諸大夫を従えることができるのは、親王、門跡、摂関、清華だけど、清華成大名はその家臣も諸大夫成していて、やはり清華に準じた待遇だったんだと思う
並の公家がいくら大納言に昇進しても諸大夫を家司として従えることはできなかったはず
官位だけ見れば武家清華は公家の清華より低いが、それは政権が短命で終わったからで、長期化すれば武家清華の官位が引き上げられたか、公家の清華の方が武家並になったかもしれない
秀吉時代に公家の昇進が停滞していたのを見るとおそらく後者ではなかっただろうか