。
(官職に就けない者に官職の代わりに与えるなら非常に理解しやすいが)
まず武家官位の意味が分らない(呼称では納得し難い。上は姓呼び捨て、下は役職で充分)。
続いてなぜ大岡の官位は「地名+守」で、地名が「越前」なのか。
そもそも選択肢は(誰も使えないor特定者しか使えない地名があるのは知ってるけど)?
選択肢の範囲内なら本人が好きに選んで承認されるの?選択肢の明示や手続きは?
官位が変わるのはどんな時(先任者に同一の者がいる時はそうらしいけど)、
本人が気分で変える・出世して変える、上が抜擢してご褒美で変える等は?
こうしたことを定めた明文化した規則ってあるの?
何度も聞かれている(故に何度も答えられている)質問ですが、お願いします。
(公家の位階制度は「○位+朝廷役職」のセットで存在し「○位」単独の形はありえず、
武家も無理矢理それを適用?−○位が与えられた者は○位相当の朝廷役職が選択肢?) まずまともな日本語で質問してください。
独り善がりで他人に読ませる体裁を整えていない文章では、質問を読む気も失せます。 >>98
本人のプライドはどうだったんだろうね。公爵で征夷大将軍の嫡孫なのに
歩兵って・・・。 土佐中村の一条氏が江戸時代まで生き残っていたら面白かったと思うね。
石高は低いが、官位は高い。 >>103
5000石くらいで将軍家からは客分の扱い。極官は権大納言。
家臣・領民からは御所様と尊称される・・・とか。
どっかで聞いたような・・・。 >>106
土佐一条氏は摂関家ではなく摂関家の分家。
最盛期でも、関白にはなれない格式だったよ。
その割には位階は高いけど >>107
土佐一条家から本家の摂家一条家の婿養子に入って
関白になったのがいるよな >足利将軍家は公卿に昇進して応仁の乱までは大臣にまで昇進可能である摂家・清華家級の家格となった。
摂家? 摂関にはなれないが儀礼面では摂家と同格の待遇だった 「弾正」と「玄蕃」って芝居じゃ悪役だよね
なんで悪役用になっちゃったのか? 中国の六部にあたる役所に、朝鮮はへりくだって六部の下位機関である曹を当てているところを
日本では六部の上位機関である省を当てているが、中国はそのことに怒ったりしなかったのかな。
日本としては別にそれで中国より上位に立とうとかいう意図はなかったとは思うが。 >>113
中国が怒ったからどうって話でもないしな。
日本と中国とは上下関係にないからな。 現代でも中国を刺激しないように総理や閣僚は靖国に参拝するべきではないって人もいるし
そういう事なかれ主義的な人は当時もいたんじゃないかな 天皇、年号使用してる段階でことなかれ主義もへったくれもねえだろ。 >>113-116
太宗李世民の諱を憚って民部尚書を戸部尚書といいかえるのが
中国の伝統になってしまったが
日本じゃ「民部省・民部卿」で最初から無視だもんね まあ現代みたく情報が流れやすいならともかく、
古代中世では官制とかにまで強く目を光らせたりはしてないだろ 朝鮮みたいにベタで朝貢してるとそうも言えないけどね。
常時監視され随時アップデートされ、
中国官制のダウングレードバージョンが恒常化していた。
日本では琉球王府がそういうのじゃないかと思っていたが
調べてみたら中国式、日本式、幕府風、独自要素の
入り混じった不可思議な官制だったw 渤海は唐と同じ名前だな。
それに対して唐が文句言うことは無かったし大した問題じゃなさそう。 >>120
何逝ってんの、渤海の官制は唐とはぜんぜん違う名だぞ >>114
隋は倭の大王が日の出後に政務をしない習慣をやめさせたそうだが。 >>120
宮崎市定の研究によれば、結構気にしてたみたいだね。
例えば、中国南北朝だと~品が官僚で、~位はそれ以下の流外官だったので、日本では品を皇族に限定したりして、釣り合いをとってる。後代、日本では四位を四品と読み替えたりもするようになったけどね。
新羅とかもっと密接な朝貢関係にある国の官制になると、もっと配慮してる。 >>122
なんか政務は日中にすべきものではない、
という慣習があったようで隋の人には(我々現代人にも)奇異に思った様子。
隋の“指導”もあって、倭国でも日中に政務を行うことになったが、九
それでも早起きの習慣はあったのか勤務開始時刻は日の出の時刻。
「朝廷」の語源も朝に政務を行うからとも。つうの
大臣以下高級貴族が昼過ぎには政務をん階級は終えて帰宅するとのことに
以前は「特権階級の勤務時間は短く気楽だったんだな」と考えていたが
夏場の日の出は午前4時半前。それから正午までの時間は7時間くらい。
現在の感覚でも普通の勤務時間か。
下級官吏は日没頃まで“超過勤務”を強いられていたらしいのは
現在の下級職員と変わらないが。 大正天皇の時までは、天皇の葬儀で、棺が皇居を出発するのは夜になってから。 >>127
江戸時代後半から徐々に国学者らの主張する古儀が採り入れられて擬古仕様に変わっていったのが、
明治大正期に一挙に古儀復興と洋式新制の導入でいろいろと変わってるからなあ。
古来〜大正までなのか幕末から大正あるいは明治から大正なのか、ものによって色々あるんだよな。
>>125
その時代の官僚たちは領主豪族だから、朝廷での勤務を終えたら自分の領地に戻って領内統治をしてただろうに。
領地から離れて朝政専業で働くようになったのは律令時代に入ってからじゃないのか? >>127
> 大正天皇の時までは、天皇の葬儀で、棺が皇居を出発するのは夜になってから。
今は警備の関係で不可能に近い。
飛び道具が弓矢しかなかった時代ならそれでよかったんだろうが。 日本の神事は夜間がデフォ
前近代まで庶民にとっては貴人の葬儀ですら物見遊山だから人目を避けるという意味合いもあった
警備の都合じゃねぃよ
国民意識の変化に皇室があわせただけ
もっとも本当はどうかなんか部外者には永遠に分からんけどな 従四位下よりも
正五位上の方が
響きがいい
従や下は嫌だな 間違わずに、ちゃんと読めているなら
それでいいんじゃねぃ
他人に同意を求められても困る 贈位はともかく贈官はないだろう。
そもそも明治以降に贈官ってあったっけ?
岩倉具視の贈太政大臣くらいか? だから、従一位は「贈位」、大勲位菊花章頸飾は「叙勲」、
「贈官」は「太政大臣」とか「内閣総理大臣」などの官職名を贈ること、
「贈官位」は「贈官」と「贈位」のこと。 警官や軍人の職務中(任務中)殉職の2階級特進も贈官の一種かな? まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>143
贈官の方が近いと思うけどね。位に近いものとしては給与等級・号俸があるわけだし。 >>144
位田は位階によるんだし、基本給は階級に基づくでそ
やはり二階級特進は贈位だと思うが 係長が部長になったりはしないから贈位が近いね。
東日本大震災で殉職された陸前高田の「幹部交番」という施設の
所長さんが凄いことになってる。
幹部交番所長の階級定位は警部だったが、
この人は定年直前のご祝儀で警視になっていたとこだったので、
2階級特進して警視長になっちゃった。
ちなみに岩手県警察本部長の階級も警視長。
地方公務員の警視長も多分この人が史上唯一。
歴史的な贈位贈官もロジックを突き詰めてくと
いろいろと矛盾や奇怪な記録を生んでしまうところがあり
なかなかに奥が深い。 というか、下手なねーちゃん代議士が死んだ場合、もらえるのは、従三位
?正四位?従四位? なんで二階級特進が贈位なんだ
警視だの警部だのは官名だぞ
馬鹿か 警察法では「階級」になっている。
明確な職務を伴わないので、位階に近いはず。
警視などが「官名」ってソースは? wikiより
官名と職名[編集]
次の3つに分類することができる。上2つは国家公務員、3つ目は地方公務員である(カッコ内は例)。
警察庁警察官(官名=警察庁巡査部長、警察庁警部補、職名=官房審議官、四国管区警察学校教務部長兼教授)
地方警務官(官名=警視正、警視長、職名=警視庁副総監、神奈川県警察本部交通部参事官兼運転免許本部長)
警視以下の都道府県警察官(官名=巡査長沖縄県巡査、北海道警部、職名=大阪府警察本部刑事部捜査第一課長、○○警察署地域課長)
ちなみに戦前の官等だと警視は奏任官たる警察官吏の官名で警部・警部補は判任官
>>149の言い草だと陸軍少尉やら大蔵書記官やら文部教官やらも明確な職務を伴わないので官ではなく位階ということになるなw
普通明確な職務を伴うのは「職」の方
官というものを理解していない馬鹿がこんなスレに顔を出すなよ ふむふむなるほどと思って自分も「官名と職名」でぐぐってみたらいきなり
>しかし、『和名抄』(倭名類聚抄)では太政大臣、左右大臣以下を職名の部に入れる一方、官省寮司職を官名の部に入れるなど必ずしも明確な区別はついていなかったともいわれている。
とあって茶あ吹いたぞw
しかし、警視正以上は全員国家公務員だからただ「警視正」であって「警察庁警視正」ではないんだな。
でも警視長になっちゃった岩手県警視・高田幹部交番所長さんはどういう扱いなんだろうな?
死んでから地方公務員退職→国家公務員採用ってのも無理があるし、
「岩手県警視長」ってのも規定にないだろうし…。 階級に見合った役職を与えられるって官位相当制みたいなことするなら
警察も自衛隊も官名みたいな階級やめて位階にすればいいのに。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 徳川将軍が正二位に止まったのは従が嫌だからなんて説もある
確かに従一位内大臣よりは正二位内大臣の方がいい
どうせ死ねば正一位貰えるの確定してるし
家斉が従一位になって以降幕府の威光が衰えた感あるしね >>143>>145ですが>>150さんの仰る通りですね
失礼しました勉強になりました >>151
それは役所としての官を「官」、個々の官を「職」として分けて理解した分類なのでは?
そもそも和名抄が公式の分類を負っているとも思えないし 二階級特進って、昇進させることで遺族が受け取る恩給の額を上げるためだと聞いたが、贈位、贈官にもそんな実益はあったのかな? その家が、死後に贈位、贈官してもらえる新家格になった
(適当) 位田、封戸は一身専属だし、荘園制の発展で形骸化してるから、贈位、贈官で経済的メリットはなさそう。
帝の外祖父の位が低かった場合の贈位贈官が結構あったみたいだ。
園家が有名で大納言を輩出する格の家になったが、それは贈位贈官の結果というよりも帝二人の外祖父を出した結果だろうね。 >>158
三条天皇が、ある女御を立后したくて
その女御の亡くなった父親に、大臣位を贈った事例がある
その父親は、大将で亡くなっていて、その娘では皇后にできなかった 贈位はともかく贈官のロジックで困るのは、
「さきの太政大臣」は今日や明日には太政大臣ではないのに、
「贈太政大臣」は任官を期待しない栄誉称号とはいえ、
ハナから死んでるから永遠に有効で太政大臣なこと。
昔はそのへんゆるかったとしても几帳面なヒトならすぐ
ぶち当たる程度の矛盾で、そのへんをどう考えていたんだろう。
仮説1 現任者と紛らわしいので生前は名乗らないが、
極官の官職名は称号としては永遠に有効。
仮説2 生前に辞めるとその官職ではなくなるが、
在任中死者と被贈者は辞めてないので称号としては永遠に有効。
仮説3 そもそも太政大臣なら太政大臣には、「現太政大臣」「前太政大臣」「贈太政大臣」の
3つのカテゴリがあり、通常は「現」のみを「太政大臣」と言う。 >現任者と紛らわしいので生前は名乗らない
意味不明 要するに辞めたとしても1回太政大臣をやった人は
ずっと「太政大臣」と呼ばれる権利があるということ。
ちなみに内閣総理大臣経験者は退任後も周辺が「総理」と呼び続ける慣習が今もある。 院政期の早い時期から官職に実体が無くなって、家格と待遇の証みたいになったからね。
即日辞任だろうがなってしまえば、前官待遇は受けられる訳で。 そんな早期に官職の実態がなくなったってのは勘違い。
実態が無くなった官もあるし実態がある有効な官職もあるって状態だぞ
ほとんどの官職が実態を失うようになるのは戦国時代か江戸時代頃だろ >>166
財源がなきゃ官職の実態もなくなるんだから、
建武政府の崩壊以後だろ、官職の実態がほぼ失われるのは。
実態としての検非違使が完全に消え去ったのもそのころだしな。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった ていうか、ものすごく当り前で、ごく当然のことを
主張しているだけのつもりなんだが、
何でこうやってムキになって噛み付いてくる人がいるのか・・・
2chってほんと不思議なところだね。
皇族 > 賜姓皇族 >>> 落胤
落胤の子孫なんて価値がない
そんなものを有り難がるのは地方の武士ぐらい >>170 高見王は無位無官でどうやって食っていたの? >>162
おまえ以前にもどこかで同じようなアホな趣旨のレスしてたろ
そのときに懇切にレス貰ってるんだからそれを読み返したら? 何も説明できないのに無駄に攻撃的なヤツが一番邪魔。 >>177
なんでアホに二度も同じことを説明してさしあげなきゃならないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています