■■司馬遼太郎症候群について語るvol.3
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この男の本に出会わなければ、余計な望みを抱かずに
幸せに人生を送れたものを、出会ったばかりに、
「自分もひとかどの者に違いない」と錯覚して、
平凡な人生を歩むのに納得できず、却って
中途半端な人生を送る羽目になってる人っているよね。
特にこの板の人とか。可哀想。
まだまだ知性派アンチには言い足りないだろうから再興した。第3弾。
■■司馬遼太郎症候群について語るvol.2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1351725064/ >>535
司馬って義経が水夫を射殺したのが非情な戦術とか言ってるけど
あれってソースないんでしょ? 高校中退のトンビは最近になって司馬遼太郎を読んで感激したらしく
司馬の憲兵のようになってスレを巡回してるからな。
無知だから話にまざれないけど >>570
じゃあ司馬が書いてる、義経が壇の浦で平家の船の漕ぎ手を狙い撃ちにしたソース出してよ。 >>571
>>573
それはほんとに「何がでどころ?」という感じだね。
平家物語でも水主梶取らが殺されたのは鎌倉方が平家方を圧倒して、
「すでに平家の舟にのりうつりければ」という段階であって、
戦局を決める段階で射殺を命じたなんて一言も書いてないのに。 ここまでジロキチガーの自演w
完全に見透かされてるのに恥ずかしくないのかね 司馬の小説は「参謀本部編○○の役」がネタ本だからそっち読むほうが早いよ。
丸パクリというやつだね。 田布施システムの創作者・発信者一覧表
・大室近祐
通称田布施の和田喜八郎と呼ばれる詐話師
・鹿島昇
極左弁護士
同和問題にも取り組む極左弁護士
新国民社を設立し、陰謀論を出版
・太田竜
鹿島昇の新国民社を引き継いだ極左
元日本革命的共産主義者同盟委員長
・鬼塚英昭
大分の部落民で竹細工職人
鹿島昇の本に影響を受け陰謀論を
在日コリアンの会社から出版
・リチャード輿水
在日コリアンの会社から陰謀論を出版
・朴甲東
鬼塚や輿水が陰謀論を出版してる成甲書房を設立
朝鮮共産党機関紙「解放日報」元記者
・犬丸勝子
日本共和党の極左
・松重正
陰謀論で親韓
・松重楊江
陰謀論
・松重
名前は不明だが鹿島の本に影響を受けている
日韓親善協会、日中親善協会会員でもある共産党員 続き
・原田伊織
左翼
小説形式のブログで長州を貶める内容を発信
出版のソースに史料・文献が少なく司馬遼太郎などの
小説をソースにしている
・ツイートTVの老夫婦
共産党支持者
わざわざ山口県にまで出向き
地域を撮影しYouTubeで発信してる陰謀論者
動画の出だしに必ず「はぁい」と不気味な声で言う
会津プロパガンダ同様、極左だらけで歴史家がいない
に加えて部落、朝鮮人、親韓が絡んでるが特徴的 上様とは豊臣秀頼様だけであるなどと三成に言わせた司馬遼太郎。
暴れん坊将軍の見すぎ。 >>580
だいたいは公刊戦史なんだよね。
日露戦争も機密日露戦史とかでしょ? >>585
石田三成襲撃事件で家康邸に逃げ込んだとかも徳富蘇峰と戦史関ヶ原役の丸のみだろ
江戸時代までだってそんな説はない
司馬は学者の研究を真面目に読むタイプじゃないから、パクリで確定だよ
司馬本てウソというより全てパクリなの しかも間違ってパクってるというおまけつき
パクリ元を知らない善男善女がありがたがってるんだよね。 >>1
「自分もひとかどのものに違いない」と錯覚するネトサヨ君どうした >>16
ネトサヨ行政政府とベッタリなのがマスゴミだろ
反権力気取るくせにシナチョン権力の狗やってるアホマスゴミwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ■■君が代アレルギーのガイジになる赤川次郎症候群について語るvol.3 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
SPY 司馬アンチってネトウヨでアニオタのキモオタじゃないかと類推する 日本に関する全てを否定したい朝鮮人と
親や教師が誉めそやすから否定したい高二病患者が大半じゃねぃ
アンチの言ってることはググると出てくるコピペばかりっていう印象 高杉晋作と坂本龍馬がらみはほぼウソだよね。
日本一の新婚旅行とか勝塾の塾頭だとか。 ×日本一の新婚旅行
○日本初の新婚旅行
「汗血千里駒」はハネムーンと形容してるけど
「日本初」を付けたのは司馬の大嘘
出来の悪い史料をもとに間違った史実を創作する司馬 >>596
竜馬は信じる馬鹿の脳みそにも問題がある >>598
司馬の本を読む奴等は脳みそに問題があるからな 龍馬は塾頭ではなかったが塾盗だった。
勝塾に松平春嶽が提供した金をねこばばして逃げたのだから。
勝先生激怒、以後絶縁状態w 司馬病ってアレか何かあるとすぐに戦前の日本ガーしだすアレか >>596
慶応元年5月の木戸との会談のドタキャンも
司馬が「西郷が土壇場で渋った」とか適当書いてたけど
もともと西郷は将軍進発に備えた緊急の上洛命令を受けてたから
何よりも上洛が優先というだけの話なんだよね
小松が大久保宛書簡で西郷上洛の趣旨を説明している >>562
これ、騙されてるやつ本当に多いなあ。
あと長州が二大政党制の元祖とか
僕や裁判所が長州起源とか。みんなでたらめだが。 日本でだけ広まってる坂の上の雲のロジェストウェンスキー愚将説も
ツシマあたりの記述を鵜呑みにした司馬の軽率が始まりだよね。
というか帝政ロシア期の海軍でロジェストの出自を知ってれば
「無能な貴族」なんて評価が出てくるはずはないのだが。 戦国物や幕末物は長編と短編で同じ素材を取り扱いながら
短編では史実に近い人間関係を書いたりしてることがあって
話を面白くするためにわざと講談よりの説を採用した可能性があるが
明治物はガチで無知の産物だな 司馬はニコライ2世が大津事件で日本を恨んでいると思い込んでいた
ニコライ2世日記が紹介されて大恥をかいたわけだが
それ以前にも、西徳二郎公使が帰国したニコライ皇太子を訪ねたところ
「大きにありがとう」などと日本語で言ってご機嫌だったと榎本外相に報告している
そういうの研究書に載ってるのに全然調べもしないんだよな 秋山真之さんは晩年満蒙独立運動に関与していましたが
司馬はそこをまるっとカットしました >>603
文久三年に本来下野すべき麻田党が逆に強権化したのは
諸隊の蜂起を使嗾してクーデタを起こしたからだから
むしろ軍国主義の元祖と言うのが適当だなw 高杉晋作がいよう征夷大将軍と言ったのが古今未曾有のことで
これを悔しがった旗本はこの日の出来事を日記に記した者が多い
↑
これなんて民明書房のゴルフみたいな嘘なのに信じてる奴が本当に多いからな
そんなこと言ってないのはもちろん
「旗本が記した日記」とやらも一冊もない、
当たり前だがありもしない出来事を記した日記などない >>610
途中から「軍部」の意向に反した政策ができなくなっちゃったよね
諸隊の幹部を政府に入れないと政権が持たないから >>603
「僕」はとっくに教養人の間で使われてたし
「裁判役」(目付)も幕府や土佐藩などで使われている 自分はアンチじゃないけど新撰組の篠原泰之進が耳を洗う癖で中耳炎になって死んだってのが全くデタラメで笑える。10代の時は自分も中耳炎持ちだから信じてた。
そもそも耳を水で洗っても何も問題ないらしいし。 昭和の軍人たちは命令を聞かなかった!
明治の軍人たちは忠実だった!と言ってるけど明治の将軍だって独断が多い
日清戦争なんて山縣、桂、野津、大島、立見らが平然と軍令無視して行動してる
前線まで電信線がないし、戊辰戦争経験者だから互いに抑えもきかない
自分が命令無視してるから人の命令無視も咎めない、結果オーライというどんぶり勘定の世界です >>616
>昭和の軍人たちは命令を聞かなかった
そんなデマ無いんだが。自分のデマを司馬が言ってたみたいに捏造するのは辞めろや屑 日清戦争は陸奥宗光・川上操六の強硬論に内閣が引きずられたという
司馬的に見たら典型的なダメ戦争なのだが、そこはスルーだよね。 >>617
司馬遼太郎の統帥権論
https://japanese.hix05.com/History/shiba/shiba06.tosuiken.html
信者ならちゃんと聖書を読んでおけよ(呆)
坂の上の雲の最終章にも書いてあるだろ
お前の言ってるのは「俺はキリスト教徒だけどイエスって誰?」みたいなもんだ 「峠」で福沢諭吉がアリストクラシーでなくモナルキーを主張したとか言ってるけど
福沢が主張したのは「大君による」専制なんだよね(明治2年11月7日書簡)
福沢は帰国後に幕権独裁しか道はないと考えるようになる >>619
お前が言ってるのはカトリックの唯一神は絶対、キリストは神の子救世主、マリアも神聖というスタイルの
日本軍部に瑕疵はないとする神国日本とその皇民に間違いはあるはずはないとするオカルト >>622
坂の上の雲 あとがき
「この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えないが、
その戦後の最初の愚行は、官修の「日露戦史」においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。
(中略)作戦についての価値判断がほとんどなされておらず、それを回避しぬいて平板な平面叙述のみに
おわってしまっている。その理由は戦後の論功行賞にあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという
戦勝国特有の総花式のそれをやったため、官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけに
ゆかなくなったのである。(中略)これによって国民は何事も知らされず、むしろ日本が神秘的な強国
であるということを教えられるのみであり、小学校教育によってそのように信じさせられた世代が、
やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、
ともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方角へひきずってゆくのである」 よっぽど伊地知が嫌いなんだな
第三軍司令部無能説を取る論者は同時に
満州軍首脳にも責任があると論じる人が多いはずだけどな 伊地知が有能っていうほうが無理が有るのに
伊地知有能説って伊地知の遺族の復権運動かな 司馬
「日本が平安の頃。ロシア人の先祖のスラブ人はまだ未開人だった」 『司馬さんに嫌われた乃木、伊地知両将軍の無念を晴らす』
ttp://tkg12.com/books/807-7.html 司馬が生まれる数十年前のリアルタイムで同僚や民衆に叩かれてた
乃木将軍を昭和40年代にむしろ権威回復してやったのに乃木神社信者はないものねだりしすぎ >>628
高橋秀直が「日清戦争への道」を著して以来今日ではほぼ定説。
しかも「勝って」もいない。
川上が介入必至なのに構想した直隷決戦は三国干渉を招き遼東半島の還付を強いられた。
列強の干渉を最初から危惧していた伊藤首相が陸奥や川上の暴走に折れた時点で予定されていた結末 >>630
上でも書かれてるけど司馬が批判されてるのは
第三軍(乃木)は無能、しかし総司令部(児玉)は有能という組み合わせを取るからだろ。
今日だって第三軍の作戦指導は(結果的に)拙劣だったという人はいるが、
それは旅順要塞の攻略について定見を持たなかった総司令部も同じだという結論を取る
司馬は総司令部その他の作戦指導の迷走は不問に付し、第三軍それも参謀長に
「司令官は素人だからともかく参謀長は専門家なのにけしからん」
という謎理屈で全責任を押し付けてるのが疑問視されてるわけで 「歳月」で司馬は「河野敏鎌は日本法を無視して清律を適用しろと意見書を出した
けしからん」ととんでもないことをのたまってる
しかし河野の意見書は、清律の規定に言及したあと
「各々国体の異なるあれば、亦此の律を余り引用することを得ず」と否定的な意見を付している
この意見書のどこを読んだら清律を適用したことになるのか
だいたい当時の刑法(新律綱領・改定律例)は明律・清律を参考にして作ってるんだから
罪名が分からない時はルーツの1つである清律も参照するのが当たり前
河野の意見は「日本法には謀反大逆を直接処罰する規定はない、
兇徒聚集罪は謀反にも適用できるものではない、親法の清律もあまり参考にならない、
だから兇徒聚集罪との刑の権衡を考えて三類型に分けて処断しましょう」というもの
それまでの外山・愛宕事件のような謀反事件でも、処罰の根拠すら示さず
「朝憲をはばからず…不届至極だから自刃しろ」とかいう野蛮人判決を出してたんだから
法の欠缺に対して河野案はむしろよく考えた部類 >>632
第三軍の参謀長も一まわり送れてるだろ
第三軍の参謀部に間違いはないとするのは司馬死後に出された売名司馬批判本作者の糞屁理屈 Wikipediaの司馬作品批判のソースをチェックすると、誰だよそれっていう作者の売名本がソースになってる。
しかもその作者を調べていくと知ったか誤認満載かつ経歴もゴミのような奴ばかり。 >>634
>第三軍の参謀長も一まわり送れてるだろ
どういう意味だ?
司馬批判者もべつに第三軍の司令部が完璧だなんて一言も言ってないが。
(強襲があの時は唯一の戦略だったと言ってるのはいるけど)
批判者が問題にするのは「何で第三軍司令部は叩くのに、満州軍総司令部は褒めるの?
それ完全に史実と違うだろ」という所にある。 てか>>632でとっくにそう指摘してるじゃん。
>>634は日本語の文章が読めないのか??? >>635
>Wikipediaの司馬作品批判のソースをチェックすると
wikipediaなんてチェックしてどうすんだよ…馬鹿なのかお前は。 あと「翔ぶがごとく」もいい加減な記述が多い。
西南戦争勃発の原因で司馬は
「川路が挑発を目的としたという史料は実に多い」と決めつけている
ではその史料とは?というと「事件後に彼らが出世したから」だという
西南記伝の主張を引いて「正論というべきであろう」でおしまい。
こんなもん史料でも何でもない、ただの著者の主張じゃん。どこが史料だ。 >>614
そう、裁判という単語はもともとあるんだよね。
それも長州藩では「宰」判で、行政組織の名称だったが、
幕府の役職の「裁判」は漢字までぴったり、内容も監察・処断の権限を指す >>638
司馬批判の大本ってNETではwikipedia
出そのソースの司馬批判の本の著者は下種な左翼や右翼もどきばかり。
まともな経歴の司馬批判者はの本は皆無だろう >>636
褒めるかどうかは司馬の評価であってそれに反する意見はお前の評価に過ぎないという大前提をわきまえろ
自分が信じたい史実は無条件で事実だと思う幼稚な思い込みから脱却しろ なら、このスレに書いてある司馬批判がwikipediaに書いてあるかどうか示してみ? 磯田道史が「龍馬がいたら全く違う国になっていた」とか言ってたけど
こういうトンデモ説に司馬の龍馬像は大きく貢献してるだろうな。
亀山社中における役割、海援隊の性格、薩長同盟での役割、勝海舟との関係、政権構想
ことごとく過大に誤解されてる。
坂本龍馬について最近ので一番まとまった正確な研究は松浦玲のだと思うけど。 >>641
まともな歴史家は司馬なんか相手にしないからな
ちなみに司馬を崇拝して史実をねじ曲げたやつはいるぞ
井沢とか井沢とか >>643
逆にwikipediaの司馬批判ソースがどういうレベルか確認しろ >>644
龍馬が薩長同盟に貢献したとかほぼウソだしな
嘘というか後世の妄想 史料から読み取れるのは龍馬が同盟当日薩摩藩邸に居合わせたこと
(これも否定してる人はいるけど)
そして木戸を諌めたところ反論を食らって沈黙したということ(木戸「自叙」)だけ。
同盟締結に貢献したというのは完全に創作。 司馬遼太郎症候群てつまり会津プロパガンダ洗脳者だろw いよっ征夷大将軍とかいまだに信じてる馬鹿がいるからな。
あと長州士民合議書が民主主義のはしりだとか言うデマ。 >>644
海援隊が商社だという所からしてウソだしな
それでも司馬と同世代の龍馬信仰植えつけられた奴どもは
射利が定款に入ってるから商社だと言い張ってるが 司馬遼太郎や磯田道史ほどの知識量が無い奴が龍馬批判とか
逆張りしてる馬鹿が虚勢を張るときにやりがち >>654
は?司馬なんて学術書のたぐいを全く読んでない
その辺の史料ごちゃごちゃに読んで適当につまみ食いしてるだけだが
磯田に至っては龍馬がらみの主だった史料を網羅できてない
アマチュアの趣味みたいなもんだぞ >>648
龍馬ヲタにその辺の史料的根拠指摘したらみんな驚くだろうな。
当日龍馬が藩邸にいた(だろう)ってことと、
木戸が龍馬に反論したら黙ったって言う木戸の回想と、
木戸の龍馬宛に裏書を求めた手紙だけから妄想を膨らませたのが
世間に流布してる「薩長同盟周旋説」の根拠だからなあ。
史料から分かるのは龍馬が薩摩側の説明を聞いてたらしいということだけ。
しかも木戸の自叙は事実と食い違ってるので有名だし。
もともと「同盟」じゃないんだから周旋もくそもないんだけどさ。 世良の「奥羽皆敵」の手紙は会津による工作だった!!
会津藩より世良修蔵の偽手紙をこしらえて
大山格之助へ遣わす途中、仙台人が
この手紙を見たところ、仙台を滅ぼすとの
文字があった。仙台は藩を挙げて怒り
どうせ滅ぼされるなら、会津に与して滅ぼうと
ついに世良を殺して、奥羽諸藩と連合したのである。
世良の暗殺は、仙台藩が一向に本気で
会津攻めを行おうとしないことに
立腹した世良が、秋田に転戦していた
同役参謀大山格之助にあてた書簡に
「奥羽皆敵と見て」と書いたことを
仙台人が知り、怒って殺害したというのが通説
(『仙台戊辰史』など)である。
だが、この大村書簡によると
明治元年九月の時点で仙台藩は「世良書簡は偽造だった」と認めていた。大村は、仙台藩の
嘘(偽造を会津の手によるものとした)
とみて、憤慨したものらしい。
大村益次郎研究家 山本栄一郎 >>642
その司馬の評価が全くおかしい
でたらめだと今問題になってるんだろうが そもそも司馬遼太郎は自身の作品をフィクションだと明言してるだろ >>661
それを史実と勘違いしてる司馬オタって頭おかしいよなw >>662
フィクションを史実だと思い込むのは頭おかしい、、、
チョーセン人の悪口はそこまでだ!!! >>657
お前が引用してるブログググったらすぐわかって笑ったわ。ま
世良書簡の実在なんて防長回天史がとっくに争ってる
で、その根拠に引かれてるのがまさに「会藩より世良宛ての偽手紙」云々
ところが大村が引用してる仙台藩側の主張は恭順後つまり世良殺害に関わった主戦派の粛清後
恭順論者は政権を取った後で世良殺害の責任を主戦派に押し付けざるを得なかった
だから「偽手紙」云々の主張がでてくるわけ
もちろん大村は開戦の正確な経緯なんて知らないから参謀がそんな無茶なことするわけないと言う前提でそれを受容してる
しかし会津藩が奥羽皆敵の書状を偽造したとして、それをどうやって福島藩士から仙台藩士に信じ込ませるんだよ
福島藩士は世良の様子が不審だから仙台藩に通報したので、そのブロガーの説だと会津藩と福島藩がグルということになる
そして会津藩は仙台藩からの密情報で世良の動向を知ってたにすぎない
つまり会津藩と仙台藩と福島藩がグルで、しかも主導したのは仙台藩ということにならないと辻褄が合わない
その時点で「会藩の偽手紙」云々は嘘だと分かると反論された
さらに進んで「てことは恭順派も「手紙」の存在が開戦に大きく関わったこと自体は認めてるじゃん」と反論され
世良が何らかの書簡を書きそれが奥羽諸藩を著しく激昂させるものだったことまでは防長回天史は反論できなかった
仲裁に入った徳富蘇峰も「世良が問題あるやつだったのは間違いないよ」と認め、それ以降は長州藩史サイドが世良の弁護を放棄してるんだよ
ところがその経緯も知らない馬鹿が木戸孝允の書簡読んで「偽手紙と書いてるじゃん」と騒いでる
宮島−広沢会談を見てると京の長州藩関係者は現地参謀の暴走を知って憂慮してたのが分かる ちなみに先行研究では世良の手紙は数通あり、その内容を藤原が転載したのはほぼ定説
だから転載の過程で書換があったことは事実だが大まかな内容は同じだろうとされている
とくに世良の白河転陣の経緯から、東山道軍を引き入れようとしてたのはほぼ確実
「奥羽皆敵」といった象徴的な表現が使われてたかはともかく、仙台米沢を敵視する文言が入ってたのは間違いない
そしてこの時点で総督九条道孝は両藩主の嘆願を受理して姿勢を変えてるから、
仲介に入った両藩主を敵視する世良は総督の意向に従おうとしない大罪人
いまどき木戸孝允の書簡程度を根拠に偽手紙説を主張する馬鹿はどこにもいない
防長回天史がこの問題で神経質になったのも、世良の言動が大まか事実なら開戦責任に関わる大問題になるから
だけど結局元の手紙の存在を知らず、一方の藤原はほぼ確実に見て転載してる以上、仙台戊辰史への反論は成功しなかった 坂の上の雲、東郷の行動がうそばっかり
閉塞作戦で誇大報告してたことも無視
おかげで第2軍の上陸にも影響を与えてたのも無視
5月には艦船ぼこぼこ喪失して責任問題になりかけたのも無視
大本営の諌めも聞かずに危うく転進しようとしてたのも無視 >>633
つうか司馬は江戸時代の藩法とか知らねえのかよ。
藩は条例みたいに独自立法してて、
その際は当時の罪刑法定主義の明律清律が参考にされてんだから(典型が熊本藩)
清律がベースになるのは当然だろ 随筆や対談で田中光顕のことが嫌いなことを公言してるけど何で?
まぁ好きになる理由がほとんどないと言えばそれまでだが特に毛嫌いしてる印象 >>666
そもそも、通信事情が悪くて現地の独走が許されてた日清日露を
軍部が暴走した日中太平洋戦争の反面教師にしようとするのが無理がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています