>>635
「時期」については上記の通り。
自分が言っているのは、

1. 一般論として、日本の歴史において「皇胤であること」はそれなりに重要視されていた。(大前提)
2. 上記の公家の家格が形成される期間の間、公家社会において藤原氏は
「皇胤であるかもしれない」とみなされていた(小前提)
3. 従って、藤原氏含む公家の家格形成において、「皇胤とみなされていたこと」がそれなりに大きな影響を与えたはず(結論)

という三段論法なわけだけど、正直、この小前提に疑問を挟む人が出ることは想定していたのだが、
大前提にこんなにわけのわからん文句つけてくる人がいてびっくりしている、というのが現状なわけですね。

>>603にも書いた通り、自分からみてこの大前提はごく当り前で当然だし、
それに文句言われても、ああそうですか、この人は日本史ってものを全く知らない、
思い込みだけでものを語ってしまう種類の人なんですね・・・としか思わないわけだけど。

たぶん想像つくと思うが、「日本の歴史一般において皇胤が尊重されていた」
こと自体を、いろんな文献から傍証することは、手間をかければかなりできると思うよ。
結果は見えているので、自分はやる手間かけるつもりもないし、
今ここでできるわけでもないけど。

また、実際には皇別でないと思われる氏族が皇別を名乗っていたことも、
そうすることが自分たちの地位向上に資するという意識があったから、だということも傍証になり得ると思う。


で、これは当然だと思うのだけれど、じゃあ実証的にどうかっていうと
実際に>>606の通り。
御堂流との血縁がどうの言っている人もいるけど、ここは>>615の言う通り
御堂流と血縁関係になること自体に、皇胤であることが関係していたと思われるので。
どんな文句を言ってみたところで、>>606のように明確に結果が出てしまっている以上、
「公家の家格形成に皇胤であることは全く役に立たなかった」と
主張することは全くできないはず。