>>118
そんなもんか。どれもこれも、反対側からみれば、どうでもいい話ばかりじゃないか。
しかも、上杉征伐やら、挙句は奥州藤原氏まで持ち出してるし(しかも奥州藤原氏は北奥だ)
(つうか、時代を拡張するなら、南北朝をお忘れですよw)

結局、個別の戦闘レベルですら、辛うじて、影響らしきものを及ぼしているのは、会津の葦名だけなんだ。
東北南端に陣取り、関東や越後と関係が深い葦名が、やや特殊なポジションにあったことは、俺も否定しない。
つうか、これが>>1に関わる。
葦名と茨城内陸の佐竹が、中央や隣接地方の情勢に影響され、「リングにパイプ椅子を持ち込む」ことにより、
南奥は、ぬるすぎる八百長プロレスから、ガチンコの戦国修羅の国に、ようやく変化することになる。
でも、ようやく修羅の国になった頃には、秀吉は惣無事令のカウントダウンに入っている。
政宗が「活躍」出来たのは、この一瞬でしか無い。だから、史実がmaxなんだよ。

史実がmaxなんて武将は、そうそういないのに、どうしてこれを称賛せず、変な妄想に走るかなあ??