>>695です。

>>696
家格形成に皇胤であることが如何に影響するか、という点ではギリギリセーフ、のはず。
でもこれで最後にしておきます。

興福寺関係の精査は、そもそも縁起を出典としている人がやるべきことだね。

>>697
おお!ありがてえ!
あいにく近くの図書館に無いわ、新書の分際で3800円(Amazon)もするわで、助かったよ。

> 平安時代にはまったくの事実として信じられていた。
と仰るわりに、代表史料として「帝王編年記」(南北朝期の系図)と「大鏡」(院政期の歴史文学)を挙げてるくらいだから、
やはり「興福寺縁起」(平安前期)には載ってないと考えてよさそう。
大鏡より古い史料があるなら、それを真っ先に例示するっしょ。
あと、持論に都合の悪い「多武峰縁起」や「平家物語」に触れないのは、素直に狡いと思う。

持統が天智系の皇胤を引き立てたいなら、なんで落胤の不比等を選択したのかも合点がいかない。
大津や長屋が草葉の蔭で泣いてをるぞ。川島、志貴、葛野らも侍るは。
不比等が公然の落胤で、それを無闇に取り立てたら、蘇我氏より危険な存在になるんじゃないのかと小一時間。
やはり、功臣・寵臣・外戚として引き立てたという評価でいいと思うがね。

よしこ・しげこ説には、一瞬、おっ!って思ったが、女性名といえば角田文衞。
奈良平安の后妃にそんな傾向が見出せるなら、見逃すはずはないと思うけど、どうなんだろう。