武家公家の家格について語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
この手の話題が盛り上がるのでスレッド立ててみました。
家格についての話題なら何でも結構かと思います^^ 稲田陪臣が藩外に縁組を求めていたということはないのだろうか? >>272
稲田の家臣で200も貰っているなら家中では上士じゃないか? >>275
稲田昌植の妻有馬久米の兄松田正之の妻蜂須賀笛子
有馬経由で蜂須賀と稲田がつながる 宮本町(宮津市)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/miyamoto.html
分宮神社
分宮神社は宮本町(文久二年正月旧職人町改称)に鎮座し指定村社にして宮津町東半の産土神なり、(写真参照)その勧請に就いては宮津事跡記に
分宮大明神御勧請之儀京極丹後守高広公府中一之宮に御信仰被爲在毎月御参詣被遊候處雪中
又は、荒等之節御参詣難被遊に付寛永五年丑九月職人町に御勧請同十一月御遷宮其後は一之宮之神主年々祭禮之節神事相勤候處職人町住人に
大兵衝と申者而至而実禮之者に而信仰致侯に付社内之掃除又は宮守に被仰付其後官職可致旨被仰出当社神主と相成御領内神主筆頭に被仰付候
また宮津旧記に
分宮大明神は京極高広公御在城の砌府中一の宮へ御信仰雲中御参詣を御厭ひ今宮津職人町の地へ御引移寛永五辰九月十一日遷宮即ち宮守には
同町太兵衛と云ふ者至って信仰故に宮守となり其後官職の儀は阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
とあれば寛永五年九月十一日藩主京極高広侯籠神社のみ霊を祀られしに濫觴すること明かなり。
→阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
阿部対馬守とは、江戸時代の徳川家譜代家臣の阿部正勝の子孫で、大阪城二代城主の阿部重次の事。
従六位島谷出雲守とは、阿部家従六位なのだろうか・・
奥州安倍氏従六位島谷出雲守・・ 無位無官の町奉行 同心与力と官位持ってる町人とでは町人が偉いの?
土足で官位持ちの容疑者町人の家に踏み込めないという話は聞いたことあるけど >>282
容疑者町人の家には踏み込めないから、家から出てきたところを捕縛する。 日野とか平公家にもかかわらず清華以上の1000石とか800石とかの家禄持っている公家って結構おるけど何物? 平堂上で1000石前後の家は日野家以外は飛鳥井家(羽林家)、広橋家(名家)、烏丸家(名家)、高倉家(半家)、萩原家(半家)で
石高だけなら清華の今出川家に匹敵する多さ。その今出川家も石高だけなら摂家の鷹司家より何故か多い。 >>286
それはじっ(日偏に尼)近衆でしょう。江戸初期から家康や秀忠に接近し、
参内の共をしたり、将軍家に伺候し、臣下の様な礼を取っていた公家衆の事です。
日野、烏丸、広橋、飛鳥井、勧修時、高倉、舟橋等20 家弱が知られています。
その形成や役割は明確ではありませんが、知行高などで優遇され、
幕府による公家衆の分断策と見る事も出来るとされています。
講座前近代の天皇 第2巻天皇権力の構造と展開その2 より >>289
>>286
> 幕府による公家衆の分断策と見る事も出来る
あー、なるほど。 近世朝廷の法制と秩序
ttp://www.yamakawa.co.jp/product/detail/2118/ >>282
町奉行クラスの大身旗本で無位無冠なんてあるの? >>289
武家(足利家)の家礼の流れを汲む家々の事ですか?。
かれらの家々の分家は高家(武士)として徳川家近習になったりしてますね。 役に付いていない大身旗本は一部を覗いて無位無官じゃない? 元の>>282は町奉行が無位無官と言ってるんだが、さすがに無位無官はないんじゃないか。遠国奉行なら別だが。 >>298
奉行本人ではなく奉行所の与力同心と町人を比べていると読み取れるが? 前田利家って、秀吉が天下人になったとき、「羽柴筑前守」って秀吉の旧名をもらってるんだけど、
これって元同僚で友人の立場としては、けっこう精神的にキツイというか屈辱じゃなかったのかね? >>300
徳川期に松平の称号貰った外様大名も屈辱って事か?
内心は分からないにせよ天下人から旧名をそのまま貰えるというのは非常な
栄誉だと認識されていたと思う。
羽柴や豊臣は乱発されすぎて有り難みがないから筑前守をセットで与え、他との差別化を図ったのだろう。
実際、豊臣政権で前田家は過剰なほど優遇されてるしね。 細川じゃ、松平下賜を辞退してるな。
大御所が長岡から細川に戻るように言った直後に、秀忠が下賜しようとしたので大御所の言をたてにうまく断った。 細川、上杉は殿上元服・賜諱があるが松平姓ではない
山内は殿上元服・賜諱も松平姓もない だが、清正が勝手に豊臣姓を使用したとき、秀吉の逆鱗にふれた。 清正て秀吉の遠縁なのに、なんで怒られたんだろ?
陪臣にすら豊臣姓をバンバン下賜してんだし
清正にも気前よく与えれば良いやん >>303
山内は松平○ 殿上元服?じゃなかった?
外様大藩では珍しいと思う。 山内は松平土佐守だよね。諱は2代目の忠義1人しかもらえなかったけど。 細川や上杉は、なぜ松平の名字をもらわなかったんだろう? 建国からたった50年しかない小国の歴史などない
糞スレ終了
>>312
このスレだけじゃなくて日本史板廃止運動しなさい 出自不明の新興武家ならともかく過去に任官例ある家格のとこは必須ではないような 秀吉は武家全体を豊臣氏に取り込んで
豊臣氏のトップ(=氏長者)として武家全体を統制しようとしてたんでしょ?
武家が官位をもらうときは天下人秀吉に無断でもらうわけにもいかず
そうなると自動的に秀吉の推挙で叙任=豊臣朝臣となる
豊臣朝臣でない武家は豊臣賜姓以前もしくは関ヶ原以後に叙任された例に限られるはず そうすると秀吉の構想していた豊臣氏ってのは
今までの氏とは異質なものだよね
そのまま続いてたら血筋をあらわすものじゃなくなって貴族の証みたいなものになってた?
もし将来的に貴種の末裔で担ぎあげられる奴が出てくると
その点で劣る秀吉からしたら血筋をあらわす氏ってのは邪魔な存在だろう
そこで自分を頂点とする氏のみが存在できるように根本的に変えてしまうつもりだったのか お公家さん達にとっては、公卿の定員を武士に横取りされる武家関白制より、徳川幕府の方がありがたかったろう。 とは言っても摂家以外ないような形だっちらどっちも迷惑かも。 >>324
そりゃ分からんよ。
公武が同列の豊臣政権であれば同じ官職は同等の価値を持ってたけど
徳川政権下では京都に押し込められて政権から完全に疎外されたし。 豊臣政権下で武家並みに影響力にあった公家はいたか?菊亭晴季くらいじゃないか。 本当に秀吉がその意味をわかってたかは
難しいけど、平安以降の「血統」を表すものとしての
「氏」とは別物になってただろうね。
これは徳川でもそうだけど、「氏を変更する」ということ自体が
すでに「血統」の正当性を証明してない。
公家さんはその意味がわかってるから
ハナでわらってたろうけどね。
ただ、秀吉が自分の直系のみを豊臣としてたら
従来の使用法なんだけど、「新しい氏の誕生」にはなっちゃうよね。
でも、その場合は「秀吉の出自がはっきりしない」ということから
「豊臣なんて氏、卑賤のものである」と堂々とハナで笑える。
菊亭や近衛はちゃんと考えてたんじゃないだろかな。
そして結果的に追放されたりするけど。
妄想だけど「豊臣」というのも結構イヤラシイ
ネーミングと思うのだよね。
そのままで「金で買った地位」ってのもあるし
「豊臣朝臣」なんて書くと、「臣」が二重になって
「身分をわきまえろよ」との確認みたいになる。
まぁ、公家と秀吉ー武家の価値観の違いって
ことなんだけどね。 公家の間でもたとえば源氏の家に藤原氏から養子、猶子に入るなんて
ことは普通に行われていたんだから、特に
> 公家さんはその意味がわかってるから
> ハナでわらってたろうけどね。
なんて話は起きないね。長尾輝虎が上杉の名跡を継いだとき、近衛前
久が同族になったと祝意を表したという話も伝わっている通り、氏の変更
なんてのは公家にとってもごく普通の話だよ。 >>329
だから、源氏の家に行ったようなのはもう
「仲間じゃないよ」ということでしょう。
前久は上杉好きだから典型的なお世辞
であるしね。
逆に、出自のはっきりしない武家を
猶子じゃなく正式に高貴な藤原家の
血統にいれたことなんてある?
血統の正当性、の話であって
武家が氏の変更をすることはごく普通の
「ハナで笑ってた」話だ、ってことなんだけど。
自分たちの氏は貴種だよ、ってね。 日本で一番出自のはっきりした最高の名門、天皇家の皇子を、
正式に高貴な藤原摂関家の血統にいれた例だな。
とくに近衛家なんて、昭和までずっと後陽成天皇の男系子孫で、
伏見宮一門より現皇室に血が近かったし。 家康の三河守任官を近衛前久が取り次いだときの話も
知らなければ、長尾家や上杉家が何氏なのかも知らな
いようだな。 >>332
しかも、近衛信尋、一条昭良の母は、女御の近衛前子(中和門院)で、後水尾帝の同母弟。これ以上がない身分の2人だな。 江戸時代の細川家当主の官位だが、家柄の割りには別段高くないのではなかったか? そもそも国主級大名の官位って、秀吉時代に比べたらかなり低いし、
細川家、それも分家の和泉半国守護家や奥州家なんて室町時代から、
それほど官位が高かったわけじゃないし。 室町期の全盛時の今川氏だって、せいぜい従四位下だしな 幕末期になると、国主級大名の官位がインフレ状態をおこし、
明治維新直後の大大名は中納言だらけになってしまう。 しかし、現在の近衛家は清和源氏細川氏流だし、鷹司家に至っては、
氏素性も無い徳川家の庶流の大給松平流に成り下がっている。これも時代か。 しかも現当主の父は大正生まれかつ父親が婿養子なのに側室腹らしい(戦前の華族本?に嫡母との記載あり) 下級武士あがりの勲功華族やら、正真正銘の一般人の婿に取って代わられた家よりは、
まだ大名家からの養子の方がマシだろう。 >>339
公家社会の官位なんて、ずっと前にインフレしすぎてるけどね。
何で大納言になれる家が100以上もあるんだよ・・・大納言って何か知ってるのか?
って感じ。 しかし家格だのなんだのってのがでるってことは今だに日本は中世以前なんだな 345
なんで言葉を納めるって字がつかわれてると思う? >>347
公卿って、国家の中枢をなす、常人には近づけないくらい偉い人ってことだからね。
何でそんな偉い人が常時何十人もいるのって話。 350
奈良に始まり戦国時代にはもう終わってる
幕府ってのは家政制度の発展だからね 幕末に土佐の侍が上洛したときに、下級公家の岩倉具視が、山内家当主より官位が上だったので
びっくりしたという話がある。 >>355
それはさすがにネタでないの?
それか、岩倉がよほど公家らしからぬボロボロの格好していたか >>354みたいな、他人に対する悪意だけで生きてる人って
生きてて何が楽しいんだろうね・・・って思うけどまあ、世の中にはいろんな人がいる >>355
逆に、都の人は言葉も通じない土佐の侍にびっくりしただろうよ >>345
近世堂上公家137家のうち大納言に昇った家は78家、100家も無い。 極官が大納言でも任官が少ない家、極官が中納言、参議の家から非参議の半家まで子爵だから、ごちゃまぜ状態だな。 摂家と清華以外はごちゃ混ぜ
明治迎える21年前に堂上した大江朝臣北小路家も子爵。 >>356
岩倉本人がどうだったかは知らないが、そのクラスの平公家だと、
窮迫して装束も持っておらず、参内するときだけ借りていたらしい。 >>362
伯爵は、大臣家、羽林家と名家の上層(大臣宣任多い家)だからまだましなんだろうが、大臣家の不満は大きかったようだな。 公家で非参議が極官っていかにも底辺で貧乏って感じがするけど(実際そうなんだが)、
でも家格は前田家並みで、その死は薨去なんだよな 家禄が100石超あれば、今でいう1000万とかそれくらいだから、
決して貧乏ってわけじゃない。ただその俸禄のうちから家人を雇って、
種々の体面を保とうとしたら大変だったはず。
庶民の買わないものは値段も驚くくらい高かったから、装束もレンタルで済ませてた。 じいちゃん家に、中納言宣下なんちゃら書かれた紙があるよ。
ボロボロだけど偽物だろうな >>362
そんなこと言い出せば維新の2年前に立藩した高徳藩1万石戸田家も
高田藩15万石榊原家も子爵だから武家も同じ。 まあ実質何十種もあった家格を公侯伯子男の5種に無理やり押し込めるんだから
不満も出るわな
しかし今見ても所謂勲功華族は待遇良すぎる。
岩倉や三条、西園寺あたりは公爵でも良いが、
伊藤・山県以下、旧藩士レベルの奴らは全員男爵でもいい。
伯爵となった大名階層の人々は、何でこいつらより自分の方が下なのか?って
すごい不満だっただろう。 華族社会は、伝統華族内では公家と大名が反目してたが、勲功華族にたいしては、公家と大名がタッグを組んでシカトしていたらい。 >>371
とはいうものの、大名家といっても戦国時代のどさくさで台頭した家が多いからなあ。 >>371
(公´д`)(公´д`)(武´д`) (´・ω・`勲功) やぁ!何をしているんだい?
(公´д`)(公´д`)(武´д`) …… (´・ω・`勲功) ?
(公 ´д) 今日の晩御飯は何になさいますの?(公´д`) うちはフォアグラとかいう変わった料理を…(д`武) 洋食ですか?うちは家内が洋食嫌がって食べないんですよ・・ (´・ω・`勲功) あの…
(公 ´д) 武家華族の奥様も?うちも洋食嫌がって…(公´д`) 異国の料理は変わったものが多いですからね。仕方ないですよ。(д`武) 少し前は魚だとか米だの食べてましたから急に食生活変えるのは無理でしょう。 (´・ω・`;勲功) …
(公´д`)(公´д`)(武´д`) …… (´・ω・`;勲功) …………
(公 ´д) ヒソ(公´д`) ヒソ(д`武) (´;ω;`勲功) >>372
だから、公家と大名の反目もあった。
ただ、江戸時代、公家と大名の婚姻が結構あって親戚付き合いしてたからな。大名家からの経済援助目的だが。
三条実美の母が土佐山内家、祖母が長州毛利家とか。 >>374
そういうのって、長男女じゃなくて、ちょと下ぐらいが
多いもの?
それとも援助多くほしい時は公家さんでも
長男出したりするのかな。
次男ぐらいだと死亡率も高かったろうから
結局家督相続者になったりもしそうだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています