天皇と秦の始皇帝はどっちが格上?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
子供が遊びで話す「スタローンとジャン・クロード・バンダムはどっちが強い?」
社会人が酒席で話す「早稲田と慶應はどっちが上?」
そんなレベルでいい
忌憚ない意見を聞かせてくれ あえて糞スレにマジレス。
公式ではないが、天皇は周代に「現地人王」兼「封建領主」兼「周の将軍」として
派遣、あるいは認定された人物の末裔であると考えられる。
周王族の姫姓を持っていて、これは魏王朝など「正統」と同じ血脈。
ここで、重要になるのが儒教、序列思想だ。
中国は、形式上「皇帝は夏の王族が天に与えられた特権」だった。
春秋戦国時代、各地の諸侯は「周王の家臣」のままで
「覇王」という実質的支配者にはなれたものの、
すべては「周王の為に」「周王の命令で」戦争を行うという手続きを踏まねばならなかった。
秦の始皇帝も、あくまで周王に「請われ禅譲されて」王位を継いだ事になってる。
そのため、皇帝は二人存在できない。
前任者がいる間は、「後から出てきた方が偽物」ということになる。
その意味では実は日本の天皇は皇帝より、偉い。
というか、天皇が本物で、中原の皇帝は「武力に拠る占有」を続けた偽物だ。
というのは、項羽が周王族最後の生き残りを殺して以来、
正式に周王族から「禅譲された」人間はいないのだ。
漢の高祖も、そのため、自らは決して「皇帝」を名乗らなかった。
そのロジックで言えば、周王族の末裔であり
自らを「天の王」と宣言する天皇の方が正統の皇帝だ。 >>3
>中国は、形式上「皇帝は夏の王族が天に与えられた特権」だった。
その当時、皇帝の称号は存在しない。王朝の祖とされる禹は帝だが、夏王朝のトップはあくまで王だ。
それに殷や周の時代に夏の王族の末裔は諸候として封建されてはいても特権など持ってはいない。 >>3
姫姓呉の末裔、周王室の兄筋で黄帝の子孫と、頼みもしないのに東アジアで一番カッコイイ血統と噂されても、古代以来皇室は全力否定だよ。 うむ、ならば別の視点から。
中国の皇帝の権力の源泉思想は極天だ。
いわゆる星座の中心、北極星に皇帝は位置し、その四方を世界が回転する。
故に中華であり、皇(黄)なわけだ。
ところが、皇という字を分解すれば、すなわち白王となる。
しかし、この上の点は太陽を象徴する象形であって、すなわち皇とは日王の事だ。
まあ、さすがに日本の王という意味ではなく、(天皇という呼称を考えた人間は意識した可能性もあるが)
皇という字はすなわち太陽信仰から来ている事の証左である。
要するに、極天思想は本来は太陽信仰であった物が、
西方のヒッタイトあたりからの思想の流入で変質した物だと考えていい。
つまり、思想としては比較的新しい。
一方の日本の太陽信仰は非常に古い。
これはエジプトやヒッタイト、オリエント野研究、
またY−DNAの研究から、少なくとも2万年以上前には既に確立していた世界的な原始太陽信仰の形を
世界で唯一、比較的原型に近い形で現代に引き継いでいる可能性が高い。
つまり、中国の極天思想など、日本の太陽信仰に比べれば小僧もいい所なのだ。 新羅大明神は、素戔嗚尊の事で宇迦之御魂神が素戔嗚尊の子神
宇迦之御魂神は、秦氏の氏神
素戔嗚尊は周代の現在の四川省チベット人自治区からの渡来。
自動的に、天照皇大神が素戔嗚尊の姉神だから同地域出身の筈。 ただ自称神の末裔と言って神の意向をかさにきるのと、
自我が強すぎて確かに能力はすごいが自分が神の化身と称し、オラオラ主義の皇帝
どっちがまじですごいのだろう 皇帝⇒北極星
ゼウス=木星
ファラオ←シリウス
天皇⇒太陽
俄然、天皇のカリスマの足元にも及ばないだろう 天皇が渡来するまでの
日本は月や山岳信仰でしょう。 万葉集、古今和歌集で、太陽があまり出てこないですネ。 >>14 資料だとそうだけど月を崇めて太陽を崇めないのは不自然だから侵略者に太陽筋だけ掻っ払われたと思われw 始皇帝時代の方が文明は、天皇より進んでいたのは確かでしょう。
天皇は渡来人で、大陸(朝鮮も含む)から大逃げてきたかヤクザか、末端の戦闘員かも。
歴史板は学問・
教科書の子供の教育じゃないんだからさ。
学問で書き込むなら、
日本に漢字伝来するまで(大陸の史書にあるもの以外)記紀以前の人物はカタカナで書いてほしいものです。
ジンムとか・・・・・・ >>17
天皇は渡来人違うやろ
そんなこと言ったら日本人は全員アフリカからの渡来人や 天皇ってのは唐の高宗が名乗ったのが最初。それを真似たんだろう 天皇家(地祇系)は中国皇帝の血統
天孫系はツングース(朝鮮人の祖:扶余族の血統)
ウィキペディアに天皇家の祖、ニニギのY染色体はd系統とあるが
あれは断絶家系の染色体検査の結果
天神系は扶余+漢=百済族
縄文人に国も王もいなかった
この国を大きくしたのは渡来人(外国) 比べるなら明治天皇と始皇帝とかじゃない?
家と個人比べてどうするんだ 始皇帝の方が偉いに決まっているだろ。
大体、日本人の民族的感情として天皇陛下が偉いと言いたいのは解る。
だが皇帝と言う王を超越した概念を想像した張本人であり、
当時、超大国の秦の最高君主であった始皇帝が実在したのかも解らない神武天皇とからに劣る訳がない。
大体、天武辺りが天皇号を使うまでは
天皇号なんて使ってない訳で、
客観的に考えたら神武とかは天皇ではない。
ま、皇帝の概念を作り上げ当時、超大国の秦の最高君主だった始皇帝に天皇が勝てる筈が無い。 ベトナム人、韓国人、満州人、モンゴル人も
始皇帝を真似して皇帝号を用いた。
日本の天皇を真似て天皇号を用いた異民族なんて
どこにもいない。フビライもヌルハチもアグダも
遼の耶律阿保機もベトナムも韓国も皇帝号を
始皇帝に真似て用いた。大体、日本の天皇に
どう言う影響力があるんねん。
ま、始皇帝に勝てる皇帝は居ませんな。 ≫23
明治天皇と比較しても始皇帝の方が上だろ。
大体、始皇帝は七国が競い合う乱世に生を受け、
六国を滅ぼして自国を超大国に登り上げさせた。
明治天皇はあくまで清、ロシアを破った業績がある程度。
私個人の意見としては始皇帝の方が上だな。 始皇帝に比肩できるのはローマのカエサルのみです。
天皇なんて日本民族だけの皇帝であり、
多民族の上に立つ君主ではありません。
アジアの片隅にある辺境の島国の君主など、
偉くも何ともありません。
偉いと思ってるのは日本人だけです。 三皇(天皇・地皇・人皇)が創始し
五帝(黄帝・帝顓頊・帝嚳・帝尭・帝舜)が
継承発展させた国土建設事業を完成させたのが
皇帝であるので、天皇より皇帝の方が断然、偉い人なのである。 始皇帝が中国を統一したとき、日本は北部九州がようやく弥生時代になったばかりで、
半裸でウホウホ言ってる状態だったわけだが。
神話の話はなしな。 磨製石器の武器はすでにでてきてるぞ
黒曜石で作ったナイフなどもすでにある 現実、秦は滅んで皇帝はいない
それどころか秦が滅んで倭国に子族が逃げてきている
今、日本にいる秦さんは秦の始皇帝の末裔と言われている
天皇は象徴になったとはいえ、脈々と続いている 天皇…神の末裔
始皇帝…ただの人間。おまけに子孫はあっという間に族滅
どっちが偉いかなんて比べるまでもないな 神武天皇とやらなんて、神の末裔に祭り上げただけの事
ジンム自体が「神のようなモノ」という言葉でしか無いんだがね ただの人間が皇帝にまで登りつめたのだから、
神の末裔と嘘ついている時点で
どちらが偉いか解ったものだろう。 36
だから始皇帝は猿
新たに国を作ったときに名乗るのが皇帝ってのは分かった
全て初代は高祖を名乗ってるわな 格とか出自の違いに熱心なのは
儒教の伝統 = 半島出身 >>40
序列にこだわって努力するのはいいことである
儒教、朝鮮文化は素晴らしい
さすが千年の伝統を持つ科挙国家である >>36
史記でも秦の先祖の誕生から書いてるぞ。
春秋時代に周の東遷を助け諸侯に列せられてから
秦王政(始皇帝)による天下統一まででも550年の歴史がある。
日本の天皇も紀元前660年の建国はあからさまな嘘であって
神武天皇から天武天皇まで500年以上〜700年以内に収まることだろう。
しかも神武の代から国家を統一していたわけでも
天皇を名乗っていたわけでもなく、神武の子孫が勝ち残り、
日本を統一できたから先祖にも自分と同じ天皇号を付けていっただけのこと。
古代の歴史は国家を統一した人物から書くのではなく
先祖のルーツ、国の発祥から書くのが決まりなんだよ。 極東の島国の君主でも力でなく徳を以って国を治めるのが天皇。
天皇は中華の皇帝のように好き勝手なことをできる自由も権限もない。
もっとも中国でもお飾りのような皇帝もいたが。 ともにチンとよび天下をおさめた
両チンといふべきや ハトヤマクン? 当時にヒトの個体に集約された事業について勘案する限り
始 皇 帝
に決まってるだろ
ここでぶっ飛んで
「周王室の末裔が天皇家」説をでっちあげてみるw
もしくは
始皇帝は影武者と入れ替わって実は徐福となって日本に移住していた
「始皇帝=徐福=神武天皇」説をでっちあげてみるw
とりあえず天皇号は唐の則天武后が使ったのを日本で採用したそうだ >>47
> 当時にヒトの個体に集約された事業について勘案する限り
事業規模で言うなら、モンゴルの大ハーン最強 神武天皇は始皇帝や徐福よりも300〜400年
ほど後の後漢時代の人物だろう。
大和朝廷以前に日本を支配していたのは出雲の豪族。
彼らこそ徐福の後裔ではないだろうか。
神武天皇の出身地である九州南部の住民が
春秋時代の呉や越の遺民で、神武が呉の王族、すなわち
周王室の分流ということもありえるかも。 神武は、卑弥呼の後継者の壱与を守る為、大和に入り周辺の豪族を打ち破って
いった武将
崇神の時、四道将軍を各地に派遣して、征夷大将軍の様な存在になった。
そして地祇系を出雲へ
邪馬台国系を伊勢に左遷
箸墓を超える巨大古墳を造るようになったのは応神から 史記秦本記に記されている様に
徐と秦は同族
先に徐福が植民を率いて列島に移民
後に秦が半島経由で入った
扶余は秦や徐の流民で成る 史記には秦、徐、淮、莱は同族とある
淮王之印を持つのはこの民族の王 百舌鳥耳とはモズミ
モズミとは百済
百済は西暦5Cに滅亡 秦の末で大陸に残ったのは
羌、イ、チベットなどである 応神記にある弓月君、融通君とはユズでありこの民族の名
この名を名乗るのはこの民族の王である証
神武とは応神でもある 三皇五帝>周の王の末裔
皇帝>天皇
秦からしたら天皇は秦以外の6国と同じ扱いとなる 小野妹子が皇帝と天皇を対等に進言したんだろ?
それ以前は朝貢があったのなら皇帝に対して対等じゃねえよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています