下橋敬長「維新前の宮廷生活」(『幕末の宮廷』平凡社東洋文庫所収)によれば
准大臣に任ぜられるのは中山・中御門(松木)・園・広橋ぐらいとある
但し他と比べると園は実績として一人しか准大臣になっていない
(園は准大臣宣下の直近の実例の一つと言えるのでそこから下橋が誤認したと思われる)

寛延三年官位御定の規定では
「旧家の内しかるべき家」として大臣家三家及び中御門(松木)・中山・正親町・滋野井を挙げている
但し正親町・滋野井は正二位大納言止まりが多い(下橋もこの両家については「従一位に叙せられる家」としてすら挙げていない)

浅井虎夫『新訂 女官通解』(講談社学術文庫)には
「松木をもって羽林の最とす」「松木家は清華に並び、大臣家につづきたる門閥家なり」とある

摂家親王家清華大臣家以外で諸大夫を使うのは中山家のみ


ここから平堂上最上位は中御門(松木)、中山だと考えられる