室町殿などは(また徳川将軍家も)「飽くまでも官位から見れば」清華と言うしかないと思う。
(明治期に平島公方家や義輝裔と称する熊本藩士が華族取立を願った際に足利家は清華衆だからという理由を述べているし、他に清華と呼ばれていた史料を見たことがあるけど失念)
それは官位を基準として摂家を頂点とする旧来の家格制度が新興の権力者に対して適合しにくかったというだけで、
事実上の日本国王として摂家以下の拝賀を受けていた等の事実とは矛盾しないと思う。
これは過小評価というより評価装置の方が力不足なのだと言える。

余談だが、現在では「清華家」という言い方が普通に通用しているが、史料や文献には「清華」という「家」を付けない形ばかりが表れている。
「摂家」「大臣家」「羽林家」「名家」「半家」など皆「家」が付くので、それに引きずられる形で「家」が付くと誤解されてきただけで、単に「清華」と呼ばれていたのが正しいのではないか。
ちなみに「名家」も「めいけ」でなく「めいか」が正しいのではないか。