>>95
大覚寺統と持明院統の対立は、たんなる天皇の対立ではなく、公家社会の対立でもあったからな。
大雑把にいうと、上級貴族は持明院統、下級貴族は大覚寺統を支持したようだ。
それについては「徒然草」におもしろい話が載っている。
あるとき、腰のまがった眉のまっ白な西大寺の静然上人が参内するのをみて、
西園寺実衡が「なんと尊いお姿だろう」と感嘆したところ、側にいた日野資朝が
「年をとっただけで尊いなら、老いさらばえたむく犬も尊いだろう」とうそぶいて、
彼のもとにその犬をおくったという。
西園寺のような上級貴族と資朝のような下級貴族の伝統や先例に対する
感覚のちがいをよくあらわしているエピソードだと思う。
資朝や俊基が目指したのは古臭い伝統の破壊、いまの言葉でいえば反体制運動だな。