>>109
南東北の戦国史は、本当に「コップの中のプロレスごっこ」だからなあ。
他の地方への影響が全く存在しなかったから、
例えば、他の地方の人が、その郷土史を編纂する際に、誰も振り向かない(振り向く必要がない)

これが、中四国から関東甲信越までの地域だと、まず、「隣接する地域に確実に影響を与えて」いる。
そして、「直接または間接的に、畿内の中央政権に影響を与えて」いる。
京都の権威は失墜していたが、権力と情報のキーステーションが、ずっと畿内にあったことは確実で、
畿内に影響を与えることは、玉突き的に、他の地方への影響も与えていることになる。
東北南部の場合、畿内から埃を被った権威を貰うことはあるが、一方的に貰うだけだ。

他方、九州と東北北部の場合、畿内からは遠いが、今度は大和文化圏の外側への影響が、少なからずある。
明や李朝を震撼させ、琉球と深い関係を持った九州勢力は、当然の話なので、ここでは特に言及しないが、
北東北の場合、その動乱の帰趨自体が、北海道史に深刻な影響を与え続ける。
南奥の場合、これも無いんだよなあ。つうか、関東にすら、ほとんど影響を与えられていない。影響を受けるばかり。